天樹Side1:続・ある夜の知らせ(前)
繰り返すようだが、地球軍と金星宇宙軍との争いは、本多天樹が生まれるよりも遥か昔から、続いている。
今となっては明確な理由を述べられる者もいないが、双方共に、傑出した指導者を欠いているが故の膠着だというのが、最も一般的な認識である。
武器商人、などと前時代的な呼ばれ方をする者も未だに存在しているようだったが、表立ってそれを追及する者もいなかったのである。
誰にとっても、一円の得にもならない、と言うひどく怠惰な理由で。
どちらの惑星にも、停滞と怠惰の感情がたゆっているのは、間違いのないところだと言えた。
そうして長引く戦争は、当然、義務や志願者で得られる以上の「兵力」を必要としており、それも、より「優秀な」兵力を必要としていた。
慢性的な人手不足を痛感していた軍は、その時点で、既に国の政府よりも大きな力、発言力を持っていた。無形の圧力で彼らは、緊急の会合を、当時の政府に開かせたのである。
主だった内容は「兵役を終え、在野に下った優秀な人材を復帰させたい」「義務兵役中に台頭してきた人材を、そのまま軍に引き留めたい」といったものであり、その為に法律の改正は出来ぬものかというのが、当時の筆頭議題だったようである。
軍高官たちと、政治家たちとの「高度な」政治取引が繰り返された結果、最初の会合から数年後、ついに国家はひとつの法律を、世に送り出す。
アステル法――当時の国家元首の名を冠し、それは命名される。
条項は事細かに定められたが、特筆すべきなのは、次の二点。
一つには、義務兵役である三年の間に、少尉以上の地位を得た者については、国家の許可なき退役を認めないというものだった。
10代にして、一兵卒としての兵役待遇から、尉官位にまで昇りつめる者ともなれば、希少と言ってもいいほどの才能の持ち主である。みすみす在野になど戻したくはない、と言うのが、まごうことなき軍の本音である。
過去、特にそう言った者たちが、みるみる経済界や政界の重鎮として昇りつめていくのを見れば、忸怩たる思いはいや増すばかりであり、その為に軍は、国家を更に突き動かして、条項をもう一つ、追認させたのである。
それが二点目の、軍による「スカウト」の合法化であった。
前述のケースと違い、義務兵役を全く当り障りなくやり過ごしてから、後々、天賦の才を発揮し始める人間も、決して少なくはない。
直近の例を挙げれば、本多天樹の父・本多鳴海などが良い例で、彼とて義務兵役中は全く目立たない一兵卒だったにも関わらず、今や一大財閥を動かす、経済界の最重鎮の一人だ。
彼がもし軍に留まってくれていたら……と、あらぬ妄想に思いを馳せる者は、今でも決して少なくはない。
今となっては、本多鳴海は既に年齢面で困難ではあるだろうが、そんな風にして、野に下ってから異才を発揮した、特に若手を、何とかして引き戻せないだろうかというのが、軍のもう一つの狙いだったのである。
通常、国立の士官学校卒業生が、少尉待遇から実戦の一歩を踏み出すのを基準に、経験や年齢に応じて、中尉や大尉待遇を与えたところからも、軍のこの法律への期待度には、並々ならぬものがあったと言えよう。
その他にも、士官学校の授業料を大幅に引き下げた事や、代わって一般の大学の併合や削減を進めて、国民の目を軍に向けやすくしたのは、何としても「兵力」を確保したい軍と、停滞する戦争への批判が、政治批判に繋がる事を避けたい国家との思惑が、上手く噛み合った結果と言っても良かった。
国家内の軍閥化を危惧する声は、それを上回る、兵力不足を叫ぶ声にかき消されたのだ。
この「アステル法」を行使出来る軍人は、現在に至っても、将官のみとは限られていたものの、そうして集められた人材が、確実に軍の、あるいは国家の組織そのものを揺るがしつつある事を、知る者はまだ少ない。
2595年時において、この法律の適用を受けて軍に入った人間は、まだ百人に満たない。だが明らかに、佐官級以上の士官の中での割合は増えており、そうして現在、その中の頂点に立っていたのが、本多天樹だった。
五年前の当時、大佐であった司狼・ファイザードは、実は彼自身が“アステル法”を受けて軍隊入りした経緯もさることながら、彼本人にアステル法の行使権がないため、話がその上官へと及んだ。司狼の説得を受けた天樹も、かつての司狼同様に、表向きその上官の招きを受ける形で、軍へと身を投じたのである。
『大体の経緯は、ファイザードから聞き及んでいる。……貴官の将来性に、期待しよう』
そう言ったウィリアム・クレイトン少将の、圧倒的な威圧感とその深紅の瞳は、5年の歳月を経た今でも、天樹の脳裏に焼き付いて、離れない。
クレイトンが、惰性の戦争を嫌う、軍の改革派の急先鋒であると聞き及んだ時、天樹は妙に納得したものである。
常に最前線に立ち、しかも艦隊自体が負け知らずであった為に、わずか5年で、その下にある天樹の階級も、飛躍的に上昇していった。
ほどほどに、軍とのパイプを持ったところで、辞めさせればいいと思っていたふしのある、本多鳴海や星香にしてみれば、大きな誤算であったに違いない。
そして天樹自身は、司狼・ファイザードが味方の裏切りから、クレイトンの艦を守る為に死地に残り、そのまま還らぬ人となってしまった時、自分がもう軍からは抜けられないと悟ったのである。