天樹Side7:騒動の顛末(3)
それにしても、と二人は思う。
訓練用の剣を持ち、動きやすそうな白シャツと濃紺のスラックスに身を包む、長い髪の女性は、簡易的に髪をひとまとめにしているにしても、芸能界の女性も裸足で逃げ出しそうな美女だ。
ハーフェルベルクが、水杜を美女と称してくれたのが、明らかにお世辞であると、自覚させられる程に。
既にガヴィエラ・リーンとは知己であるだけに、あちらが宮城涼子准将、と言う事なのだろう。
「……決着がつかないようなら、あとで私が一対一で相対してやる。だが、そこまで決着がつかないなどと、情けない事はするな、とも言っておく」
内容の過激な低音ボイスが会場を圧倒した。
双方の用意がだいたい整ったと見た、伊原春臣が、4人にそう告げたのだ。
「教官……」
「え、伊原中将、涼子さん贔屓ですか?」
苦笑する宮城涼子に、やや頬を膨らませた、ガヴィエラ。
二人の視線を受けても、伊原の表情は、変わらなかった。
「私がおまえたちの戦いぶりを見るのは、初めてだからな。今のは、確かに、宮城とヒューズに言った事だ。おまえたちは――そうだな、噂は聞いている。早期にカタをつけて、私を唸らせてみせろ」
「それなら、納得です……っ!」
伊原が、その言葉を合図とするかのように、身体をすっと後ろに下げた。
――その瞬間、4人の動きは常人の目には、一切追えなくなった。
剣と剣が合わさる、一瞬の静止のタイミングで、わずかに見えるだけである。
「アイツら、凄ぇんだな、本多……」
思わず呟いた手塚に、水杜も頷くだけである。
「いや、ガヴィとキールを、軍のスタンダードと思われると、さすがに厳しいよ。そもそも、彼らの〝本業〟は戦闘機乗りだ。周りの反応で分かるだろう? 直属の部下や、一部の上役を除いては、ほとんど動きを追えていない筈だ。まぁ、俺もまるで自信はないけど」
2人を安心させようと言うよりは、天樹の言葉は全くの真実である。
ルグランジェも、頷きながら、更に続ける。
「私は伊原中将が、4人の動線それぞれを把握しながら、剣を避けて動いていらっしゃる事の方が、驚愕です。万一、隠し武器なんかが出てきた場合でも、素手で止められるタイミングでしょう、きっと。あの人、私よりも3〜4歳年齢が更に上で、現役も離れていらっしゃる筈なのに……」
一見すると、伊原は会場内を、片足跳びの要領で、ゆったりと縦横無尽に動いており、ルグランジェの目でもそれは追えたのだが、時折目に映る、残像のような影が、伊原が、ただ会場内を動いている訳ではないと、悟らせるのだ。
「あー……伊原さんなら多分、あの4人が今、いっせいに剣を向けたとしても、避けきってみせるだろうな……」
乾いた笑い声をあげているのはリドで、エルナトも、その隣で頷いている。
「決着がつかなければ、自分との一対一の内容で比べろと言ったくらいだから、まぁ、そうだろうな……」
「自分が情報局局長になるにあたって、麾下の調査部、保安情報部、宙域情報部、特殊情報部――所謂、特務隊の所属士官全員を打ちのめして、納得させたっていう都市伝説もあるね」
「――さすがに、全員ではないな」
「⁉」
クラーツの呟きを、どうやって耳にしたのか、伊原の姿が突然、そこに現れた。
「腕に自信のあるヤツ、という注釈はつけた。だから多分、情報局全体の三分の一くらいだろう」
「そっ……そう、ですか……」
さすがに言葉を返せないらしいクラーツに、伊原はニヤッと口角を上げる。
「今でも、気に入らなければ、いつでも挑んできて良いとは言ってある。別にそれは、情報局の中だけに限った話でもない」
そんな風に告げる伊原の視線が、ふいに、クラーツから、天樹へと動いた。
「会議で言うほどの事でもないと思っていたがな、本多。そんなに、特殊情報部の一部連中が気に入らなかったのなら、いきなり馘を飛ばす前に、私にも、断罪イベントがあると、仄めかすくらいはしろ。ヘレンズと言う名の大型台風を、ただ天災だと、苦笑してやり過ごせるほど、情報局も暇じゃない。後始末がどれだけ面倒くさいと思う」
「…………」
特殊情報部、とは特務隊の正式名称、ダントン大佐の元の所属先である。
「まあ、今日の勝負で少し留飲を下げておいてやろう。――そこまで‼」
伊原の低音ボイスと、両手を合わせて叩く音との両方が、会場内に響き渡った。
更に剣が一本、床を転がってきていたようで、伊原がそれを踏みつける形で、勢いを殺していた。
伊原を含め、ほんの一握りだけが試合を追えていた結果――勝負がついていたのだ。
「……っ」
キールの手から、剣は離れていた。
更に、宮城涼子の左足の踵が、キールの後ろの首筋で、ピタリと止められている。
一方で、ヒューズがその涼子の背後で片膝をつき、手にしていた剣を逆手に――剣先を、ガヴィエラの喉元へと突き付けていた。
一瞬の沈黙は、すぐに響めきと歓声にとって代わられる。
「ええっ、何で⁉︎ 私、今の今まで、涼子さんと剣を合わせてましたよね⁉︎」
どうやら、何が起きたのか、とっさにガヴィエラも分からなかったようである。
キールは悔しげに自分の手元に視線を落としたまま、無言だ。
「……なるほどな」
足元の剣を拾い上げた伊原が、天樹たちの側を離れ、中央へと歩を進めた。
「宮城とヒューズが、示し合わせて、同時に殺気を、自分が戦っていない方の相手へと向けた。そしてリーンもレインバーグも、自分への殺気ではなく、相手に向いた殺気の方に気を取られた。その瞬間に、隙が生まれたと言う訳か。だがその隙は、この2人ならば、コンマ単位でカバーしてくる――だからこそ、隙を突く相手は、そのまま殺気を向けた方の相手にした。隙を突いてくるなら、今、自分が闘っている方の相手だと、普通は考えるし、実際に、この2人も、そう思った」
伊原の言葉で状況を理解したらしいガヴィエラも、キールに負けず劣らずの、悔しそうな表情を浮かべた。
「うぅ……士官学校の初回の指導以来、利き手も使って貰えないとか、何で?あれから、だいぶ訓練してるのに……」
「えっ、マジか」
ガヴィエラの言葉に、驚いたのは、むしろヒューズだ。
模擬戦をやっていた間、彼女が剣を握っていたのは右手だ――それも、最後まで。
「いやいや、最後の足は、利き足だ。少しずつ、私も余裕がなくなってきているんだと思うよ」
「慰めになっていませんよ……」
ぶつぶつと愚痴るキールに、ヒューズの顔が、面白いと言わんばかりに、輝いた。




