第六話 現実を知りて、絶望へ
「なんで!? なんで!? どうして私を!!」
唇を噛み締めて、目から零れ落ちようとしている滲んだ涙を必死に抑えながら、ユリアは言葉を繋げる。
「私はここにいれば、パパとママが……!」
彼女の糾弾まじりの慟哭が、静謐な空間を奪い去る。
パパとママ。
同じ文字の羅列が繰り返し、繰り返し、繰り返し――繰り返し、俺の心を抉っていく。
そして、何回も繰り返された後、新しい言葉が紡がれる。
「パパは救われるのに!!」
涙が頬を伝い、俺の服に滴り落ちる。
彼女があの場所に居ることで、家族の命が救われる。
状況が状況で、一瞬、その理屈が理解できなかったが、直ぐに一つの解が浮かび上がった。
ユリアは自分をお金にしていたのだと。
自らが奴隷となることで、家族にお金が入り、困窮状態であると思われる家族が救われる。
ユリアはそれを望み、そしておそらく――彼女は自らの意思でその選択をとった。
「なのに! ……なんで…………」
「……それは――」
「お願い、答えてよ!!」
悲鳴、糾弾、憎悪。
俺の胸ぐらを掴む手が痛い。俺の鼓膜を震わせる、力はこもっているのに消えてしまいそうな声が痛い。
自己利益、助けたいと思った――俺が今何を言っても、全ては虚無に還っていくだろう。
俺が返答に困っていると、ティシアが静かにユリアの元に近づき、言葉をかける。
それは俺にとっては助け船――しかし、ユリアにとっては。
「あなたのご両親は既に亡くなられています」
「……は?」
――ただの壊れ船だった。
俺は家族でも何でもないにもかかわらず、二人には聞こえない程度の大きさで素っ頓狂な声を漏らす。
同じように、ユリアは俺の胸ぐらを離して、ティシアの方に顔を向けながら瞠目していた。
「…………え? そんなわけない。だって――」
ティシアは服のポケットから一枚の折りたたまれた紙を取り出した。
「私はあなたのお母さまと少々縁がありまして。これをさいごに託されたのです」
ユリアはティシアが差し出した一枚の紙を受け取った後、ゆっくりと立ち上がって、右側によけて俺から離れる。
折りたたまれた紙を広げて最初の一文を読んだ時、ユリアは更に目を見開いた。
「……ママの字だ」
彼女は母の文字であると分かった途端、紙が折れ曲がってしまう程、両手に力を込めて、立った状態のまま紙に書かれた内容を確認し始めた
母が遺した手紙を読んでいるユリアの姿を視界に入れながら、俺は身軽になった身体を持ち上げる。
木々の隙間から差し込む月明かりの下、彼女は黙々と手紙に目を通し続けた。
ただ――時間が経てば経つほど、ユリアの身体から力が抜けていっていた。
最後には力が完全に抜けきり、彼女はその場に頽れ――湿気で湿った草に両手を付けて一滴の涙を落とした。
「嘘……嘘……嘘嘘嘘嘘嘘! !」
同じ文字の羅列で――声を出せば出すほど、ユリアの右手にあった紙がくしゃくしゃになっていく。
他人の精神を貪りつくしてしまいそうなまでに泣きじゃくったユリアの姿を見ながらも、ティシアは表情一つ変えずに話を進め始めた。
「本当です。……なので、ここにいる必要は――」
「分かってる……分かってるよ。この手紙が本物だってことも、ママもパパも死んだことが事実だってことも。……でも、だったら私があの場所に居続けた理由って何なの? それにあの場所以外にもう居場所なんか……」
ユリアは俯きながら、悔恨と否認が埋め尽くした表情で、枯れるまで涙を世界に落とし続けた。
「ねぇ……ティシアさん、だっけ? ……ママを殺したのって誰? 知ってるなら教えて」
涙が完全に彼斬った後、握りつぶされた紙を右手で持ちつつ、ユリアはふらふらと立ち上がりながら、ティシアを細目で見つめる。
そんな彼女の眼は――死んでいた。
彼女の眼を見ていないのか――ティシアは衒いなく一つの呼称を告げる。
「…………魔王です」
「――魔王?」
ティシアが告げた単語を、ユリアは消えてしまいそうな声でオウム返しする。
ティシアは静かに一度頷いた。
「そうです。魔王と私たちが読んでいる人物があなたのお母様を――殺しました」
「だったら、私が……! ま……お――」
死んだ目のまま、力強く何かを伝えようとしたユリアだったが、会話の途中で意識が急に途切れ、目の前にいたティシアに倒れこむ。
ティシアはユリアが地面に倒れぬようにと、優しく抱きしめて――数回、彼女の頭をゆっくりと撫でた。
「まだ睡眠薬が切れていなかったみたいですね。……ユリアさんを宿屋の方に運びましょう」
彼女はそう告げると、やはり軽々と、ユリアをお姫様抱っこして持ち上げる。
そして、そのまま宿屋の方向に向かって歩き始める。
「あ、ちょっ……」
俺は慌てて立ち上がって、隣を歩くために早歩きで彼女の元に向かう。
「十五歳……か。いつから奴隷になったんだろうな」
「確か十二歳ですね。……酷なことを伝えてしまいましたね」
「そう……だな」
不自然に思わせないように会話を行ったが、頭の隅では全く別のことを考えていた。
理由はティシアとユリアのやり取りに違和感を覚えていたためである。しかも、その違和感は全てティシアに対してである。
「お前――まさかとは思うけど」
「…………なんですか?」
「……いや、何でもない。…………ごめん、今の嘘。二人で話がしたい。……お前と出会った湖の前にいるから、ユリアを宿屋に連れて行った後に来てほしい」
「――…………分かりました」
人気がなくなった大通りに出た時、俺とティシアは一旦の別れを告げて、ティシアと初めて会った場所である湖に足を進めた。
◇◇◇
「お待たせしました」
俺が湖に到着し、座りながら水面を眺め始めて、十分程度が経った時、ティシアはこの場所にやってきた。
雲はいつの間にか何処かに行っており、月明かりが直接この空間を照らす。そして、湖の水面がその月光を反射させ、この場所に美しさと明るさをもたらしていた。
ティシアは俺の横に座ろうとはせず、右斜め後ろで立ち続けている。
俺は彼女に「座れ」とも促さずに――単刀直入で問うた。
「お前……今日の出来事のどこまで想定通りなんだ?」
「――どこまで……とは一体どういうことでしょうか?」
「ごめん、言い方を変える。ティシア……お前は何を隠して、何処まで嘯いて、そして――何処まで本当のことを言っているんだ?」
「私はあなたに対して嘘をついた記憶はありませんよ? 全て本当の事をお話しています」
「でも、それは隠し事をしているということだよな?」
「…………私だって人のようなものですから、隠し事の一つや二つありますよ」
「違う! そういうことを言ってるんじゃなくて――!」
俺の言葉を遮るように、ティシアは一歩前に踏み出して、芝生を踏む音を響かせた。
そして、口を噤んだ俺に彼女は静かに微笑む。
その表情は今までのような優しい笑顔。にもかかわらず、彼女のことを女神とは思えず――寧ろ、全く逆の存在のように感じさせた。
「ハルキさんだって、隠し事しているじゃないですか」
「は?」
「――ハルキさんはその姿になった時、自らの性格をその姿に合うように創り――そして、今その性格を演じているじゃないですか。――それも立派な隠し事ではありませんか?」
「っ!」
「湖の前で頑張って考えていたみたいですし……だから、言いましたよね? 適応力があるみたいなので、と」
「…………はぁ、ずっと知ってたんだね? 僕が この姿に合わせて性格を創ったってこと――」
僕は彼女から秘め事を探り出すために、自らの秘密を捨て去った。