鍵
彼を見た瞬間、心の扉の鍵が開いた音が聞こえた気がした。鍵はもちろん彼であり扉の中身は喜びやときめき、そして僅かな懐かしさだった。
「臼井健介です。東京から来ました。不慣れなことも多いと思いますが、よろしくお願いします」
彼はそう言って教壇の上でぺこりと頭を下げた。先生が私の隣の席を指す。
「一番後ろの空いてる席に座ってね。わからないことは隣の席の木原さんに聞いてくれたらいいから」
「わかりました」
臼井くんは私の隣にやってきて……転んだ。
「えっ」
「だいじょうぶー? 転校生くん」
「大丈夫。慣れてるから」
私の斜め前に座る大木茂がわざとらしい声をかけるけど、臼井くんは穏やかに受け流した。大木くんはつまらなそうに舌打ちをする。
「臼井くん大丈夫かな? 緊張したかな?」
先生はのんきに言う。大木くんが足をかけただなんて思ってもいないのだろう。少し迷ってから私は手を上げようとするけど臼井くんに止められた。臼井くんは笑顔のまま首を横に振る。
「でも」
「大丈夫だよ。慣れてるから。それより一時間目の授業ってなにかな」
ちらりと前を見ると既に先生はいなくて、大木くんがこちらを睨んでいる。それを無視して机から国語の教科書を出した。
「一時間目は国語。教科書、一緒に見よう」
「ありがとう。そうだ、名前。臼井健介です。よろしくお願いします」
「木原透子です。こちらこそよろしくお願いします」
まじめくさった挨拶に、私も同じように返す。顔を上げて互いに笑って臼井くんは席に着いた。大木くんがまだ睨んでいて、私は見ないようにしていたけど臼井くんはひょこっと顔を出す。
「ね、サッカーと野球はどっちが好き? 昼休みに一緒にやろうよ」
「は? オレ? ……サッカー」
「サッカーね! 俺はあまり得意じゃないから教えて!」
「しょうがねえなあ」
大木くんはニヤニヤしながらわざとらしくため息を吐いた。私は臼井くんの手際の良さに目を丸くして見ていることしか出来ない。
「すごいねえ」
「そう? こういうのは慣れだから」
聞けば臼井くんのお父さんはテンキンゾクだそうで、二年、短ければ一年での引っ越しを繰り返しているのだそうだ。幼稚園から小学五年生の秋までに四回の引っ越しをしているのだそうだ。
「大変だねえ」
「うん。だから、ちょっとやそっとの意地悪には慣れちゃうんだよ」
でも、てことはまたすぐに引っ越しちゃうのだろうか。あと一年ちょっとで卒業だけど、一緒に卒業できるのだろうか? 卒業できたとして中学は?
「ずっと、一緒だよ」
「え?」
私の考えを見透かしたかのように臼井くんは言った。まっすぐに私の目を見る。
「もしかしたら引っ越しちゃうかもしれない。転校になるかもしれない。それでも必ず俺は透子に会いに行くよ」
「えっと、それは……?」
私たち、初対面だよね? 私の困った顔に気付いたのか臼井くんははっとした顔で目を反らす。
「ご、ごめん。いきなりで、キモいよね」
「キモいなんてことはないよ! ただちょっとびっくりしただけで」
慌てて否定する。私は驚いただけで、臼井くんを嫌になんてなってないのだ。だって彼は私の心の扉を開いた人だ。
「なんだろうね。自分でもわからないんだけど臼井くんと初めて会ったはずなのに懐かしかったんだ」
「そっか。それなら嬉しいな」
臼井くんがまた笑ってくれた。
これが、私たちの出会いだった。




