第2話 あの日の約束
能力――【時針操作】
日々百が能力を発動させると、日々百を中心にして時間の法則が乱れ、通常時と比べて二倍の速度で時が流れる始める。
そうして、日々百は即座に母親の下へと駆け寄ろうとする緋彩を脇へと抱え、半ば呆然としている僕に向けて声を上げる。
「謳歌、お前は自力で来れるだろ、早くこっちへ来いッ!離れるんじゃねぇぞ」
僕は日々百の言葉にハッとし、心の中でお義母さんごめん、と告げてから日々百の能力の範囲内へと駆け寄る。
日々百は僕が能力の範囲内に入ったことを確認してから、大窓を開け外へ向かって一気に駆け出す。僕もそれに続き、庭へと降り立つ。
その直後――突如として後方で大きな爆発音と建前が倒壊する音が聞こえた。
「に、兄さん……今のって――」
「振り返るな。とにかく今は逃げることだけを考えろ」
「……」
その音の正体――もとい、義母がどのような結末を迎えたのかは想像に難くない。
けど、それでも――僕らは逃げなくてはならない。
僕らは能力者だ。もし捕まれば悲惨な運命を迎えることになる。
今までは見て見ぬ振りをしていた旭立家の子息達を確保するまでになったんだ。国は戦力確保に相当焦っているに違いない。
だから、絶対に逃げ切らなくてはならない。
でも、何処へ? この国にはもう能力者にとって安全な場所なんて――
やめておこう。とにかく今は、日々百が言うように逃げることだけを考えよう。
各々が各々の想いを胸に、僕ら3人は自分達が育った家を後にする。
–––––
僕らの家がある場所は自然保護区と呼ばれるエリアにあり、その一角である瑠璃唐草の花園を丸ごと買い取ってその中央に家が建っている。
そのため、家から逃げ出しても家を中央にして半径500メートルは花畑となっており、追手に見つかることは当然の帰結であった。
「クソッ、追手が直ぐ後ろにまで来てやがる!」
そして、家から100メール程走った時点で既に追手は直ぐ後ろにまで迫っており、あと数秒もすれば完全に追いつかれしまうだろう。
だが、いくら子供の足だと言えども、こちらは日々百の能力で時間を加速させてため、それに足で迫る追手も何らかの能力者であることは間違いないだろう。
だから―――
「しょうがねぇ、俺がこいつを抑える。お前らは先に逃げろ」
日々百はそう告げ、腕に抱えていた緋彩を降ろし僕の方へと追いやる。そして、僕らへ背を向けて一歩前に出る。
だが、何故だろう。僕はこの光景を一度見たことがある気がする。
いや、気がするではなく実際に一度見たことがあるのだろう。
さっきの玄関での一件でもそうだ。妙な既視感がしたんだ。
そして、先程まで抱えていた違和感がようやく形になる。
これは、僕の夢――いや、忘れていた記憶だ。
それを今、僕は思い出そうとしている。
その事実に気づいたとき、先程まで自由に動かすことが出来ていた身体は僕の意思では動かなくなり、過去の道筋をなぞるように勝手に動き出す。
だが、僕は見届けなくちゃいけない――過去の出来事を、自身の行いが引き起こした結末を。
「謳歌、緋彩を頼む。幸せにしてやれよ」
ただ一言そう告げ、日々百は追手に向かって駆け出す。
「兄さん、駄目……!!」
そう叫び、今にも駆け出そうとする緋彩の腕を掴むと、緋彩はそのスカーレット色の大きな瞳に溢れ出しそうな程の涙を溜め、悲しげな顔で僕を見る。
「……行こう」
僕はやるせない気持ちでそう告げ、緋彩へ手を差し出す。
緋彩は顔を落とし、大きく一度後ろを振り向いてからスカートの裾ギュッとを掴み、意を決した顔で僕の手を取る。
そうして僕らは再び駆け出す。けれども、日々百が対峙しているとは追手とはまた別の追手が、次から次へと僕らを捕えようと迫ってくる。
日々百の能力の範囲内から外れた今――ただの少年と少女の足では鍛え抜かれた軍人の足に敵うわけもなく、追手との距離は目に見えて縮まってきていた。
そして、あと少しで花園から抜けられると言った所で追手との距離は目前となり、前方の森からは突如として武装した人影が現れる。
挟み撃ちにされたことで僕らは足を止めざるを得ず、僕は目前の人物から緋彩を隠すように前に出る。
「磯城島帝国軍能力開発部管轄特士――旧瀬靑だ。貴様らを確保する」
「旧瀬さん……」
突如として現れた人物の正体が意外性に驚き、僕は眼を見張る。
旧瀬とは、僕の両親がまだ存命だった頃に戦い方の稽古をつけてもらったりと、年の離れたの兄の様に接してもらった人物であった。
加えて僕と同じく能力者であり、その実力は磯城島の国なかでも対人戦最強と名高い程のものであった。
でも、何故そんな人がここに? 今回の件はそれ程国にとって重大なことなのだろうか、そんな僕の疑問を差し置いて旧瀬はこちらを鋭い眼光で睨みつけてくる。
やっぱり敵同士なのか……一瞬助けてくれるのでないかと淡い期待を抱いたが、どうやらそんなことはないらしい。
「命令だ、お前達はそこで待機していろ。こいつらは俺が受け持つことになっている」
旧瀬は追手の軍人達へ命令を下し、僕らに向かって一歩二歩と歩を進めてくる。
戦うしかないのか、でもそれ以外に活路はない。
緋彩に対して一言、待ってて、と告げてから、僕も応戦するために旧瀬に向かって歩を進める。
そして、お互いの距離があと3歩でぶつかるといった距離にまで迫ったとき、示し合わせたかのようなタイミングで一言―――
「「能力発動――」」
–––––
結果として、僕は惨敗した。
何をしても全て読まれているかのように、いや実際に全て読まれて対応された。
これは旧瀬が持つ未来予知の能力によるものだろう。
旧瀬も何も武装していない僕に配慮してか、全て素手による攻撃をしてきたが、僕は何もすることが出来ずに一方的拳を叩き込まれ、全身に殴打痕を作りながら息も絶え絶えといった様子で花の上に背をつけさせられていた。
「事態は一刻を争う。速やかに対象の少女を確保をしろ」
旧瀬は他の軍人に緋彩を捕らえるように命令を下してから、満身創痍となった僕に憐れむような目を向ける。そして――
「悪いな謳歌……」
――そう告げる。だが、悪いなどと言われても納得出来る筈もない。
思わず反論しようとするも、止めの一撃と言わんばかりに僕の腹部に拳が叩き込まれる。
だが、それでも辛うじて意識を保っていた僕は最後の力を振り絞って、軍人達に取り押さえられて藻掻いている緋彩の下へと這いずって行く。
「旧瀬特士ッ!こいつ、まだ……!!」
そんな僕の様子に周りの軍人はおろか、旧瀬までもが息を呑んでいた。
そして、僕は緋彩に向けて手を伸ばし、最後の言葉を紡ぐ。
「例え何処に居ようとも……必ず、迎えに行く――」
その一言を言い終えた途端、糸が切れたかのように身体は地面へと沈み、僕の意識は闇へと落ちていった。
だが、最後に――うん。待ってる、とそう聞こえた気がした。