冬の女王の守る物
雪が降り、長い長い冬が続いていた。たくさん積もった雪により、作物は育たず、人々は飢えの危機に貧していた。
この長い冬を終わらせるためには冬の女王に塔から出てきてもらうしかない。そう人々は考えた。しかし、塔から何故、女王が出てこないのか検討もつかず、打つ手はなかった。
「このまま凍え死んでしまうのではないか」
「飢え死にしてしまうのではないか」
そんな声が多く聞かれた。
ある日、塔までいって冬の女王を引きずり下ろしてしまおうと考えたものがいた。
「民衆よ! 立ち上がれ! 力を合わせて冬を終わらせるんだー!」
『おおー!!!』
そして、人々は立ち上がった。塔に何があるかも知らずに……。
塔に向かったのは、町の若い男たちのグループ5人だった。男たちは、雪をかき分けながら塔への道を進んでいった。
「あまりにも雪が多いな。このまま本当に塔にたどり着けるのだろうか」
一人の男が呟いた。
「何とかするしかないだろう。このままでは皆で死んでしまうことになるのだからな」
「ここまでこれたんだ。大丈夫だろう」
男たちは、口々に言った。何の根拠もなかったが、そんなことを言うくらいでしか自分たちを奮い立たせることができなかったのだろう。
そのあとは、男たちは何も話さず、ただひたすらと歩くことに専念した。すると、木々の間から塔が姿を現した。塔は雪に覆われて真っ白になっていた。
「やっとたどり着いたな」
「あとは冬の女王に会いに行くだけだな」
『—―貴様ら、何者じゃ』
「今、誰か喋ったか?」
男たちが話しているところに誰かの声が加わった。それは、重く低く、同時に恐怖を感じさせるような声だった。男たち以外には誰もいないはずの空間で一体だれがしゃべったというのだ。
その時、男たちを冷気が包んだ。今までの寒さとは違う、凍り付いてしまうような寒さだった。
「おいおい、何が起こっているんだよ。おかしいくらいに寒いじゃないか」
その冷気は、塔の方から流れてくるように感じた。
冷気が来る方の木々は、だんだんと凍り付いてきた。
「やばい! 逃げるぞ!」
男たちは逃げ出した。しかし、最後尾の男から冷気に包まれ、氷漬けにされてしまった。一人、また一人と氷漬けにされていく。
一番前を走っていたメンバーの中で一番若い男だけが村まで辿り着くことができた。その男は、自分の見たもの聞いたものを村の者たちに語った。男の話を信じる者がいれば、幻覚だとバカにする者もいた。しかし、後者の者たちも塔へ続く道が凍り付いているのを見てみんなが信じた。
そして、次の日には、村全体が氷漬けにされていた。
───時が経ち、1年後、季節は回らなくなった。
凍り付いた村には、誰も立ち入ることがなく、時が止まったように見えた。
その村に一人歩く人間がいた。それは、少女のようだった。塔から真っ直ぐに村の出口へと向かっている。その少女の目的を知る人物は、たった一人だけしか知らなかった。
少女はひたすら歩いた。氷漬けにされた道を。転んでしまいそうになりながら。目的を果たすため、約束を果たすため。
丸々3日歩いた頃、少女は一つの村に辿り着いた。そこは、温かく、木々が生い茂り、花も咲いていた。その村には、春の女王が住んでいた。少女の目的は、春の女王に会うことだった。
「春の女王様、冬の女王からの伝言を持って参りました」
「伝言? やっと塔から出てくる気にでもなったとか?」
春の女王は、鼻で笑った。
「あいつが出てこないとこっちも仕事ができないのよねぇ。困っちゃうわ」
そう言いながら、春の女王は、少女から手紙を受け取った。その伝言を読んだ途端、春の女王の表情は、真剣なものになった。
「冬の女王からの伝言は受け取った。お前はもう戻ってよい」
「ありがとうございます。どうか春の女王様にご加護がありますように」
そう言い、少女はきらきらとした氷の粒に包まれていった。きらきらとした氷の粒は彼女ととも空気にに溶け込むように消えていった。
「……時は満ちた、というところね」
春の女王は手紙をじっと見つめてから立ち上がり、宣言した。
「これから冬の女王の元へ行く。すぐに支度を整えろ。明朝、出発する」
春の女王は、冬の女王の元へ向かった。
凍り付いてしまった道をひたすら進んでいく。春の女王の通った後は氷は溶けていた。しかし、塔に近づいていくにつれてなかなか氷が溶けづらくなっていく。
塔が見えてくるぐらい近づくと、春の女王が通っても氷が溶けなくなっていった。
たどりついた塔には、少女が待っていた。
「春の女王様、冬の女王がお待ちです。こちらへどうぞ」
小柄な少女は春の女王に手紙を届けてきた少女によく似ていた。
「お前、雪精か?」
「はい、そうです」
案内していた少女に春の女王が問いかけると少女は短く答えた。雪精は冬の女王が生み出す精霊である。
「今、雪精は何人いる?」
少女は表情を少し曇らせて「……あと3人です」と小さく答えた。
雪精は冬の女王に仕える精霊だ。春の女王にも花精という精霊がいる。精霊の数は女王が望んだままに生み出すことができる。
「3人か……。随分少ないな」
「はい……。もう、時間がありません」
「こちらです」
雪精に案内されて着いた部屋は扉が凍りつき、冷気で包まれていた。
雪精は、ギィィッと音を立てながら扉を開けた。
「主様、春の女王様をお連れしました」
「ありがとう。ご苦労だった」
冬の女王は、広い部屋の真ん中にポツンと置いてあるベッドに横たわっていた。
「あら、冬の女王、随分重症みたいね」
「見れば分かるんじゃないかしら」
冬の女王の声は小さく、かろうじて聞き取ることができる程度だった。
雪精が春の女王のために椅子と暖かい紅茶を準備して部屋から退出した。その椅子の座って、春の女王は話し始めた。
「こんなに弱っているとは思わなかったわ。外は吹雪いているから力が有り余っているもんだと」
「逆よ。もう暴走を始めているわ」
冬の女王は自嘲するように小さく笑った。
「どうするのよ、これから」
春の女王が尋ねた時、扉が小さくノックされた。雪精とは違う装いの少女が現れた。
「来たわね……」
冬の女王は、辛そうにしながら体を起こした。
「……人間?」
「そうよ。この子はこの塔で唯一の人間よ。次はこの子にしようと思ってね」
「そう……。いいんじゃないかしら」
「女王様? 一体、何のお話を?」
少女は、話についてこれず、困惑している。
「これから、この塔に起きたことを話すわ。そして、これから起きることも。しっかり聞きなさい」
辛そうな冬の女王に代わって春の女王が話し始めた。
「今から1年半前、秋の女王から冬の女王へと交代したとき、異変が起こった。何者からか攻撃を受けたわ。その攻撃は塔に限定されていた。だけど今後どんな攻撃を仕掛けられるか分からない。だから、冬の女王は対策として塔を雪で覆うことにしたわ。……だけど、それも失敗に終わったわ」
「失敗?」
春の女王は冷めきった紅茶を手に取り、話を続けた。
「雪で覆う過程で攻撃を受け、大きな傷を負ったわ」
雪の女王が怪我を負ったことは少女も知っていた。その時から雪が多くなってきたから。
「その結果、雪の女王は雪のコントロールを失い、雪が暴走、塔が凍りつくってことになってしまった」
少女は、女王から明かされた真実に驚いた。人々を守るために雪で覆うこととなった。しかし、その真実は誰にも伝わらず、人々は皆、雪の女王が国民を苦しめているというように捉えてしまっている。
「どうして、真実を告げないのですか?」
「真実を告げることは最善策だとは思わなかったからよ」
春の女王は、手にしていたティーカップを机に置き、ゆっくりと私の目を見つめた。
「もし、国民に真実を告げたとして。国民はどう感じると思う? 」
国民が感じること。私は春の女王からの問いかけにうまく答えを出すことができなかった。
「あなたみたいに女王に対し肯定的な意見も持つ人だけじゃない。女王が怪我をして弱っているってことは攻撃をするチャンスってことでしょ? それは暴動にも繋がる恐ろしいことなのよ」
少女は春の女王の言葉を聞いて納得した。暴動が起きてしまったら怪我を負っている冬の女王では対処することができないだろう。
「だから真実すらも氷の中に閉じ込めてしまったのよ。でも、それも今日で終わり」
そう言って、春の女王は立ち上がった。すると、足元からキラキラと暖かな光が溢れ出し、凍り付いていた床や壁を溶かしていった。
「私は秋の女王とともに攻撃してきた奴らの正体を掴んで、夏の女王がぶっ潰してくれたわ。見せしめにでもしてやろうとしたのにあの子ったら喧嘩っ早いから気づいたらやっちゃってたのよね」
呆れたように言う春の女王だが、その表情はとてもとても、優しいものだった。
「冬の女王、お疲れ様。ゆっくり休んでね」
「こっちこそ、何もできなくてごめん」
氷を溶かしていた光は冬の女王を包み込み、冬の女王の体を少しずつ溶かしていく。
「ま、待ってください! 冬の女王が消えてしまいます!」
「冬の女王はもう限界なの。だから、こうするしかないのよ」
泣きそうな少女に春の女王は諭すように言う。
「そんな顔していないで。こっちにいらっしゃい」
冬の女王は少女を自分の近くに呼び、両手を優しく握った。その手は暖かかった。
「次はあなたが冬の女王になるのよ」
「ど、どういうことですか? 私が女王様になるだなんてできるはずもありません」
突然の話に少女は困惑している。
「私が消えたら冬の女王が不在になってしまうでしょ? 次の女王を探さなくちゃいけない。私はずっとあなたに次の女王になってほしいって思っていたわ」
「でも、私はただの使用人ですよ。独りだった私を拾っていただいたことには感謝してもしきれないくらいです。ですが……」
冬の女王は「そうねぇ……」と考えてから少女の目を見た。冬の女王の瞳は夜空のような深い青色だが、そこに春の女王の光が反射して星空のように見えた。
「冬は好き?」
「……もちろんです。女王様の作る冬は寒いだけじゃなく、優しいです。雪の中遊ぶ子供や村人たちを見守る女王様が大好きです」
「それなら大丈夫」
冬の女王が優しく微笑むと繋いでいた手から冷たい何かが流れてくるのを感じた。冷たい何かは体温となじむようにだんだんと暖かくなり全身に広がったように感じた。
「あなたに私のすべてを渡したわ。あなたなら大丈夫よ。新女王」
そう言うと、冬の女王は光に包まれて消えてしまった。
そして、村中を包んでいた氷が溶けていったのを感じた。新たな冬の女王となった少女は零れ落ちる涙を止めることができなかった。その瞳は夜明けのような澄んだ青色に変化していた。
「さ、泣いてる場合じゃないわよ。私たちには仕事があるんだから」
「仕事……?」
「季節を回すのよ」
村を包んでいた氷が溶け、春の女王が春の訪れを告げたことで村にはまた活気が生まれた。村人たちは知らない。何故季節が回らなくなったのか。何故、冬の女王が村を氷で包んだのか。そして、どのように長い長い冬を終わらせたのか。
これは四季を守る女王たちだけが知る物語。
終わり