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地下一階

 地下で眠る彼の顔は間違いなく私の夫であるはずなのに、まったく知らない人に見えた。ベッドで横になっていた先程までは私の夫だったのに。最期の言葉は

「また、何度でも会いに行くよ」

 だった。かっこつけすぎだと思う。

 昔からロマンチストだった。星が好きで、しょっちゅう星座の観察に付き合わされていた。私はその横でいつもコーヒーの用意をしていたから、コーヒーを淹れるのだけがやけに上達してしまい、今では近所のカフェでコーヒー担当のパートをしている。おかしいなあ、飲むなら紅茶の方が断然好きなのに。

「またっていつなのよ」

 ぽつりと呟く。初七日まではこの世にいると言うし、先程亡くなったばかりだから今なら答えてくれるのでは? でも彼は何も言わなかった。

 しばらくしたら医師や看護師が来て何やら処置をしている。ぼけっとしている私の代わりに息子と娘が親戚への連絡や葬儀場などの手配をしてくれた。

「じゃあ、また」

 退室を促されて安置室を出る。またってなんだ。次に彼を見るのはお通夜だろうか。今夜? 今はまだ朝と言って差し支えのない時間だから、次に会うのが夜なら普段と変わらないな、なんてぼんやり考える。

 彼のいた病室に戻って荷物を回収していたら娘の双葉と息子のお嫁さんが来てくれた。

「母さん、大丈夫?」

「よくわからないわ」

「それは大丈夫ではないということね。食事にしよう」

 そう言えば朝から何も食べていなかった。夫の荷物を持って女三人で病院を出た。駅前の喫茶店で軽く食べて家に戻る。そこに息子の一斗もやってきて四人で今後の予定を確認する。

「わかりました。エンディング・ノートを持って駅の向こうの葬儀屋さんに行けば良いのね」

「俺も行くよ。優花はあとで一花と一馬を連れてきてくれ。時間は決まったら連絡する」

「ええ。あなたの喪服も持ってきます」

「助かるよ」

「私は家の片付けしておくね」

「お願い。寝室は触らないでね。積んである本も」

「もちろん」

 そして各自の役目に取りかかる。人一人が死ぬって大変ねえ、なんてぼんやり考えつつ、葬儀屋さんと打ち合わせる。大体のことは健介さんと生前に決めておいたので、それを伝えるだけだ。

「ご主人はしっかり用意をされていたのですね。奥様のこともよく考えられて」

「両親は息子の僕から見てもおしどり夫婦でした。こんな夫婦になりたいと妻とも話すほどで」

「お褒めに預かり恐縮です」

 そんな用意されたような会話をしつつ、打ち合わせは滞りなく終わる。帰宅すると既に孫の一花が家に来ていた。

「おばあちゃん、お花どうぞ」

「ありがとう。おじいちゃんも喜ぶわ」

「違うよ、おばあちゃんに」

 渡された小さなブーケにはトルコキキョウやケイトウなど鮮やかな花が詰め込まれている。

「おじいちゃんが死んでしょんぼりしてると思って持ってきた。生けておくね」

 そう言って一花はブーケを回収して勝手に花瓶を出してくる。そういえばあの花瓶は一花が買ってきて家に置いていたものだ。

「おじいちゃんには別の花を用意するから、おばあちゃんは着替えておいで」

 孫の言葉に甘えて喪服へ着替える。その間に葬儀屋さんが来て双葉と共にお通夜の用意をしてくれて、そうこうしているうちに夫が一斗と共に家に帰ってきた。

「おかえり」

 一応そう言うけど、当然のように夫はなにも返事をしない。一花が花を供えていて、オレンジや黄色、茶色の入った秋らしい色のブーケだ。少しぼんやりしてからお通夜の用意をすることにした。通夜振る舞いの手配や翌日の葬儀に来る人の確認。大体のことは葬儀屋さんでやってくれるので助かる。それも健介さんがきちんと用意をしておいてくれたからだ。

 なんやかんやしているうちに人が集まり、そして去る。今夜は家族だけで静かに過ごす事になる。明日の夜はきっと一人きりでもっと静かなのだろうけど。

 薄暗い部屋の中、棺の横でぼんやりお茶を飲んでいると一花がやってきた。手元には先程のブーケを生けた花瓶を持っている。

「これね、ケイトウ。花言葉は変わらぬ愛。そんでこっちはトルコキキョウで花言葉は希望と永遠の愛」

「ロマンチックねえ」

「おじいちゃんの孫だから」

 そう言って笑う一花はびっくりするくらい健介さんに似ていた。

「お父さんもお兄ちゃんも双葉叔母さんも、そうでしょ」

「本当にねえ。揃いも揃って……みんなロマンチストで……優しくて……」

 そうして私は甘やかされていた。夫は私を大事にしてくれていて、その温かい手がこんなにも冷たく押し込まれている。

「おじいちゃんは生きてるんだよ。覚えているうちはずっと生きてる。おじいちゃん、言ってた」

 だから、大丈夫。

 私よりも何倍もしっかりした孫はそう言って花瓶を渡してくれた。変わらぬ愛。永遠の愛。そして希望。

「また、何度でも会いに行くよ」

 彼の言葉が聞こえた気がした。


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