月虹
空を見上げると月虹が出ていた。綺麗なのに、だからこそ切なくて胸が苦しい。私はこれを誰かと見たかったはずなのに。
「誰か、じゃないよね」
ぽつりと呟いた。誰でもいいわけでもなければ、不特定多数の誰か、でもない。私が未だ忘れられずにいるただ一人と私は月虹を見たかった。
その人は高校一年生のときの同級生だった。たぶん一目惚れだったのだと思う。
「臼井健介です。第二中から来ました。高校では天文部に入りたいです」
入学式のあとのホームルームで彼はそう自己紹介していた。背はそんなに高くないけど、短い髪と精悍な顔つきが格好いいと思ったのだ。だから天文部に行けば話が出来るかな、なんて浮ついた気持ちでなんの興味もない天文部の部室に行った。そしたら予想通り彼はいて
「同じクラスの……木原さん、だよね」
と、声をかけてくれたのだ。私はそれだけで舞い上がってしまい、彼と話をするために頑張って星のことを勉強したのだ。顧問の地学の先生に笑われながらもあれこれ教えてもらい、天文部の先輩達に応援してもらった。自分でも当時はかなり頑張ったし、その頑張りが今の糧になったとは思う。
でも、そんなことより私は彼に生きていて欲しかった。
一年の夏休みに、屋上で合宿をすることになった。前日の内に望遠鏡を屋上前の踊り場まで上げて、シュラフや飲み物、おやつなんかも用意して。彼は星座盤を見たり、スマホで天気を確認してとても楽しみにしていたのだ。私も浮かれて、あわよくば告白を……なんて考えてた。できなかったけど。
「臼井くん、遅いね」
「ですね。いつもなら真っ先に来てそうなのに」
合宿当日、部室で先輩と首を傾げていると、いつもはのほほんとした顔の顧問の先生が真っ青な顔で飛び込んできた。
「臼井、来られなくなった」
「え?」
「風邪とかですか?」
「はしゃぎすぎて転んで怪我したとか」
「ありそう」
先輩や他の部員はそんな暢気なことを言うけど、私は胸がドキドキして何も言えない。先生も青い顔のまま首を横に振った。
「学校に向かう途中、信号無視の車に跳ねられたそうだ」
「……そんな」
「君たちは引き続き合宿の用意をしていてくれ。もしかしたら……できないかもしれないけど」
そう言って先生は部室を出て行った。残された私たちは顔を見合わせるしか出来ない。
「木原ちゃん、大丈夫?」
先輩が気遣わしげに私を覗き込むけど、ただ首を振ることしか出来なかった。臼井くんは無事なのだろうか。せめて、生きていてくれたら。しかしその願いは虚しく、数時間後に再びやってきた先生が彼の臨終を伝えた。
合宿は当然中止になって、部長と私が部活と同級生代表として先生に連れられて彼の家族に挨拶に行く。彼のお母さんは俯いてすすり泣いていて、お父さんは目を赤くしてそれでも来る人来る人に挨拶をしていた。
「あの、これ」
タイミングを見て彼のお母さんに、忘れ物を渡す。
「臼井くんが大事にしていた星座盤です。部室に置いてあったのでお返しします」
するとお母さんは目を見開いてから首を横に振った。
「それ、あなたが持っていてくださる? 健介から聞いています。いつもキラキラした顔で話をする女の子がいると。いえ、女の子とは言ってませんでしたけど、きっとあなたのことでしょう。ずっと、とは言いませんけど、しばらくは持っていて」
「……はい。ありがとうございます」
頭を下げてその場を去った。そっと星座盤を学校の指定カバンに入れて持って帰る。その星座盤は大人になった今でも大事に持っていて、仕事に悩んだ時などに取り出しては勇気をもらっている。
月虹はゆっくりと薄くなっていた。共に観測していた同僚はいなくなっていて、望遠鏡だけが残されている。彼の影響で星や月を調査する研究員になった私は、たぶんまだ彼がやってくるのを待っている。
「お待たせ! 遅くなっちゃった」
そう言って笑顔で彼が来るのを、たぶん、ずっと。




