第四話 未知に入りて、競売へ
「結局、やってほしい事の内容一つも聞いていないんだが……」
「見ていただいた方が早いです。これから行われる光景を――」
暗闇の中に浮かぶ蝋燭の灯だけを頼りにまっすぐと歩いていく。
床には赤い絨毯が敷かれており、壁や天井にうっすらと見える飾りからも、高貴さを覚えさせる。
「あ、忘れてました。この帽子をかぶっていてください。あまり意味はないかもですが、変装です」
ティシアは俺に帽子を手渡す。受け取った帽子を確認すると、目の下まで隠すことができるつばが付いていた。
俺は帽子をかぶって、周囲に認識されないように深く下げる。
廊下を抜けると、暗闇は何処へやら――明るい半円の空間が現れ、そこには、顔を曝け出した大人が跋扈していた。
下に五段以上の段差があり、そこに大人たちは規則正しく並んで立っていく。
男女問わない大人達は、誰も彼もが豪華な飾りを散りばめた衣装で着飾っている。
その中でも、特に高貴そうな人間が一番下を陣取っていた。
「……あまり中には入らないように、端へ行きましょう。……こちらです」
ティシアに導かれて一番左端へと歩いていく。
等間隔で建てられた直方体の柱には、文字と人の姿が描かれており、文字は残念ながら読めないが、絵ならば理解することが出来る。
その内容は――一人の人間が一人の子どもを縛り付けているというものだった。
何とも形容し難い感情に苛まれつつ、建物の端に辿り着き、俺が立ち止まると同時に、ティシアが左から耳打ちしてくる。
「……もうすぐです。これから行われる光景で感じたことを、ハルキさんは素直に受け入れてください。そして――」
その時、大量の蝋燭の火が搔き消され、廊下以上の暗闇に包まれる。
「すいません。詳細は後程」
ティシアが話を打ちとめ、一番下にある舞台に目を落とす。
そのまま暫くすると一箇所に光が灯り――一人の高身長で肉が左右についている、如何にも悪ですと言わんばかりの男性が姿を現す。
黒きシルクハットを被り、右手には色褪せたステッキを持っていた。
彼はぐるりと客を見渡した後、両手を前に差し出し、不快な笑顔を浮かべた。
「ハロー、エブリワン!! 今回も高貴で高尚な皆様にお越しいただき、私ロダン含め、団員一同大変嬉しく思います」
鮮やかで、かつ洗礼された動作で足を交差して、ロダンと名乗った男性は一礼する。
「それでは早速、本日の商品をご紹介いたしましょう! 商品番号125番、ユリア!」
男性が左腕を舞台の中心に向かって伸ばすと、その場所にスポットが当たり、一人の少女が地べたに座り込んだ状態で姿を見せた。
歳は十五歳前後だろうか――短くも美しい艶やかな銀髪が、強く印象に残る。
高貴であり高尚であると、男性によって煽てられていた人々が、軽く感嘆の声を漏らす。
大変可愛らしい少女であると――俺自身も思う。
灰色の質素な服が華奢な身体を引き立てる。ボロボロな服が下にズレ落ち、貧相な胸が危うく見えそうになっていた。
その部分を見て、卑しい目を向ける人がこの場所に何人いるのか――それは分からない。
「この商品の特徴について説明していきましょう!」
一つの公演を行うかのような滑らかな進行。
明るく演じられているが――結局は奴隷売買だった。
旧来のサーカスのようで、たった一人の少女の売買。
少女のすぐ近くで、ステッキを床に叩きつけながら、罵るように指示を出す。
彼女は決して逆らわず、ただ黙々と彼の指示に従っていく。
その姿を悪びれもなく、寧ろ喚起に満ちたで見つめる周囲の人々。
その光景は高尚ではなく、低俗――高貴ではなく、下賤。
その光景を前に、俺は自然と声が漏れる。
「――気持ち悪い」
人を物として扱っている商人が。
女の子のことを卑しい目で見ている成人が。
その景色が当然だと思っている人間が。
――何より、気持ち悪いの一言で片づけようとしている自分が。
日本に居続けたならば、おそらく一生見ることなどなかった光景。
これ以上商品に傷はつけまいと、商人は気を使いながらも――あくまで物として少女を弄ぶ。
もとより、売られるために育てられた奴隷ではなかったのだろう。
服の隙間から青いあざが見え隠れしていた。
――怪我の跡が残っていないこと自体、奇跡のように見える。
商人に逆らわず、身体をよろめかせながら、彼女は指示に従う。
身体は言うことを聞いていないようにだって見える。
物として扱われ、卑しい目線に晒されて、未来の選択を誰かに奪われる。
――俺だったら耐えられない。
しかし、生きる事も死ぬことも諦めてしまいそうな状況においてもなお――。
彼女の眼は――死んでいなかった。
競売の前座は終わりを告げ、三十人以上もの人間が、ばらばらの通路から立ち去っていく。
――この場所がばれないように、様々な場所に通路が設置されているのかもしれない。
「今の光景を見て、あなたはどう思いましたか?」
「――気持ち悪い。ただそれだけ」
「…………そうですか。別にそれだけで構いません。――いえ、寧ろ十分です」
俺達はこの空間に入ってきた時と同じ廊下を渡って、都市に戻る。
光がなく真っ暗な路地を前に、俺は空を見上げる。
空は冪冪たる雲に覆われており――月も一切の星も確認できなくなっていた。
「さて、ここからが本題です。私がやってもらいたい事。それはあの子――ユリアさんを助けてほしいということです」
「あの子を?」
「そうです。競り合いは明日行なわれます。もし、助けたいと考えてくれたのなら、時刻が0時を回った時……あとに時間程度ですね。この都市の端にある、彼等が根城としている屋敷に侵入して、彼女を救いだしてください。…………お願いできますか?」
「……やるよ」
それは助けたいという感情よりも、「気持ち悪い」の一言で終わらせようとしている自分を捨てるため。
そして、彼女の依頼を受けなければ、この時点で自分は死んでしまうということ。――元の世界に帰るために助ける以外の選択肢がない。
結局は――自己利益のためなのだ。
勿論、助けたいという思いがないわけではない。
しかし――。
俺が何を考えているのか――ティシアは見透かしてるように見えたが、彼女は至って平然とした表情で頭を軽く下げた。
「ありがとうございます。――彼らが根城としている屋敷は、二階建てですが庭がとても広いです。遮蔽物は一切ないので、先程与えた魔法をうまく利用してください。ユリアさんがいる場所は概ね把握しておりますので、後でお教えします。先に目的地に向かいましょう」
俺は翳った表情を暗闇で隠しながら、ティシアの後を黙ってついていった。
◇◇◇
この世界の時刻で、二十三時半を回った頃、俺はティシアの案内に従って、奴隷売買を行っている人間の根城の近くまでやってきていた。
「先程お話した内容の確認をしましょう」
作戦内容は至って単純だった。
十二時を回る頃、奴隷契約等の準備のために、一つの扉の鍵が開く。そこを狙って中に侵入しろというもの。
庭は遮蔽物がなく警備も厳重だが、スローサイトによって、高速で駆け抜けることを可能にしている。
勿論、相手も馬鹿ではない。
異変には気が付くだろうが――最初は庭周辺を捜索することになるだろう。
その隙をついて、ユリアがいると思われる部屋に突撃し、救い出す。
しかし、スローサイトは現時点で自分自身にしか使えない。つまり、ユリアを助け出した時点でこの能力は使えない。
ここで、目標時間――今回は三分以内――を設定し、それまでにユリアの元に辿り着く。
そして、ティシアが何らかの行動を起こし、先程の異変が彼女の行動であったと錯覚させ、屋敷内部にいる人物の意識を彼女に傾ける。
その間に、ユリアを連れて元来たルートを辿る、もしくは、窓から飛びだして、屋敷外部に抜け出す。
――これが大まかな流れである。
正直な話、そんな上手くいくとは、俺もティシアも考えてはいない。
言ってしまえば、理想案である。
一連の流れの確認を終えて、俺達は作戦の初期位置に移動する。
「ハルキさんが背中に担いでいる直剣は、あなたの想い一つで、模造剣にも真剣にもなり得る。そのことをお忘れなきようお願いします。また、スローサイトにはある程度限度があります。適応力も含めてです。家の内部で使う際は、使いどころを十分に注意してください」
「……分かった」
「それと、余計な考えが浮かばないように、先程私が示した道でユリアさんの場所に向かってください」
「…………余計な考え?」
「――余計な考えは余計な考えです」
彼女はそういうと無言を貫き始めた。
冪冪たる雲に覆われていた空は、一部だけ雲が薄くなっており、あわよくば月が姿をみせてくれそうだった。
闃然とした空間に、風の音と警備の人間の跫音が微かに響く。
「零時になりました。ハルキさん、お願いします」
「了解」
俺はティシアの合図とともに、鉄格子状の柵を乗り越える。
扉付近を監視している警備員四名は、俺がいる場所とは全く別の方向を向いており、こちらに警戒心が傾く様子もない。
「遅くなれ」
そう囁くと、周囲がモノクロの世界に包まれ――風の音も、人の動きも、雲の動きも遅くなる。
まだ二回しか使っていないため、この感覚には慣れない。
だが、そんな悠長なことは言っていられない。
俺は足に思いきり力を入れて、一気に扉に向けて駆け抜けていく。
周囲からどう見えているのか不明だが、今はこの能力を信じて、扉に向かって真っすぐと突き進む。
草を踏みぬく音もゆっくり耳に入ってくるせいで、モノクロの世界がどこか不気味な空間に感じられた。
四秒程駆け抜けた時、扉の前に辿り着き――そのまま、警備員達の死角となる位置に移動し、立ち止まる。
そして、丁度よく五秒が経過。
モノクロの世界はガラスの破片のように砕け散り、暗くも色鮮やかな世界に俺を戻した。
「おい、今何か通らなかったか?」
金髪の髪を待つ一人の男性が俺が通った道へ振り返り、懐中電灯のような明かりを右往左往に照らす。
その疑問に、深く帽子を被った一人の男性が別の疑問で返す。
「気のせいじゃないのか?」
「風とかじゃない。もっと別の何かが」
「…………分かった。お前はそこにいろ。俺とこいつで怪しそうな場所を捜索する」
帽子を被った男性が、近くにいた警備員の肩を叩いた。
そして、周囲を照らしながら歩き始めて、異変がないかを確認し始める。
「殊勝なことで――でも、それは少し違うよ」
彼等は自らの固定観念によって、屋敷の入り口付近に異変はないと判断したらしい。
一段階目は成功と喜びつつ、俺は開かれた扉をくぐりぬけ、屋敷内部に侵入する。
「……お邪魔します」
屋敷の内部は異様なまでに明るく、完全に金持ちの家だった。
赤いカーペットに黄色の壁紙、規則的に並ぶ美しい模様が施された壺の置物。
どれもこれも、奴隷の売買によって儲けた金を使って、購入したのだろう。
「……地球でもこういうのってあるんだろうな」
そんなことを呟いた後、俺はティシアの指示通りに、音をたてないように進んでいく。
特に何事も起こらず、階段に辿り着き、二階に上がる。
更に、二階でも特に何も起こらないまま、すぐさま目的の場所に辿り着いてしまった。
「屋敷内部には誰もいない? そんなことあるのか?」
あまりにも上手くいきすぎている状況に、疑問を覚えつつも、目的を早急に達成するために、俺はユリアがいるとされている部屋の扉を押し開ける。
「これは……!」
一本の蝋燭と窓から差しく込む僅かな灯によって照らされた薄暗き部屋は、コンクリートのような灰色の壁と床で構成されており、一応窓は存在しているが、その他、家具や服といったものは一切ない。
質素なんて言葉は疾うに過ぎ去り、無機質――その言葉が最も適切となっていた。
瀟洒な屋敷の中では異質な空間。
いや――この空間を誤魔化すために、派手な屋敷を演出しているのだ。
「彼女が……ユリア?」
部屋の奥の方を確認すると――右側の壁付近で、床に横たわって眠っている少女がいた。
足首にはリストバンドのようなおもりを付けられており、両手両足は鎖でつながれている。
俺は静かに眠っている少女に徐に近づいていく。
近くで見れば見るほど可愛らしく――まるで人形のようだった。
ただ、痣だらけの身体が、俺の脳裏を痛いという感覚で蝕んでいく。
子どもに可愛がられて出来た傷ではなく――大人に弄ばれて出来た傷。
精神面を踏まえても、壊れかけと言わざるを得ない。
大丈夫とか、今助け出すとか、そんな格好いいことは――言えない。
だから、剣を用いて無言で鎖を断ち切り、苦しげな表情を浮かべて眠っている少女を背負おうと――。
「おい! そこで何をしている!?」
眩い光が無機質な空間を照らす中、「まあ、そうなるか」と俺は思いながら、剣先を声の主に向かって突き出した。