天樹Side4:奇術師再臨(後)
「バリオーニ大将からは『おまえに軍病院を牛耳って欲しいが…何分にも、中佐では位が足りない。どこかの艦隊で、医局長足り得る将官になるまで勤務する必要があるな』――そう言われたんですよ、本多少将。加えて、『それが一番てっとり早く地位が上がる。要は上官が、戦場で勝てば良いんだ』とね。主任軍医の地位が空く艦隊の中で、最も後発に編成された本多少将の艦隊が、一番飛び入りを受け入れる土壌があるのでは?と、大将閣下は考えたようだが……まぁ、乗りかかった船で、若宮さんの様子も診ておきたかったので、この際まとめて面倒を見て貰おうかと思った側面があるのも、否定しません」
「中佐……」
牛耳るってなんだ、と天樹は思ったが、ルグランジェの底知れぬ微笑を見ていると、妙にハマっている気がするのも、また確かだ。
「そこがなぁ……俺、一年で艦隊に単独で残されるって言われてもなぁ……」
「一年って言うのは、あくまで目安だよ、手塚君。私が佐官のままだと、医局長にはなりようもないからね。先代医局長には、私が将官になるまで、と言う事で限定復帰いただくようだよ」
「じゃあ、二、三年大佐とかでも――?」
「それはそれで、先代に怒られそうだ。あの人、医局長を退く事でようやく辺境医療の発展に力を注げるって言ってたのに、舌の根も乾かない内に呼び戻してる訳だからね。大丈夫、例え1年になっても、君の事は充分仕込んであげるよ。君は君で、私に合わせて再度軍病院へ戻るよりも、本多少将の下にそのまま残る方が、家庭の事情として都合が良いようだから、そこはお互いにすり合わせておくべきだろう」
何とも言えない表情を見せる手塚の頭を、ルグランジェが慰めるように軽く叩きながら、天樹へと視線を投げた。
「手塚君が決断を下した事もそうですが、若宮さんも、この数日、平穏に過ごしていたとは言い難い訳ですから、医療面のフォローと言う点において、私が引き受けた方が良い――と思ったのも、ありますよ?本多少将も、事情を知る人間は、なるべく囲い込んでおきたいでしょうし」
「……っ」
その「事情」を、天樹がどう捉えたのかは分からないが、水杜は一瞬目を瞠った後、そのままルグランジェに向かって、頭を下げた。
「私は……中佐にいて頂けると、とても心強いです……」
「……若宮さん?」
案の定、怪訝そうな表情を天樹は見せているが、水杜はそれ以上を語ろうとしない。
これで自分がルグランジェを拒否すれば、器の小さい人間と思われそうな錯覚を、天樹は覚えた。
「……なんだろう……俺よりルグランジェ中佐が頼られているようで、釈然としないと言うか……」
「本多君……」
思わずクスリ、と水杜は微笑ってしまい、そんな水杜を見るルグランジェの目も、温かかった。
将官級しか医局長になれないのは事実だが、実はバリオーニ次第で、どうとでもする事は可能だった。
ただ、娘を亡くしたルグランジェの、自己満足だと言われればそれまでなのだが……他人の生命に直結する、「戦場」と言う重圧に、望まない抱かれ方をした「恐怖」――恐らくは、そう遠くない未来に、彼女は戦艦の中であてがわれた個室では、眠る事すら出来なくなる。
ベッドが、眠るためのものに見えてこない――戦場で、そんな女性士官を何人も目にしてきたが故に、水杜も決して例外ではないと、ルグランジェには手に取るように分かるのだ。
だからこそ、〝アステル法〟を受ける水杜から離れて、今すぐ医局長の地位に収まる事が出来なかった。
口にはしないが、何かは察したのだろう。バリオーニも敢えて、医局長の地位をすぐに強制せず、正規の手続きを踏む事を優先させた。
とは言え、医局の人材は無尽蔵ではないのだから、1年前後の猶予を与えられただけでも、ルグランジェはバリオーニに感謝しなくてはならない。
手塚を一人前にし、せめて水杜が夜、独りで眠る事を恐れないように――。
実は重い責任がかかっている事を知るのは、ルグランジェ一人である。
「……一人、こんな40代が混ざっているのもやりにくいのかも知れませんが、ここは、まとめてどうぞ宜しくお願いします」
ルグランジェは、内心の葛藤を綺麗に覆い隠して微笑んだ。
本多天樹がどう受け取ったのかは、ルグランジェからも、読み取れない。
「中佐、貴官は……」
いずれ、全て知られてしまうかも知れない――そんな怖さを感じさせる空気を、天樹は持っている。
向けられた視線が、少し険しく見えたのは、ルグランジェの気のせいではないだろう。
「いや……何でも。元より貴官の配属は、既に幹部会で了承された事だ。第五艦隊や、第十三艦隊に比べると、第九艦隊は個性的な士官が多い。恐らく、貴官が再度〝隠者〟に戻るような余裕はないと思うので、そこは予め――覚悟を」
「承知しました――閣下」
ルグランジェは優雅な一礼で、天樹に恭順の意を示した。
「私の忠誠は、いついかなる時も、個人ではなく、医学の上にある。人道にもとる事だけは、首と胴が離れる事になっても、なし得ないと、お約束しましょう」
「………分かった」
噛み砕けば、天樹個人には忠誠を誓っていないと言っているのも同じだったが、意外にも天樹は激昂する事なく、口元に手を当てていた。
「あー……中佐、本多にその論法は通用しませんよ。いっそ清々しいって、悦ぶだけだ。って言うかですね、川に浮くとか、首と胴が離れるとか、物騒な例えから離れて下さいよ、お願いですから!」
「……手塚が常識人に見える」
「うるせぇよ、本多!喰いつくところ、そこじゃねぇだろ⁉︎」
「……そうだね、私もそこはちょっと、そう思ったかな」
毒気を抜かれた態のルグランジェに、今度は天樹が、緩やかに微笑った。
「では申し訳ないが皆、この後第九艦隊の幹部に少し顔を見せて貰った後、第五艦隊の執務室まで付き合って貰えるかな。自分で言う
のも何だけど、結構やり過ぎた部分もあって、それらしい言い訳を立てないといけない所が方々にあるんだ」
「……ツッコミどころ満載のコト言ってやがるな」
「口裏合わせ、的な……?」
呆れた表情の手塚と水杜にも、貼り付いた天樹の微笑は崩れない。
「ああ。最初はルグランジェ中佐だけで良いかと思ったけど、どうせ後から痛くもない腹を探られる事にはなるだろうからね。今の内から、齟齬がないようにしておくのが無難だろう?」
「……それはあくまで、閣下の台本に合わせろ、と言う事ですよね?」
答えは分かっていると言わんばかりの、ルグランジェの聞き方だったが、天樹は「良く出来ました」とばかりに、破顔した。
「――それは、もちろん」
「…………」
元祖〝奇術師〟の能力に、翳りは存在しないようであった。




