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レシピ

 会社に行くと、見知らぬ男性が私の席に座っていた。

「すみません。そこ、私の席なのですが」

「あ、すみません! 俺、いえ私は今日からこちらでお世話になる臼井健介と申します」

「そうなんですね。私は木原透子です。臼井さんの席はこちらですね」

 そう言って隣の席を指すが彼は私の顔を見てぽかんとしている。

「あの?」

「はい! す、すみません。移動します」

 臼井さんは慌てて荷物を移動し、自身も隣の席に移る。彼が落ち着いてから私もカバンを下ろして自席についた。

 パソコンでメールやタスクを確認しつつ、臼井さんと雑談をする。年は同い年で三十になったところ。前職では下請けのエンジニアをやっていたけど、あまりの薄給と長時間労働がキツくて転職したこと。長く一人暮らしであること。

 しばらくすると上司がやってきて臼井さんは連れられて行った。今日はなにからしようかな。書きかけの資料を見直しつつ続きを書こうかな。

「木原さーん」

 名前を呼ばれて顔を上げると、上司が臼井さんとともに戻ってきていて手招きをしている。

「お呼びでしょうか」

「うん。こちら今日から入る臼井くん。しばらく木原さん一緒にやってくれる? とりあえずビルの使い方と資料の置き場所を教えてあげて」

「承知しました。今からで大丈夫です?」

「お願い」

「では臼井さん。こちらです」

 臼井さんを伴ってトイレや給湯室、ロッカーの使い方を説明する。カードキーや入退館の時間、チーム内で最後になったときの施錠など覚えることは山ほどある。その後はパソコンを開いて仕事の資料が置いてある共有フォルダの場所や、個人フォルダの使いから等、あれこれ説明してさらに不明点など確認している内に昼前になってしまった。

「すみません。午前中が潰れちゃって」

「かまいません。急ぎの仕事はありませんから。あ、お昼なんですけど」

 私はお弁当を持ってきているけど臼井さんはたぶん持っていないだろう。どうしたものか。

「このビルの一階のコンビニでなにか買ってきます。隣でお昼をご一緒してもいいでしょうか」

「ええ」

 上司や同僚のほとんどは外に食べに行った。私と臼井さんは並んでお弁当を食べる。

「……木原さんのお弁当おいしそうですね」

「そうですか? 残り物ですよ」

「でもそれを昨晩作っているんでしょう? すごいです。俺も作ってこようかなあ」

 なんてのどかな雑談をしている内に昼は終わった。午後は確認して欲しい資料を渡して、私は自分の仕事に着手した。

 翌日、臼井さんは本当にお弁当を持ってきた。結構大きめのお弁当箱にはおかずもごはんもたんまり詰め込まれている。でもどれもおいしそうだ。

「頑張りました……と言ってもほとんど冷凍なんですけどね」

「大事なのは続けることですから、おいしければなんでもいいんですよ」

「あ、でもこれ。卵焼きだけは自分で焼きました。……きれいには巻けなかったんですけど」

 そう言って見せてくれた卵焼きは薄い黄色でたしかに形はいまいちだけど、少なくとも火は通っている。

「昨日、木原さんのお弁当に入っていた卵焼きがおいしそうだったんで頑張りました」

「そうなんですね。……交換しますか?」

「え?」

 臼井さんは目を丸くした。自分でもいきなりこんなことを言い出すのはどうかと思うけど、でも臼井さんが焼いたという卵焼きがとてもおいしそうに見えたのだ。

「その、嫌でなければ」

 遠慮がちに言いつつ、しかしもう一押し。臼井さんはすぐに「いいですよ」と頷いてくれた。

「おいしい! すっごいおいしいです!」

 もらった臼井さんの卵焼きはとてもおいしかった。甘い卵焼きではなく出汁巻きで、ややしょっぱめなのがごはんに合う。おいしい。毎朝作ってほしいって言いたいけど、それプロポーズじゃない?

「お口に合って何よりです。一人暮らしするときに母がくれたレシピ集に載ってて、簡単でおいしいからたまに作ってたんです。練習の甲斐がありました」

 そう言いながら臼井さんは私が渡した卵焼きを食べた。こちらは本当に普通の甘い卵焼きである。

「おいしいです。甘すぎなくてしっとりしてて……懐かしいな」

「え?」

「あ、あー……えっと、その。そ、祖母が! 母が作る卵焼きは出汁巻きなんですけど、祖母が作るのは甘い卵焼きで。なので懐かしいなって」

「そうだったんですね」

 そして二人で残りのお弁当を食べる。その後私が臼井さんの家で出汁巻き卵のレシピを教えてもらい練習を繰り返すようになるのは、そんなに後のことではない。


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