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裏腹

「おめでとう!」

 リビングに行くと、子供達が一斉にクラッカーを鳴らした。隣に立つ夫が目を丸くして、それから破顔する。

「ありがとう。覚えててくれたんだ」

「もちろんだよ。だって父さんと母さんの銀婚式じゃないか」

「そうよ。せっかくだから旅行とか行っておいでよ」

 夫が喜び、息子と娘が祝いの言葉をかける。私はそれを他人事のように夫の斜め後ろから眺めていた。

「あなたたち、このためにわざわざ集まったの?」

「そうだよ。こっそり用意してたんだ」

「母さんの好きなケーキ屋さんのケーキ、頼んでおいたよ」

 そう言って娘が指したのは私ではなく娘の好きなケーキ屋さんのケーキだ。穏やかで和やかで暖かい雰囲気とは裏腹に、私は苛立ちが増して、吐きそうだった。

「そうそう。料理も悩んだんだけど、父さんはやっぱり母さんの手料理が一番かなってね」

「お、わかってるじゃないか」

「だから食材だけ用意したの。ちゃんと四人分あるから、母さん夜ごはんはお願いね」

「お前達、気が利いてるなあ。なあ母さん」

 それでもう、ダメだった。気が利いている? バカも休み休み言え。というかこちらの予定くらい確認しろ。私は午後は用事があるから夜は不在だ。

「母さん?」

 娘が笑顔でこちらを見る。手元に熱いお茶がなくて良かったわね、だなんて思ってしまって、どうしようもないと気付いた。

「ねえ、茂さん。離婚してください」

 空気が固まった。娘は口をパクパクと金魚のように動かし、息子は「は? え? 母さん? 冗談だろ?」なんてバカみたいに口走っている。

「こら、母さん。祝いの席でなんてことを言うんだ。子供達に謝りなさい」

 夫は目をきょどきょどと忙しなく動かしつつも偉そうに顎をしゃくる。どこまで私を馬鹿にしているのだろう。仕草の一つ一つが気に入らない。

「祝いの席? あのね、私はこれから出かけるの。あなたたち、いつまで母親が家で自分たちの帰りを待っていると思っているの? 甘ったれないで。なんで予定の確認すら出来ないの」

「そ、それは、だって」

 まだ甘ったれた言い訳をしようとする息子にも、こちらにおもねるように視線を送る娘も気持ち悪くて仕方ない。

「だいたい夜ごはんはお願い? ふざけないでよ。いつまで子供気分なの? 私は家政婦かなにかかしら。建前は私と茂さんの銀婚式のお祝いよね? それなのに主役におさんどんさせるってどういう神経なの? だからあんなババアに子供を預けるのは嫌だったのよ」

 あんなババアとは夫の母親である。息子が幼稚園に入り、娘が一歳になったころ、唐突に夫と義母に言われたのだ。

「これからはなにかと入り用になるし、母さんに子供を任せて透子は働きに出るといいよ」

 もちろん抵抗はした。しかし夫と義父母に言いくるめられ、私の両親からも嫁いだ身なのだから従うようにと諭され、結局根負けしてしまった。そして出来上がったのがご覧の通り、三文安の甘ったれだ。

「あのババアに取り上げられてから、あなたたちを子供だとは思えなくなったの。無理。無理! なにかと言えばおばあちゃんは許してくれるのに! お母さん嫌い! おばあちゃん大好き! それでどうして私があなたたちを愛せると思うのかしら」

 夫と息子、そして娘は顔を青くしていた。溜飲なんて一つも下がらず、怒りが増えゆく一方だ。

「まあいいわ。三つ子の魂百まで。あなたたちは一生三文安していればいいし、茂さんは死ぬまでマザコンしてればいい。それに私を巻き込まないでくれれば、それで。じゃあ」

「え?」

 夫が間抜けな声を上げた。私は踵を返し、寝室のカバンを持って家を出る。ドアを閉める前、呼び止める声が聞こえた気がしたけど、無視して閉めた。

「さて、どうしようかしら」

 勢いで出てきたものの、行き先は特にない。実家は『嫁いだら実家などないものと思え』が家訓なので頼れるわけもなく。

「そうねえ」

 スマホをすすっと操作して、取りあえず職場最寄り駅前のビジホの予約を取った。さくっと移動してチェックインしてから散歩がてら歩いていると不動産会社が目に入る。何の気なしに単身用のマンションを見ていると中から人が出てきた。

「興味がおありでしたら、他の似たような物件もご案内できますよ」

 どうしよう。さすがにいきなり家を借りるのは……でもこういうのは勢いかしら。悩みつつ声をかけてくれた男性の名札を見ると『臼井』とあった。顔を眺めると、見覚えがあるような?

「……もしかして臼井くん?」

「……もしかして木原さん?」

 まさかの中学の同級生との再会だった。当時付き合っていたのだけど私が親の転勤で地元を離れてしまいそれっきりだったのだ。

 これは……運命では? そう思ったのは私だけではなかったらしい。

「えっと、良かったら物件を案内がてらドライブでも?」

「ぜひ」

「うん。ちょっと待ってね」

 臼井くんは懐かしい笑顔で頷いた。これでときめいてしまうのは五十も超えて軽率だろうか。でも、なにかを期待せずにはいられなかった。



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