表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
d|IF|fer Affection  作者: 江川無名
第一章 「依存と信頼」
6/31

第五話   能力を使いて、救済へ

「おい! そこで何をしている!?」



 扉側から聞こえる男性の声を受けて、振り返りざま、右手に持っていた真剣状態の直剣を目の前に突き出す。



 殺す必要はない。殺すべきではない。



 そう強く念じると、その想いが剣に伝播し、一瞬青く発光した後、鍔の色が優しい青色に変わり、真剣を模造剣に切り替えた。


 異変に気付き、この部屋にまでやってきたのは、たった一人のようだ。

 身長は百七十センチ程度で、自分より僅かに高く、茶色がかった黒髪が短く揃えられている。

 体格は至って普通で、筋力があるようには思えなかった。


「貴様、名はなんだ。目的は――」

「名前……サンライト、くらいにしておいてよ」


 陽紀――その名の由来である、「陽の灯のように誰かを導く存在たれ」から適当に英語に変換しただけである。

 まさか、父がつけてくれた名の由来を、こんな風に使うことになるとは思っていなかった。


 全くもって場違いな考えを頭に宿しつつ、俺は男を睥睨した。

 目の前の男は、左腰に()いていた短剣を抜き出し、俺を牽制する。


「サンライト。今、その子を奪われるわけにはいかないんだ。……貴様を殺しはしない。大人しくしろ」

「生憎、こっちにはこっちの事情があるんもんで」

「そうか……ならば――」


 彼はそう一言呟いた後、膝を曲げることで重心を落とし、そのまま、思いきり左足を踏み込んだ。

 俺に詰め寄る傍ら、短剣の切っ先が目的の場所からそれぬよう、男は左手で右腕を固定する。


 彼の動きには美しさがある。速さもある。力強さもある。

 しかし、この状況において、スローサイトを使うのは適切な判断とは言えないだろう。


 俺は肉薄してくる男の動きを捉えようと試みる。

 男の「殺しはしない」という言葉と短剣が動く軌道から――俺の左足を狙っていると予測できる。

 その予測は正しく、彼は更に腰を落とし、短剣の切っ先を左太ももに合わせ始めた。



 あまりにも単調で――躱してくれと言わんばかりの動き。


 

 その言葉に甘えて、咫尺(しせき)の間に近づいてきた短剣を躱すために、右足を右斜め前方に踏み込んだ。

 男が持つ短剣は、本来止まる予定だった場所を失い、そのまままっすぐと突き進んでいく。

 当然、男はよろめき、隙が生まれる。


 そんな隙だらけの男の背中に向けて――剣を一閃。



「ごほっ!」



 模造剣が彼の背中に直撃――男は更に足をよろめかせ、壁を左手で押さえた。

 大きな隙が生まれた男に対して、俺はもう一度剣を振り払おうと試みたが、彼はすぐに体勢を立て直し、振り向きざま、逆に短剣を薙ぎ払われる。


 完全に躱すには到底間に合わず、振り払われた短剣が俺の左腕の皮膚と僅かな肉を抉り取る。


「っ……」

 

 咄嗟に剣を離し、左腕に生じた傷口を抑えようとしてしまうが、なんとかその最悪手な行動を気合で止める。


 成すがままとなっている傷口からは、鮮やかな血液が、左腕を赤く染めながら床に零れ落ちていた。

 コンクリートのような灰色の床と赤色の水滴が、重なり合って混ざり合い、美しくも残酷な音を部屋に響かせる。

 


 その量は以外にも多いのか――数秒足らずで、部屋に響く音が変わっていく。



 痛みで動きがままならない左腕を持つ俺に対して、この瞬間が好機と捉えた男は、黒髪を風に靡かせるよりもはやく揺らして、突っ込んできた。


 俺は左手を庇いながら、(すんで)のところで回避――右腕に力を入れて、彼に向けて剣劇を放つ。


 背後に回って一閃。短剣を躱して一閃。しゃがみこんで下から一閃。

 確実に模造剣は相手に直撃している――にもかかわらず、相手を無力化できる気配が一向にない。

 

 男は一度大きく後ろに下がって距離をとる。

 そして、左手を俺に向かって伸ばし――。



痺れろ(アレータディセメント)!」


 

 詠唱の途中から、男の左手の前に、テニスボール程度の小さな黄色い球体が出現する。その見た目は電力の塊に似た何か。

 そして、詠唱が終わると同時に、左手の前にあった黄色い球体が、ティシアが放った球体と同等程度の速度で――決して避けさせぬという覚悟を持って突っ込んでくる。


 その魔法の後を追うように、男は短剣を構えなおし、俺に向かって一気に詰め寄る。



 遅くなれ(スローサイト)


 

 一言念じると、今まで通り、周辺はモノクロの世界に包まれて、男の速度がカタツムリが歩く速度にまで遅くなる。

 魔法の速度も低下しており、躱すには十分な余裕があった。


 俺は落ち着いて、右側に移動して魔法を回避した後、迫りくる男に向かって、反撃を仕掛けるように肉薄。

 右手に握る剣が、男の左脇腹を捉えた直後、モノクロ世界の硝子が割れて、俺は元の世界に叩き戻される。



「なっ! いつの間に!?」



 背後から壁と魔法がぶつかり合った衝撃で、天をも(つんざ)かんばかりの爆発音が聞こえてくる中、男が慄然とした表情を浮かべる。

 しかし、男の反射速度は中々なもの――右に身体を逸らし、そのまま右手に持った短剣を、俺が振りかざしている剣の軌道位置に持ってくる。


 重い金属と軽い金属がぶつかり合った、不協和音の破裂音が空間に轟く。


 剣の重みは明らかにこちらが上。なのに、剣も俺の右腕もその場でとどまり続ける。

 彼自身の膂力(りょりょく)で、剣のハンデを掻き消しているのだ。


 見た目からは全く想像もできない程の力――男が着やせするタイプなのか、そもそもこの世界の人間は皆そうなのか。

 どちらにせよ、俺は短剣を弾こうと、より一層右腕に力を入れる。



「くっ……! ――吹き飛ばせ(ヴァルプロ―ジョン)



 刹那。

 男を中心として、ドーム状に白い衝撃波が展開される。

 

 目と鼻の先にいる状態で回避など到底できるはずもなく、俺は音速をこえると錯覚してしまう程の速度で後ろに吹き飛ばされる。

 その速度のまま、壁に背中から衝突――加えて、左腕が窓硝子に叩きつけられ、割れて砕ける音が鼓膜を振るわせた。



「カハッ!」


 

 足に力が入らず、俺は床に頽れた後、背中を叩きつけられた衝動で逆流してきた血塊を右側に吐き出す。

 衝撃波の異音と硝子の破裂音が、不協和音として頭の中を侵食する。

 

 周囲の音が正しく聞き取れない状態のまま、俺は左側で眠るユリアに目を向けた。


 彼女はこれだけ大きな音が鳴り響いても起きる気配がない。それほどまでに疲弊していたのか――あるいは、睡眠薬でも飲まされているのか。

 どちらであろうとも、決して彼女に怪我を負わせるわけにはいかない。


 彼女の近くにあった、大きめの硝子破片を二つだけ取り除き、足をよろめかせながらも、徐に立ち上がる。


 その間に、男は短剣を突きつけ、敵愾心をむき出しにしながら、ゆっくりと近づいてくる。


「もう一度言う、サンライト。……殺す気はない。警察に突き出す気も俺はない。だから、大人しくしろ」

「……おまえはなんで奴隷売買に手を染めたんだよ」

「…………それは――」



「何があった!?」



 その時、一人の男が部屋の中に闖入してきた。

 その男は、高身長で体格が横に大きい男性で――。


「……ロダン」


 俺はぼそりと呟く。

 ロダンは俺の姿を確認すると、驚いた表情でも、慄然とした表情でもなく――不敵な笑みを零した。


「ほう……本当に来るとはな」

「……どういうことだ?」

「お前……昨晩、競売場に来ていただろう」


 よく見ている――彼の経営が奴隷売買でなければ、素直に褒めることが出来ただろうに。


「あそこは高貴な人間しか入れない。そんな中異物が混ざっていた。――お前ともう一人だ」

「っ」

「あの場所にどうやって侵入したかは知らないが。――まさか……まさか! 俺の商品をただでくすねようと考えていたとは! 実に低俗、実に下賤ではないか!」

「…………どの口が」



「ほざけ。――まあ、正直、予想してはいたがな……踊らせて正解だった」


 

 最後の発言で、この状況がロダンの思惑通りだったと理解する。

 ロダンは以外にも聡明だったらしい。



「だが、ジョセフ。まさか、お前が手を焼いているとはな」

「すいません」


 この部屋はあまりにも狭い。故に、男――もといジョセフ一人で俺を無力化する予定だったのだろう。

 ――廊下に誰もいなかった理由が漸く分かった。


 しかし、庭の監視役が扉を確認しなかったのは気になるが……。


 ロダンは不気味な声で大きな笑い声をあげ、背中から大剣を抜き出す。

「私が来たことに感謝するんだな、ジョセフ。……さあ、下賤な庶民であるお前にお灸を添えてやらねばな」

「いや……本当、お前が来てくれて助かったよ」


 この場所は狭い――三人で争うのには適さない程には。

 つまり、敵が二人になったことで、彼らの動きが完全に抑制されてしまうことになる。


 ましてや、ロダンの体格はお世辞にも痩せているとは言えない。

 彼が来たことで、ジョセフの行動がどれだけ抑制されてしまうことか――聡明なロダンが行った唯一の愚行。


 今の状況ならば、二人を一瞬で無力化できる。

 そう判断した俺は、彼らが行動をとる前に――未だ尚残る左腕の痛みを誤魔化して、模造剣を両手で構える。

 


 そして、念じる――遅くなれ(スローサイト)、と。


 

 周辺はモノクロの世界に包まれて、二人の動きが亀の歩く速度にまで遅くなる。

 全てが遅くなるこの空間にも漸く慣れてきていた。


 俺は腰を落とし、力強く右足を踏み込んで、ロダンに向かって肉薄。

 咫尺の間にまで接近し、模造剣を振りかざそうとした時、彼の顔が目に入る。



 欲望、卑しさ、蔑み――彼の顔は、下賤で不快極まりなくて欲に溺れた表情だった。

 そして、ふと思ってしまう。


 

 こいつを本当に生かしておくべきなのか? 殺してしまった方が未来のためになるのでは?



 そんな愚の骨頂ともいえる考えが。

 だが、そんな考えはよくないと、俺はすぐに否定しようと試みる。


 殺さなくとも、この事実が明らかになれば――彼等はこの世界の法に従い裁かれることになるはずだ、と。


 

 しかし――。


 

 その考えはあまりにも遅すぎた。――いや、初めから一瞬でも誰かの死を願ってはいけなかった。



 彼の死を願う思いが剣に伝播し、一瞬赤く発光した後、鍔の色が激しさあふれる赤色に変わり、模造剣を真剣に切り替えた。



「やめろ、今すぐに……!」



 俺はそう強く願うが、身体の動きは――止められない。

 そのまま、彼の左脇腹に向かって剣はまっすぐと突き進んでいく。


 そして、剣がロダンの身体を喰らいつくそうとする直前で――。


 

 モノクロの世界が割れた。


 

「ぁぁああああああああああ!!」


 

 ロダンは振り払われた剣を回避できるわけもなく――悲痛、狂乱、困惑が混じった野太い叫び声をあげる。

 濁血が飛び交い、肉片が零れ落ち、左腕が地面に叩きつけられる。

 切れ味がいいのか――彼の骨の重みが全身を伝っても、直ぐに骨の砕ける音が鼓膜を震わせ、ロダンの身体を抉り取っていく。


 目に血肉が入りそうになり、反射的に目を閉ざす。そのおかげで、血肉は瞼で防がれて、目の中に入ってくることはなかった。

 こそばゆさを覚えさせながら、血肉は重力に従ってゆっくりと落ちていく。


 

 ――痛い。



 俺が振り払った真剣が止まった時――ロダンの身体は真っ二つに斬り裂かれ、鮮やかな赤き水溜まりに叩きつけられた。

 

 

「きさ……ま――お前はイヅれ……」



 何故喋れたのかもわからない。――ただ彼はそうさいごに残して、絶命した。


「……あ……あぁ」


 吐き気がする。痛みが脳を蝕んでいく。

 剣の切っ先から、黒くとも赤くともとれるドロッとした液体が床に零れ落ちて、水溜まりを池に変える。

 二つに裂かれたロダンの身体から、臓器がはみ出しており、腸の破片が血の海に流れ落ちた。


 全身に付着した生温かな液体が気持ち悪さと罪悪感を――突きつける。

 


 ――ただ痛い。



「サンライト! 貴様!」


 

 憤怒に満ちたジョセフの声が空間を支配する。

 その気迫は俺を委縮させ――さらには外に浮かぶ雲までを委縮させた。


 彼はその気迫を維持したまま、下に落ちていたロダンの大剣を掴み取り、一気に俺に詰め寄り始める。

 


 真剣が模造剣に変わるまでの間耐え続けて、無力化する。



 ――それが出来ればどれだけ良かったか。



 自分が考えている行動を完全に無視して、身体が攻撃の構えを始め――剣がジョセフの心臓部を捉えた。

 まるで、剣に持ち主たる自分が支配されている感覚。


 抗えない、止められない、動かせない。


 俺の身体はジョセフの大剣をものの見事に回避する。

 そして、赤く染まった剣は誰にも邪魔されるまま――ジョセフの心臓部を貫通した。


 背中と腹部から、大量の鮮血が滴り落ち、新たな色の水溜まりを床に作り出す。

 奥に転がっていたロダンの身体に、ジョセフの綺麗な血が飛び散って、僅かに残っていた肌の色を全て赤に染めていった。


 剣を彼の身体から抜き出すと、とどめと言わんばかりに、少量の血が周囲にまき散らされる。



「――漸く、俺の……か――」



 ロダンとは違い、静かにさいごの言葉を告げると同時に、口から大量の血塊を吐き出す。


 力を失った身体が膝を床につける形で頽れて、その後、頭の重みに抗わずに背中から床に倒れていった。

 直後に、右手に握る直剣が青く発光し、鍔の色が優しい青色になり、真剣が模造剣に戻る。



 ――遅すぎる。



 俺は剣を床に落としてへたり込む。そして、二人の死体を見ながら――。



「何やってんだよ……」



 何が言いたいのか、何を吐き出したいのか、何を残したいのか――何一つわからぬままに、そんな言葉が零れ落ちた。

 


 痛い――最悪な考えを一瞬でも宿してしまった自分が憎い。

 


 何分経ったのか――一人の女性の声が扉の方から聞こえてきた。


「大丈夫ですか!?」

「ティシア……どうしてここに。後どうやって」

 

 床を見つめていた、俺はゆっくりと顔をあげると、心配そうな表情で俺に近づくティシアの姿があった。

 彼女は部屋の惨状にあえて目を向けず、俺に対して意識を向け続けていた。


「この部屋が想定以上に光るのを確認したので、異常事態が発生したと判断しました。そのため、警備員全員を眠らせてここに。……あまり、武力行使には出たくなかったのですが……」


 武力行使を行ったことを悔いていたティシアに俺は死んだ目のまま、穏やかな笑顔を見せる。



「大丈夫だよ……そのくらい。だって俺は――」



 それ以上の言葉を言わせないように、ティシアは俺の頬を両手で抑え込んだ。

 そして、穏やかで慈愛に満ちた笑顔を零す。


 この部屋にはもったいない笑顔――それは彼女が神であると言う事実を簡単に脳裏に焼き付けた。


「今はそんなこと考えている余裕はありません。……そもそも――。いえ、今はユリアさんを運び出す方法を最優先に考えましょう。全員を眠らせる事ができたわけではないので」

「どうやって、運び出すんだ?」

「考えるとはいっても、廊下から二人ほどの監視者がやってきていますので、この窓から抜け出す以外の方法はないのですが。兎にも角にも、今のあなたにユリアさんを運び出すことはできないでしょう」


 ロダンとジョセフの血が、ティシアのいたるところに付着していた。

 そんな彼女をティシアは軽々と持ち上げて、割れた窓のレールの上に右足をかける。


「ハルキさんも後についてきてください」


 彼女はそう言い残すと、窓から躊躇なく飛び降りた。



 その後のことは、正直あまり覚えていない。

 ただ、窓から飛び降りた記憶もあるし、庭には二人の眠った監視者がいた記憶もある。

 


 そしてなにより、ティシア一人でどうにかなったのではないか――そんなことをただずっと思っていた記憶も残っていた。



◇◇◇


 

 屋敷のすぐ近く――都市の内部に存在する小さな森の中で、俺はしゃがみ込んでいた。

 ティシアから新しい服を渡されて着替えたため、今は血のついていない綺麗な服を着ている。左腕も彼女に治癒してもらい、今は何ともない。

 同じく、目の前で静かに眠っているユリアも、ティシアの手によって着替えさせられ、今まで着ていた質素なものとは遠い小綺麗な服になっていた。


 それでも起きないユリアに対して、ティシアは「睡眠薬を飲ませられているのだろう」と語っていた。


 ふと、右側を見ると、ついさっきまで席を外していたティシアが、用事を終えて戻ってきていた。

 ユリアのすぐ近くで立ち止まったが、その場に座り込むことはなかった。



「一応、処理は終わりました。警察も、あの死した二人を殺したのがハルキさんであるとは分からないでしょう」

「……分かった」



 ありがとう――その言葉はあまりにも不適切すぎた。



 自然と出かかったその言葉を飲み込んで、胡坐をかいたまま空を見上げると――僅かな雲の隙間から、月が見え隠れしていた。

 今は一体何時くらいなのだろうか。


 人を殺めた罪悪感と、何処かで贖罪を求める俺はぼーっと空を見上げ続けた。

 暫くすると、今まで聞いたことない声が俺の耳に入り込む。


「ん……んん」


「ユリアさん……」


 その声の正体がユリアであったと、ティシアが彼女を呼ぶ声で明らかになる。

 俺の目の前でゆっくりと身体を持ち上げたユリアは、目をこすりながら、左右を見渡す。


「ここは?」


 透き通っていて可愛らしい――それでいて、何処か力強さを残す声で、俺達に抱いて必然の質問をするユリア。

 その質問にティシアが軽く答えた。


 ユリアは「そっか」と小声で呟いた後、俺とティシアの顔を交互に見つめる。


「君たちは誰?」

「私はティシア。それでこっちが――」

「……ハルキだ」


 俺とティシアは名前のみを名乗る。

 それに対してユリアは自分の名を名乗ることはなく、頷きもせず――ただじっと地面を眺め続ける。

 その真意は分からなかったが、月明かりが微かにともすだけの暗闇空間のせいか――彼女の顔は翳っているように見えた。


「ねえ、二人に一つ聞いてもいいかな?」

「何なりと」


 ティシアの言葉を受けて、ユリアは右腕を持ち上げて、奥を指差す。

 その指先の先にあるのは、先程まで俺達がいた一つの屋敷。



「……私を――あの場所から連れ出したの?」

「ああ。そう………だけ――っ!?」



 俺の言葉は途中で遮られる。

 理由は酷く単純で――ユリアに押し倒されたからだった。


 彼女は俺の両腕を固定しながら、無理矢理口を開いて、言葉を吐き出した。



「なんで?」



「っ!」


 その言葉の真意は分からなかったが、一つだけ確かにいえることがある。



 それは感謝が理由では決してないということ。

 

 彼女の眼は前髪で隠れていて見ることが出来ない。

 どんな表情で、どんな感情で、どんな想いで、その一言を呟いたのか――分からない。

 


「なんで!? なんで!? どうして私を!!」


 

 彼女が俺の上に跨って、同じ言葉を繰り返し続ける。

 その時、穏やかではない風が俺を嘲笑するように、一瞬だけ吹き荒れて――ユリアの前髪を横に退けて、彼女の表情を俺とティシアに見せつけた。


 そこにあったのは、唇を噛み締めて、目から零れ落ちようとしている、月明かりを反射させた滲んだ涙を必死に抑えようとしている少女の姿。

 

 その表情を見て――俺はただ理解した。



 そこにいて不幸だと決めつけるのは他人で、そこにいて幸せだと決めるのは本人である――そんな、ティシアに救い出すと告げた時、僅かに脳裏に浮かんでいた考えが、正しかったのだと。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ