天樹Side5:騒動の顛末(1)
リカルド・カーウィン准将の執務室の扉が、予告なく開く事に関して、副官ゲイリー・バークレー大尉も、執務室の主も、近頃は諦めの境地にある。
本来、副官の机にある、訪問者確認システムから操作しない事には、入口の扉は開かない筈なのだが、一度、カーウィンの上司が、そのシステムの存在を、なかった事にするかのように執務室に現れてから、その後輩二名も、しっかり真似をするに至っている。
上司がやるなら、その配下も「出来ない」とは言いたくない――そう言う向上心は、もっと他で発揮して欲しい。
最も、今、目の前に現れたのは、当の上司本人のため、カーウィンとしても、ため息をつくより仕方がない。
「カーウィン?」
「いえ……保安情報部に、訪問者確認システムの改善を進言すべきか、少し悩んだだけです」
「ああ、それは良いな。今度から、ギルティエ社のような一社全受注スタイルを止めて、各システム自由入札にしようと言う話が、今、進んでいるから、改善した方が良いと思える部分があるなら、是非、進言して欲しい」
「――っ」
嫌味を流された挙句に、まるでギルティエ社一強体制の崩壊が、規定であるかのように語られたカーウィンが、僅かに目を瞠る。
「……今の、ワザとだよな」
「……分かってて、受けたボールを明後日の方向に放り投げたと思う」
「しかも、自由入札って言う新しい情報を、さりげなく混ぜているからね。会話の主導権をしっかりと奪い取っているね」
本人達は小声のつもりだったかも知れないが、手塚、水杜、ルグランジェの三者三様の声は、執務室の全員に届いている。
「――うん、ちょっと三人とも、いったんその口閉じようか」
振り返らないまま天樹は言ったが、冷ややか過ぎるその声に、ピタリと声はやむ。
天樹と向かい合う方のカーウィンは、笑顔の天樹のこめかみに、青筋が浮かぶと言う、なかなかにシュールな光景を目にする事になった。
「御用がおありだったのなら、私の方が閣下の執務室へ伺うべきだったのでは……」
仮にも地球軍の将官を捕まえて、追従の姿勢を全く見せない3人が気になるものの、カーウィンの方も、天樹にこれ以上舌戦を仕掛ける気は毛頭ないので、話の矛先を、本筋へと引き戻すより他なかった。
「いや。ガヴィやキールもそうなんだが、グリースデイド大佐やハインツァー中佐あたりも捕まれば、話は一度で済むかと思って、とりあえず来てみたんだ。ここのところ、ここで、それらしい報告書を作ってくれてると聞いていたから」
「それらし……ええ、まあ、あながち間違っはいませんが。さっきまで、キールとグリースデイド大佐は確かにいましたけど、ガヴィからのSOSで、キールが飛んで行きましたよ。グリースデイド大佐は、閣下がいらっしゃるまでの、保護者兼野次馬でついて行っただけです」
「SOS?」
「この執務室に来る道すがら、アルフェラッツ少将とダングバルト少将に捕獲されたみたいですね。閣下の急病と、医局の掃除に関して、聞きたい事があるとかで」
その途端、分かりやすいくらいに、部屋の空気が変わった。
3人の視線が一斉に、本多天樹に向いたのだ。
「……閣下の背後のお三方は、その関連でお越しですか」
はは、と天樹が苦笑いしている。
そこでようやくカーウィンは、この部屋唯一の女性が、今回の〝アステル法〟適用者、若宮水杜であると、紹介を受けたのである。
「軍属でもない内から、少将閣下のお手をわずらわせてしまって、准将にも、さぞご負担をおかけしたと思います。これからは、何なりとお申しつけになって下さい。私は、それが本多少将のためである限りは、物事の表裏は問いませんので」
「――っ」
「なっ……」
水杜のこの第一声に、カーウィンが目を見開き、天樹自身も、何を言わんやとばかりに、立ち上がって振り返った。
若宮さん、と言いかけた天樹を遮ったのは、手塚玲人、と紹介された青年だ。
「自分の地位を、見て見ぬ振りするなよ、本多。俺と彼女が、周りから求められるのは――そう言う事だ」
バリオーニ大将が、強権発動で行使した、もう一つのアステル法の適用予定者と言う事だったが、2人共が、本人以上に現状の危うさと歪さを理解していると、その態度で表していた。
「……確かに閣下は、ご自身の価値を低く考える傾向がおありのようなので、その辺りをフォローして貰えるのなら、非常に助かる」
頭の切れる士官が増える事は、悪くないとカーウィンも思う。
「カーウィン……」
「そう言われたくないとお思いなら、無断の無茶は今回限りに願いたいのですが」
「……無断でなければ良いのかな」
「話を混ぜ返さないで貰えますか。もちろん、良い訳がありません。ただ少なくとも、今みたいに、あちこちから予想外の話を吹っかけられて、対応に苦慮するような事にならないよう、自衛の策が取れるだけ、マシだと申し上げたいだけです」
「……もしかして、ガヴィの捕獲が、キール以外にも飛び火している、とか、かな?」
「せっかくですから、皆さん連れて、ご覧になっていかれたら、どうですか。今なら、急病も掃除も、どっちの話しも脇に逸れてると思いますし。私は行きません……と言うか、行けませんが」
机の上の書類の山に視線を投げるカーウィンの表情は、やや、投げやりだ。
ただ今回の件で、天樹の不在を見事に覆い隠した、カーウィンの事務処理能力の高さを天樹が知ったのは、ちょっとした収穫だったかも知れない。
本人には、とても言えないが。
「医局の掃除に関しては、ここにいるルグランジェ中佐とガヴィの共同作業であって、俺もさっき知ったんだが……まぁ、確かにこの地位で『だから知りません』は通用しないな。諦めて救出に行ってくるよ」
第一艦隊旗艦にいたルグランジェを、かつて同じ艦隊内で、航宙艦の副長時代に目にしていたカーウィンが、一方的に知る立場にはいたが、流石に軍病院から第九艦隊に臨時復帰すると言う話には、意表を突かれたようだった。
「捕獲は自業自得、ですか?そちらの経緯は後で私も伺いたいですね」
揶揄抜きでのカーウィンの言葉に、天樹が一瞬、天井に視線を投げて、考える仕草を見せた。
「……もう、その書類、後で俺が責任持って引き取るから、カーウィンが案内してくれないか、その捕獲先?さすがに何度も説明する手間は、省きたい」
「————」
訓練場に案内が必要なのか、とカーウィンは言いかけていたが、何度も説明したくない、と天樹が言葉を続けた事には、やや納得の表情を見せた。
「まあ、確かに……私さえ行けば、色々一度で済むでしょうね。今頃訓練場は、ちょっとした騒ぎになっている筈ですし」
「訓練場?……もしかして、模擬戦か」
「原因に、お心当たりが?」
僅かに眉を顰めたカーウィンに、天樹が慌てて片手を振る。
「いや、俺はさっき、宮城准将との模擬戦をエサに、ガヴィを釣りたいとエル――アルフェラッツ少将にちらっと言われていただけで、それ以上詳しくは……」
ため息をついて、立ち上がったカーウィンは、そのまま天樹たちの横を通り過ぎると、壁際に手をかざして、扉を開けた。
「⁉」
すると、さっきは気が付かなかったが、何人もの士官が廊下をバタバタと、同じ方向に走り去って行く姿が、目に飛び込んでくる。
急げ、始まるぞ!――と言った声も。
「閣下やアルフェラッツ少将に、どれほどの自覚があったのかは存じませんが、宮城准将を巻き込めば、大体、こういう事になるんですよ。覚えておかれた方が良い」
「……こう言う事?」
「そこは、ご自身の目でご確認下さい。ウチのバークレー大尉も、行きたくて仕方がないようですから、私もお供させていただきますよ。書類の件は、お願いしますね」
言い置いたカーウィンは、そのまま天樹を待たず、部屋を出て行ってしまった。
バークレー大尉が慌ててその後を追い、残されたルグランジェたちが、どうするのか?と視線で天樹に問いかけた。
「あ、ああ……俺たちも行こうか」
「おまえが、お供してどうすんだよ」
「今回、彼には色々と無茶ぶりをしたからね…。もともと、キールやガヴィの保護者みたいな立ち位置にもいるし、高級ワイン1本程度では、許して貰えないみたいだ」
「保護者、ですか」
「ガヴィ、キール…って呼んでましたものね、准将も」
初対面の人間は、大抵、カーウィンの銀髪に驚くか怯むかするのだが、既に情報として知っていたルグランジェと違い、全くの初見である筈の、手塚と水杜も、そこへの拘泥は全くないようで、天樹はやや意外だった。
「……彼、割と厳しいけど、大丈夫そう?」
「多分……本多君が色々無茶して、厳しくならざるを得なかったって感じが……凄くするけど……」
確かに、と手塚にも頷かれ、天樹がやや複雑そうな表情を見せる。
「行きましょうか。すっかり、置いて行かれてますよ。まぁ、どこでも色々な人間がいますから、それを言い出したらキリがないと思いますよ?閣下に従う者同士――基本は、それで良いと思いますけどね」
最後は、この中で最も軍歴の長いルグランジェにそう締められ、頷く手塚と水杜に、天樹もそれ以上は何も言えなくなった。
「ふふっ……閣下は、恋人とかがおできになれば、とても過保護になりそうですね。今のうちに自覚して、気を付けられた方が宜しいですよ?」
「⁉︎」
――一瞬の間を置いて、たまりかねたように、手塚と水杜が笑い出す。
行きますよ?と、爽やかに微笑うルグランジェが、実は一番、軍で敵に回してはいけない人物なのではないかと思わざるを得ない、
そんな空気を、天樹は感じたのだった。




