第二話 女神と逢いて、契約へ
「こんにちは、はじめまして、そして――ようこそ、転生者さん」
ティシアと名乗る少女がそう告げた。
意味は分かるが、意味が分からない。
――そんな矛盾が脳内で混ざり合う。
「どうして、そんなことが言えるんだ?」
漸く出てきたその言葉に、ティシアはクスリと微笑みながら、一歩ずつ俺の方に向かって近づいてくる。
その時間は止まっているように感じ、いつのまにか咫尺の間にまで来ていたティシアが、静かに言葉を繋げた。
「私が……女神だと言ったら、あなたは――ハルキさんは信じますか?」
――意味が分からない。
頭の中にあった矛盾の天秤が、矛に大きく傾いたような気がした。
「――そんなの信じられるわけ」
無意識に漏れた疑いの声に、彼女は笑みを絶やさずに「それは当然です」と言わんばかりに数回頷く。
「ハルキさんの言うことはごもっともです。でも、こちらとしては信じていただかないといけないので。――ですのでちゃんと、証明……させてください」
笑みではなく真剣な表情で、「――手を」とティシアに言われたとき、俺は抗いもせずに右手を差し出した。
彼女は俺の右手を両手で包み込み、静かに目を閉じる。
「――神は求める、和平の道を。神は導く、理想の未来を。神は紡ぐ、世界のすべてを。――和平を取り戻すために、貴殿に……大いなる能力を――」
ティシアは――ただ紡ぐ。
理解するのも、彼女の声を受け入れることも、存外簡単だった。
十秒程経過しただろうか――彼女は目をゆっくりと開け、俺の手を離して一歩後ろに下がった。
「――これで終わりです」
「……何も変わってないけど――」
自分の身体に変化はない。――そして、精神、記憶にも変化は一切なかった。
「ふふっ。見た目はですけどねっ……少し待っていてください」
俺の言葉に悪戯な笑みを零しつつ、五メートル程離れて、右腕を前に伸ばし、また目を閉じる。
「――生成せよ」
彼女は――そう囁いた。
瞬間。
ティシアの右手にポリゴン片のような光が収束し、一つの物質を創り上げていく。それはどんどんと左にズレていき、完全に光が止んだ時――。
彼女は一本の剣を握っていた。
――それは地球で暮らしていた人間の人智をこえた現象。
彼女の握っている両刃の剣は、握りや鍔はそれなりに瀟洒であったが、その他の部位は至ってシンプルだった。
しかし、視たものを思わず怯ませてしまう程の存在感を周囲に放っていた。
それは握っている存在が神であるからなのか――それとも、剣自身が強さを誇示するために自ら放っているのか。
ティシアは剣を俺に向かって、軽々と片手で放り投げる。
「これをどうぞ」
「――っと」
投げ渡された剣が真剣であった場合を考えずに、投げ渡された剣を両手でつかみ取る。
――怪我はなかった。
ティシアは俺が剣を受け取ったのを確認した後、背を向けて木々のある方へと歩いていく。
「あなたは剣道をしていたはずです。一度やめていたみたいですが、元の世界で死する数ヶ月ほど前にまた再開したと伺っています」
周囲が静謐としているからだろうか――遠く離れていても、彼女の声がはっきりと鮮明にきこえてくる。
僅かに曇り始めた空の下、芝生を踏む音を響かせながらゆっくりと歩き、俺と彼女の位置が三十メートル程のところで立ち止まった。
そして、ティシアは右腕をぐっと横に伸ばす。
「――生成せよ」
その魔法(?)の詠唱に呼応するように、野球ボール程度の真っ白な球体が、彼女の右手にすっぽりとおさまった。
彼女は俺の方に振り返り、ボールを何度も上に投げ始める。
「今から、私がハルキさんに向けてこの球体――ハルキさんの世界だと……おそらく野球ボールくらいの硬さです。このボールを思い切り投げます。その剣でこの球状の物体を真っ二つに斬ってください」
「…………できるか分からないけど?」
「勿論、そのままとは言いません。先程あなたに行ったのは、いわば能力付与です。ハルキさんは私がボールを投げて、そのボールが近づいたときに、心の中でこう唱えてください。遅くなれ、と」
「スロー……サイト?」
「そうです。そして、その剣はあなたの思い一つで真剣にも模造剣にもなり得る。――つまり、あなたはこのボールを斬りたいと本気で望めば、その剣は真剣になるわけです」
「そんな……ことが――」
「できますよ」とにっこり微笑むティシアの目は、どこか他人との距離を開けようとしているように思えた。
それが事実か、あるいは虚構か――どちらにせよ、彼女の表情は他者を引き込む魅力があった。
俺は流れに身を任せて、剣を両手で握り占める。片手持ちの両刃剣を両手で握るのは些か問題では、と思わなくもないが、こればっかりは仕方ないと言わざるを得なかった。
しかし――。
「あ、片手で持ってください。その剣を両手持ちだとこの世界では話にならないので。――あなたはそれなりに適応力があるでしょう?」
「……分かった」
少し不服に感じながらも、指示に従い右手のみで握りなおし、ゲームや映画の見様見真似で構えてみることにする。
決して重たいわけではなく、片手でも軽々と掴み続ける事ができた。
「オッケーです! それでは行きますよっ! もう一度言いますがスローサイトと心中で唱えてください! ――ああ、あとちゃんと斬ってくださいねっ!」
彼女は野球の構え――ではなく、右腕を前に伸ばし、そっと手からボールを離し――。
「……加速せよ」
短い単語一つ。たった一つ。
――にもかかわらず、ボールは周辺に爆発音を轟かせながら、一気に加速した。
「はやっ!」
猪突猛進してくるボールは、躱すという選択肢を完全に排除する勢いでまっすぐと俺の方に突き進んでくる。
当たれば間違いなく死ぬと確信した俺は、彼女の言葉を信じ――ただ強く念じた。
――遅くなれ、と。
刹那。
周囲の情景がモノクロになり――完全な無音の世界と化した。
風の音が止まる。波紋の音が消える。鳥の囀りが失われる。
静謐だった空間が、更に静謐となって、完全な静寂を創り出す。
それと同時に――目と鼻の先にまで近づいていた白い球体は、目で追うことが出来る程遅くなっていた。――正確に言えば、時速二百キロは下らなかったボールの速度が、人が歩く速度にまで落ち込んでいた。
今まで以上に理解の範疇をこえた現象を前に、この場所に来てからの全ての現象を受け入れることに決め――そして、死なないために俺は握っていた剣を下から上に向かって、思いきり振り上げた。
ティシアに言われた通り、「斬れ」と――つよく、強く、靭く、念じながら。
遅くならずに斬りあがった剣とボールが直撃した時、静寂だった空間に天を劈かんばかりの爆音を奏でるとともに、世界は全ての色を取り戻した。
真っ二つに割れたボールは、投げられた時点での速度を維持したまま、身体の左右を通り過ぎ、湖にたたきつけられる。
それが背後で新たな破裂音を生みだし、その直後――飛沫が雨となって、空から勢いよく降り注いできた。
「はっくしゅ!」
俺の衣類がびしょ濡れになる中、ティシアは小さな手で拍手しつつ、こっちに向かってやってくる。
「お見事です……ハルキさん」
「死ぬかと思ったわ!」
「死なないようにはなっていたので、そこはご安心を。……ハルキさんの衣類が濡れてしまいましたね。――じっとしておいて下さい。……乾かせ」
自分の身体が一瞬光ったと思った直後、身体に張り付くような気持ち悪さがなくなった。
咄嗟に剣を離し、両手で衣類に触れて確認すると――一切濡れている箇所はなく、完全に乾ききっていた。
「……ありがとう」
「いえいえ。――それはそうと、これで信じられますか? まあ、ここまでする必要もなかったかもしれませんが……。やれるだけやっておいた方がよいと思いまして」
「…………信じるけど、それを俺に言った理由は何?」
今までの彼女の行動には、「自分を神と認識させる目的」と「この世界が俺のいた世界とは別の世界であると認識させる目的」があったのだろう。
正直な話、その事実を知らせる必要があったとは思えない。
――よほど大きな理由がない限り。
しかし、彼女は俺に向かって「神であると信じてもらわなければならない」と言っていた。
それは、それだけ大きな理由があるということなのはまず間違いないのではないだろうか。
彼女はここから本題というように――出会ってからの短い時間の中で最も真剣な表情を浮かべ、口を開いた。
「――一つ、契約をしませんか?」
「……契約?」
「そうです。……私――いえ、神々の目的に協力してほしいのです」
「神の、目的……。その神の目的っていうのは何なんだ?」
「――凄く簡単に言えば、魔王退治です。至って単純、至ってシンプル。――あれ? そうは思いませんか?」
「いや、思うけども――」
「それなら良かったです。――魔王退治とはいっていますが、魔王とはあくまで我々神が付けた呼称。なので、より正しく言うのであれば――世界を終わりに導こうとしている人物を倒すのが目的です。契約としては――その能力を与える代わりに、倒してほしいということになりますか……」
「――もし、その契約とやらを承諾しなかったらどうなるんだ?」
「契約破棄とみなし、あなたは生前の世界に戻ります。正確には鉄骨が突き刺さったタイミングに――」
「あ、もういいです」
俺はティシアの言葉を遮る。
この契約を受けなければ、すぐに死ぬと彼女は言っていることくらい――最後まで聞かなくても分かるのだから。
言葉を遮ぎってしまったせいか――彼女は一瞬だけ苦笑いを浮かべる。
しかし、すぐに真剣な表情に戻り、契約成立に向けた話を続ける。
「――言ってしまえば、この契約はあなたの生命を維持するためのものでもある」
「……そういうことになるのか」
「あなたが現実で生を全うしたと思うならば、契約を受け入れなくても構わない。……しかし、少しでも生に対して未練があるのならば、この契約を結んでほしい。あなたにとって悪い契約ではないはずです」
「――そういうのって、普通この世界に転生させる前に言うことじゃないのか?」
「そうかもしれませんね。ですが、私たち神が住まう場所は、通常の人間には決して見られず、そして、決して直接見せてはいけません。……どれだけの事情があろうとも」
「……そういうのがあるんだな」
「はい。――それにあなたが転生したのはただの偶然。……私達はあなたがいた世界の神ではありませんから、あなたがこの世界に来ない限り干渉なんてしようがないのです」
「つまり、この世界に来なければ、もとより死んでいたわけか……」
「そういうことになりますね。これは偶然の悪戯――神の悪戯ではありませんよ?」
「……ハハ、ナイスジョーク」
「思ってないですね、これは。――こほん、何度も言うようで烏滸がましいですが、今世界は危機に瀕しています。その危機から世界を救うのが私たち神の……使命なのです。そのためにも、契約を結んでいただけませんか?」
「その目的を達成した場合……俺は、どうなるんだ?」
答えは凡そ理解できている。
それでも、ティシアの――神の口から直接聞かないと真偽は不明のままだ。
目の前にいる彼女は、二秒ほど目を閉ざした後、ゆっくりと言葉をつなげた。
「破棄した時と同じく元の世界に戻ります。……ただし、あなたが死ぬ一日前に戻されることになります。言ってしまえば、やり直せます。……あなたの――愚問ですかね」
全てを見透かしていると言わんばかりに、彼女は悪戯な笑みを零す。
予想していたとはいえ、目的達成の報酬は、俺にとって大きすぎる内容だった。
――決して死ぬことが許されていなかった俺はあの世界で死んだ。
その重罪を贖い、赦される唯一の手段。
そんな報酬を――まるで馬の前にぶら下がるニンジンのように吊るされる。
――それを掴めるのかもわからない。
もしかしたら――。
しかし――考えるなんてゆるされていなかった。
「…………分かった、その契約を受けよう」
「フフッ、そうですか――。ありがとうございます! ハルキさんっ!」
ティシアは莞爾として笑う。その笑顔は――とても綺麗で、とても可愛らしい。
――なのに何故だろう。
時折、彼女のことが冷酷な悪魔のように思えてしまうのは。
「それではもう一度――」
鳥の囀り、風の音、波打つ湖の美しい音色が世界を着飾る。
ティシアはその装飾に負けじとより一層笑顔を浮かべて――。
「こんにちは、はじめまして、そして、この世界にようこそ、ヤマナシハルキさん!」
世界で初めて出会った人物は――神と呼ばれる、何処か距離の感じる少女だった。
俺の未来は運命に創られた。
同じように、人々は運命の悪戯に弄ばれた時間を過ごし続ける。
君でも良い。
誰でも良い。
――この選択をとったことを赦してほしい。
ここから始まる世界の物語。
まずは「シツオクの残滓―一」までお読みいただけると至極幸いです。
定型文 : ブックマーク等は作者の励みとなりますので、何卒宜しくお願い致します。
また、今後「誰か」もしくは「何か」が多くの人の意見を欲し始めるかもしれません。そのため、「シツオクの残滓―一」まで読んで気に入ってくださった方は、広めてくださると嬉しい限りです。
※次話以降、後書きは基本書きませんので、各話終了後に定型文があると思っていただけると嬉しいです。