第七話 記憶を覗きて、捜索へ
時間は数時間遡る。
「ななな、な、なんじゃこりゃああああああ!!」
そう叫び、しばらく自分の顔を見つめた後、僕は一つの言葉が自然と漏れた。
「この姿に今の性格は似合わない。……ホント、似合わない」
死後の世界であれ、別の世界であれ、元の世界の別の場所であれ――今は別の世界と判明しているが――人と出会うならば、見合った性格に変えなければならない。
――結局、何処にいようとも人は、自分という他人を演じ続ける事になるのだろう。
色々な考えが堂々巡りする中、後ろ歩きで湖から離れ、足を伸ばして緑の絨毯に座り込む。
それから、この姿に似合う性格や口調を、目を閉じて熟考していく。
「まず一人称が僕はダメ。俺、俺にしないといけない。それから今の口調も駄目。もう少しきつめにしないと……――しないとな」
自然と漏れていた言葉を気にも留めず、ただ自分の性格を考え、そして、紡ぎ、綴り、繋げていく。
風が流れ、鳥が湖を泳ぐ小魚をつつき、水面が生まれる。
そんなあまりにも美しく、ノスタルジックに包まれた空間で、五分にも及ぶ熟考を行った結果――漸く一つの性格、口調をつくりあげた。
「……うん、これで完璧だ」
演技に自信があるわけではないが、初めて会った人が、演技であると分かるはずがない。
少なくとも、この姿になったことを辛いと思っていない事実も相まって、妙に気分がよかった俺は、両腕を持ち上げて伸びをする。
その時、白い翼を持つ鳥が、湖から飛び出し、湖は激しく飛沫をあげる。
まるで、誰かに報告しに行くように――まるで、隠し事を弱みにとるように。
「……俺の元の性格は、この世界でこの場所しか知らない。秘密にしておいてよ」
腕を下ろしながら、小声で呟いた。
その後――ここは何処なのか、という一番最初に生まれた疑問が一切解決していなかったこと思い出し、その件に関して考え込んでいた時に――。
ティシアと出会った。
◇◇◇
「ねえ……。ティシアはどうやって気が付いたの?」
生物たちが眠りにつき、闃然とした湖の前で、僕は後ろに立ち続けている彼女に質問した。
この辺に関しては隠す気がないのか――間隔を開けずに彼女は口を開いた。
「私の能力ですね」
神としての能力――彼女はあまり触れていなかったが、昼過ぎの会話からしても、司るものによって神の能力は異なっているのだろう。
「君っていったい何を司る神なの?」
「本当は本契約をしてから言うつもりでしたが――」
ティシアは一度深呼吸した後、両手を胸に当てて、静かに答えた。
「私は……私は記憶を司る神です」
「……記憶を」
「そうです。――ただ、私は見習いなので、全ての能力を持っているわけではありません」
「そうなんだ。……それでどんな能力を使って、僕に隠し事に気が付いたの?」
ティシアはすぐに答えを返さず、僕の方に近づいた後、右手をゆっくりと差し出した。
「私がハルキさんに能力をお渡しするときに、ハルキさんの手を掴んだのを覚えていますか?」
「うん、覚えてるよ」
僕は求められているであろう動きを辿って、彼女の手を握る。
その手は柔らかく――そして、冷たかった。
「私の神としての能力は、こんなふうに、記憶を知りたい人の手を掴むことで、その人の記憶を概ね全て知ることが出来ます。これをうまく使っていけば、魔王を探すことだって可能です」
凄い――そう思うと同時に、今までの彼女の行動や発言の所々の違和感に納得がいった。
特に、僕との会話の際、手を掴む前と掴んだ後では、言葉のチョイスに違いがあった。
「勿論、手を掴むだけではありませんけどね。意味もないのに、記憶を覗くのはよくありませんから」
「それは確かに……」
「それに、ある程度必要な情報に絞ることもできます」
「万能だと思いませんか?」と、 今度はちゃんと穏やかさに満ち溢れた笑顔を見せる。
ティシアの優しさに包まれた笑顔を見て、僕は心の中で安堵の息を漏らす。
「ずっとたっちぱだけど、座ったら? ……言ってなくてごめん」
「じゃあ、お言葉に甘えて」と、ティシアは僕の右横に、無駄のない綺麗な動きで正座する。
彼女の能力以外の隠し事を探ろうとしていたはずが、いつの間にか話がずれていってしまっていたが、今話を戻すのは難しかった。
軽くため息をついた後、雲が殆どなくなった空を見上げる。
宇宙の色を直に見ることが出来るこの時間は、とても幻想的で最も美しい時間だと思う。
――この世界に宇宙があるのか、そもそも空に浮かんでいるのが月と星と言われているのかも知らないが。
僕とティシアの間にあった嫌な空気も、話がそれたせいか――いつの間にか穏やかでゆったりとした空気に変わっていた。
自分の中でも居心地がいいような、でもあまり良くないような、そんなどっちつかずの空気だった。
僕は空を見上げるのをやめ、静謐な空間に漂う微かな音に耳を傾ける。
耳を傾けながら、二十分ほど前に起きた――もう夢心地になりそうな出来事を思い返す。
ユリアはあの場所に居た方が幸せだったのだろうか。
家族のために自分を犠牲にすること――これが彼女にとって、おそらく最大の幸せになっていた。
真実を知らせずにいれば、彼女の目が死ぬことはなく――売買後も幸せにいられたのかもしれない。
「もし、ユリアの心が読めていたら、この選択を取らずに彼女も――」
「それは違うと思います」
食い気味にティシアが否定してきて、僕は驚きざまに口を噤む。
彼女の方を見ると、顔の何処を見ても真剣な表情そのものだった。
「一つだけ質問です」と、目と鼻の先にまで僕に顔を近づけ、右手の人差し指をたてながら、そんなことを口にする。
「――視るだけではめることのできるパズルは楽しいですか?」
その質問の意図は分からなかったが、彼女の真剣な表情から――真面目に考えるべき内容なのだと思い、目を閉じてパズルを想像する。
何分間熟考しただろうか――それなりに長い時間を経て、漸く、僕は一つの結論を導き出して、彼女の奇想天外な質問に答えを返した。
「…………楽しいわけない」
「そういうことですよ」
左手をさすっている右手を見つめながら、翳った表情をしている彼女を見て、ふと僕は質問の意図を理解する。
どうやら、彼女の質問は「心が読めていたら」にかかっていたらしい。
他人の心が読める人生は楽しいか――そう問いただしたかったのだろう。
彼女は手を握った人の記憶を知ることが出来る。それはもしかしたら、心を読むことが出来ると等しいのかもしれない。
ティシアは僕から顔を遠ざけて、空を見上げる。
「それに彼女はあの場所に居続けても――売買が成立して別の場所に行っても、絶対に幸せはなかったはずですから」
「……あの中に奴隷のことを考える人だっているかもしれない」
「それはあり得ないですよ。あの中にいた人は、欲望塗れでしたから……私も含めて、本当に。売買後、性欲や苛立ちのはけ口になっていたことは間違いないでしょうね」
全ての人間の記憶を覗いた上での結論なのだろう。
もし、それが本当ならば、助けるという選択が少なくとも間違いではなくなるため、自分の気持ちもずっと楽になる。
しかし、そんな考えと同時に、彼女に不信感を抱き、この場所に呼び出そうと考えた一つの疑問を思い出した。
「ねえ、ユリアに言ってた、母を殺したのは魔王っていうの……嘘だよね?」
「…………ハルキさんの言う通り、嘘です」
「どうして嘘を?」
ティシアはその質問に対して口を閉ざし続ける。
考えているのではなく、返答拒否を意味した沈黙であることは僕にだってわかっている。
しかし、僕が彼女の方に目を向け続けると、ティシアは観念したように静かに口を開いた。
「…………利用するため……です」
「……利用」
「……ユリアさんのお母様を殺した人は既に亡くなっているんです。お母様を殺してすぐに――」
「そうなんだ。……でも、それと利用に何の関係が?」
「また質問になってしまうんですが……最も生きる糧となる感情って何だと思いますか?」
今度は直接的――しかし、かなり難しい質問を投げかけられた。
難しい質問ではあったが、僕は過去を振り返って、生きる糧を探ると、案外すぐ近くにあったことがわかる。
それは――家族に対しての愛情。
ただ、そのまま言うことはせず、僕は少し濁った言葉で言葉を返した。
「誰かに対する愛情とか……」
「それもありますが、それは二番目です。あくまで個人の感想ですが、一番は……憎悪なんです」
「憎悪?」
「憎悪と一括りにしましたが、正しくは――愛情を注いでいた人物を殺した人間に対する憎悪。そこから宿ってしまう復讐心。自分の幸福を奪ったものへの殺意。人というのは生の感情より負の感情の方が強くなりがちですから。ハルキさんのいた世界では分かりませんが、少なくともこの世界ではそうなってるんです」
彼女の言葉に僕は過去を振り返る。
父が無差別殺人事件の犠牲になった――そんな出来事があったのは、もう何年も昔の話だ。
父が殺されたと知った瞬間は、犯人に対して激しい憎悪と怒りが沸き起こったことも鮮明に覚えている。
しかし、最終的に復讐心とまではいかなかった。
理由など考えたこともなかったが――復讐よりも絶望が勝ったとか、復讐したところで父は帰ってこないという諦念とか、大体そんなところだろう。
――もっとも。一番大きかったのは、法律によって犯人の死刑が決まっていたことだとは思うが。
「自分の過去と照らし合わせると、納得できないところもあるかもしれませんが」
「…………いや、分かるよ。僕の場合、復讐とまではいかなかったってだけで」
「そうですか。――ユリアさんは、復讐の矛先がないと自殺しかねない子なんです。ユリアさんにとって、家族に対する愛情が最も大きな感情でしたから。……だから――だから彼女を死なせないと同時に、利用することにしました。魔王討伐に協力してくれる人が多いに越したことはありませんし、復讐心があれば彼女は努力も厭わない。優秀な仲間になると思います」
彼女の話を聞いていた時――契約を僕の目の前に吊るして、助ける以外の選択肢を限りなく除外していたことを思い出した。
そして、それを思い出したせいで、彼女の性格が一つはっきりと見えた。
「ティシアって手段を選ばないんだね」
「そう……みたいですね」
ティシアは星々を眺めながら、とても悲し気に微笑む。
彼女の中には、ユリアを助けたいという思いは確かにあったはずなのだと思う。しかし、それと同時にティシアは彼女の感情を利用した。
優しさもあるし、冷酷さもある。互いに相反する性格がティシアの中には混ざり合っているのだ。
「君はどっちが本当なの……」
「…………どっちが……ですか。――どっちなんでしょうね」
自然と漏れていた声に、彼女は自分も分からないと言いたげな返事を返してくる。
君が分からないのに自分が分かるはずない――みたいな、冗談を言うだけの度胸はまるでなく、僕は話を少し変える。
「父さんを殺されて、僕が引きこもって、母が過度なストレスと僕との些細な揉め事のせいで、精神疾患。……誰かを殺すってことは誰かの人生を狂わせることになる。そのことをよく知ってたはずなのに、僕は一人の少女を助けようとして、二人の人を殺した。ハハハ、彼らの家族の人生を狂わせた……多分きっと。本当に馬鹿だなって思うよ」
「……殺しを認めるわけではない――と、先に言っておきますが。あの人――ロダンは生かすべきではない存在だったと思います」
「…………どうして?」
「――奴隷に対する法というのは一切存在しないんです。寧ろ、経済を回す一つの歯車として、黙認されています。なので、あのまま放置していたら、また奴隷売買を再開するでしょう。つまり、あのまま放置していても最悪な人生を歩む人々が増えていただけってことです」
「そう……なんだ」
「なので、気に病むなとは言いませんが、少なくとも最悪の選択ではなかったというのは覚えておいてください」
彼女の言葉に――救いの声ではないにもかかわらず、救いを受けたような気がした僕は、徐々に視界が霞んでいくのを感じていた。
それを誤魔化そうと、右手で両目をこすって、視界が霞んでいる原因を取り除く。
「……それはそうと、ハルキさんは剣を戻そうとしたんですよね」
「と、当然!」
「でも……直ぐには戻らなかった。しかも、そこまで強く願っていないにもかかわらず真剣に――。剣には一切おかしな点がなかったのに……」
「僕は正直そんなことどうでも良いって思ってる。死を一瞬でも願った事実はあるし、それによって人が死んだという結果が付いた。これはもう取り消せないから」
「……だったら、もう一つ契約……違いますね。約束をしてくださいませんか?」
「…………な、なに?」
ティシアは僕の両手を握って、目を見ながら――ゆっくりと約束の内容を口にし始めた。
「何があって、どれだけのことがあっても、決してヒトを殺さないこと……ハルキさん自身も含めて」
「……ティシア」
「…………何ですか?」
「本当に手段を選ばないんだね」
「…………ごめんなさい。……でも――今の私はこんな人なんです。……私は自分の本当が分かりません。探さないといけないですね。神として、今のままではよくない気がします」
「その約束は守るよ。約束する。それに――」
過去の僕にも、現在の僕にも、現在の俺にも――彼女の本心が何処にあるのかは分からない。
ただ――。
彼女は探している。本当の自分を。
そして、本当の自分を失った理由は、もしかしたら彼女の持つ大きな秘め事の内容が原因なのではないだろうか。
「ねえ……隠し事の話だけど、僕に教える気はないよね?」
「……そうですね、ごめんなさい」
「責めてるわけじゃないけれど」
「いつか、今ハルキさん抱いている違和感に対する秘密について、お話しするときがあるかもしれません。……ですが、私はこの秘密をハルキさんに話さない未来を望んでいます。地にかえるその時まで、私は誰にも言わずに持っていたいです」
「そっか……ごめん」
「こちらこそ」とティシアは穏やかに呟いた後、彼女は初めて会った時に交わした契約の話を再度触れる。
「ハルキさん、契約の話ですが――」
「むすぶよ。……もちろん母さんのこともある。ただそれ以上に――彼女に対して責任をとらなければならないから」
ユリアの目を死なせてしまった責任は絶対に取らなければならなかった。
罪を贖うために取った行動で、罪をつくる。随分と滑稽な話である。
そして、二人に対しても。
「本当に……ごめんなさい。ハルキさん」
彼女は苦虫を噛み締めたような表情を零した後、徐に立ち上がって、都市の方へと足を進めていく。
「ユリアさんの所に戻りますね。起きた時に誰も居ないのは、多分怖いでしょうから」
「分かった。僕も後から戻るよ」
彼女は振り返らずに一度頷いて、そのまま都市に戻ろうと――。
「! カハッ!」
ティシアの腹部が突如として何かが貫通。ティシアが血塊を口から吐き出すと同時に、完全に空洞となった貫通部分から、鮮やかな紅い液体がまき散らされる。
「ティシア!?」
彼女は腹部から大量の血液を地面に垂らして頽れる中、彼女の目の前に――。
身体の右半分をどす黒いオーラで纏った、人間の姿をした何かが現れた。