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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第一章 分岐点
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天樹Side1:ある夜の知らせ

『本多少将…落ち着いて聞いて欲しい』  


 そのTV電話(ヴィジフォン)が鳴り響いたのは、既に夜も更けた頃の事であった。回線を繋げた部屋の主を遮るように、その一言は発せられる。


『ロバート・デュカキス大佐が亡くなった』


 青年は、答える代わりにその秀麗な眉を、わずかにひそめて見せた。

 衆目の見るところ、突出した個性を主張する容貌ではないが、知性と気品が上手く調和され、充分な威圧感を周囲には与えていた。

 少なくとも、青年に電話をかけた相手の方では、気圧されて、即座に次の言葉を続けられなかったのである。 


『……少将?』


 再度不安げに、TV電話越しに呼びかけるのが精いっぱいだった。


「聞こえてるよ」


 静かな一言が返されたのは、いったいどのくらいたってからの事だったのだろうか。

 相手は続ける言葉を失ってしまい、いっそ事務的に、用件のみを伝えるしかないと、小さく息を吸った。


『君と彼とが、戦場以外でも親しくしていた事は、俺も知っているつもりだし、出来るなら結論を急がせたくはない。ただ……後任を決める必要が、どうしてもあるという事だけは、理解しておいて欲しい』


 よく分かっているつもりだ、と答えた声はとても低く静かなものであり、全ては相手の耳には届かなかったと思われる。

 相手が、そんな青年を気遣うように TV電話(ヴィジフォン)を切った事にさえ気付かず、彼はしばらく呆然と、そこに立ち尽くしていたのである。


「……ロバート……?」


 ブラックアウトしたディスプレイが、青年に何かを答える事はない。


 ――西暦2595年の、11月も半ばに差しかかった頃の出来事であった。 



.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜



 人類が光を超える速度を手にしてから、現在は五世代程の年代が経過している。


 地球政府は当初、膨れ上がる人口のはけ口であるかのように、他惑星への植民政策を推奨していた。だが第一世代移民となった金星市民が、地球政府からの干渉を拒んで太陽系内の航行権や、未開の惑星の資源権利を主張しはじめたところで、事態は開発の歴史から抗争の歴史へと一変してしまった。


 火星と水星は、度重なる周辺宙域での抗争の結果、磁場の破壊された航行不可能宙域となり、現在ではその存在は理科の教鞭においても、過去の遺物として取り扱われている。


 木星・海王星・冥王星は地球政府の監督下に置かれ、土星と天王星は金星政府の監督下に置かれた。唯一、月だけが百年程前に「中立宣言」を発して、独自の政治を行ってはいるものの、地球や金星の勢力を凌駕するまでには及んでいない。


 したがって、2595年現在の認識としては、地球と金星が太陽系の各地で苛烈にも緩慢にもならない争いを繰り返していると言うのが、最も一般的なものだったのである。


 戦争が恒常化している以上、政治の実権は議会ではなく、軍部が握り続けている。特に地球においては、今や政府すら軍部に取り込まれた、実情は全くの軍人政権である。


 一度金星と抗争が起きるたびに、莫大な国家予算と人命が損なわれてゆき、その度に士官の平均年齢も大幅に下降していった。


 本多天樹(ほんだたかき)がこの春、地球軍宇宙局作戦部所属の第九艦隊司令官として、23歳の若さで少将職に就いたのも、冷静に考えれば、決して栄誉なだけで済む事態ではなかった。


「…っ」


 いつの間に電話を終えていたのか、と天樹を再び現実へと引き戻したのは、この日二度目となる、ベルの音であった。


電子文書(ファックス)か……」


 天樹が生まれる遥か昔は、紙として出力されたというそれは、今はTV電話(ヴィジフォン)の画面上を、音とともに流れていくだけだ。


 その音が改めて天樹に、先ほどの人事部の知人との会話を思い起こさせた。


 ロバートの代わり、と彼は確かに言った。

 送信されてきたのは、恐らくは人事部推薦の「人材リスト」だ。


 ロバート・デュカキス大佐は第九艦隊、すなわち、本多天樹が現在司令官を務めている艦隊において主任参謀を務めていた男である。


 視野の広い、極めて優秀な軍人であると同時に天樹の良き理解者でもあったのだが、今回限りの特例措置として、他艦隊の参謀補佐を命じられて、出兵していた。


 亡くなった、という言葉は決して事実の全てを網羅したものではなく、恐らくはその艦隊が、金星側の宇宙艦隊に敗れ去ったのだろろうという事は、天樹にも容易に想像がついた。


「気楽に言えるものだな……!」 


 彼ほどの男の「代わり」など、急務でどうにかなるものではない――そう口にしかけて、天樹はその瞬間、愕然としたようにその場に立ちすくんでしまった。


 まだ受信を続けているTV電話(ヴィジフォン)の横の壁に、自らの手を乱暴に叩きつける。


(俺は……俺も、この程度なのか!)


 知らされたのは、友人であった筈の男の死。

 にも関わらず、戦争が続くこんな世の中だからと、自分は今、どこかで納得しかけてはいなかったか。


 人ひとりの死が、こんな風に日常の営みの中で密やかに薄れてゆくのなら、残された者の「罪」はあまりにも大きい。


 むしろその精神構造が、己を正常に保つための最後の「楯」だと言うのなら、それも「人」としては、救い難い事ではないのか。


「………っ」


 それでも文書は、まだ受信を続けている。

 天樹は切れそうな程に強く、拳を握り締め、しばらくそこに立ち尽くしていた――。

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