妥協
「どうだ? 俺達と一戦交えるか、ここで手を引くか、好きに選ぶといい」
晴政はドロシアに決断を迫る。考える時間など与えるつもりもないようだ。
「……分かった。ここは手を引くわ。分が悪いもの」
「物分りがよくなったではないか。やはり白人は殴って聞かせないと分からぬようだな」
「はあ? やっぱりこの話はなしにしようかしら」
「晴政様、今はそういうことを言っている時ではありません。ドロシア様、我が主が大変失礼なことを申し、お詫び申し上げます」
「ふん、分かってるのならいいよの」
「お、おい、源十郎」
「少し黙っていて下さい」
源十郎の冷ややかな目に、晴政も黙り込んだ。
「さて、この件はいいとしても、潮仙をタダで返す訳にはいかないわ」
「……何が望みだ?」
占領地は相手に対価を要求する為にあるのだと、晴政も心得ている。潮仙半嶋にヴェステンラント軍を閉じ込めることが出来ても、半嶋から彼らを駆逐するのはまた別な話だ。それなりの対価を支払うつもりはある。
「潮仙半嶋のうち、駐屯地を一つ造れるだけの土地を譲り渡しなさい。それが条件よ」
「我らを牽制するか。面白い」
ゲルマニア軍とほぼ同じ思想である。敵国のすぐ近くに基地を置き、その動きを掣肘しようとしているのである。
「どう? ほんの少しの領地だけでいいのよ。それに応じてくれれば、残りは全部返すわ」
「潮仙の領主は武田だ。いくら俺でも、奴らに相談の一つもせずに決めることは出来ん」
「そう。ならとっとと決めて。私からの要求は伝えたわ」
「分かった」
晴政としてはほんの数百石程度の領地を明け渡すことに何の躊躇いもないが、何百年と守ってきた領地が奪われるのを武田家は承知しないかもしれない。交渉は一時停止だ。晴政は武田家を実質的に取り仕切る眞田信濃守に通信をかけた。
「――という訳だ。武田の領地を少し分けてくれんか?」
『事の次第は承知しました。馬場殿の領地の端っこをほんの少しとのこと、馬場殿に頼みましょう。公儀の為なれば、敢えて断ることもありませんかと』
「うむ、助かる。決まったらすぐに教えてくれ」
『ははっ』
眞田信濃守はヴェステンラントが要求する土地の領主たる馬場美濃守に晴政の要請を伝える。返事が帰ってくるのには半刻とかからなかった。
『領地の明け渡し、関白殿下のお望みのままに、とのことです』
「おお、それはよかった。これで戦は終わる」
『しかしよろしいのですかな、殿下。大八洲の目と鼻の先どころか喉に詰まった小骨のような場所に、ヴェステンラントが何千、或いは何万の兵を常に置くとなれは、我らとしてはやりにくいことこの上ないかと思われますが』
当然の懸念を懐く眞田信濃守。ヴェステンラントの狙いは大八洲を牽制しておくことであり、それは大八洲にとって不利益でしかない。
「皇國が王道を行く限り、ヴェステンラントに手出しは出来ぬ。何も気にすることはない」
ヴェステンラントとて、行動を起こすには何らかの大義名分が必要だ。大八洲が覇道を掲げるのであれば、侵略を受けた国の保護を名目として出兵することも出来るだろう。だが王道を掲げる大八洲は、他国を侵すつもりなど毛頭ない。ヴェステンラントの脅しなど意に介する必要はないのだ。
『――そうは言いますがな、大義名分など作ろうと思えばいくらでも作れますぞ』
「その時は、叩き潰すまでよ。大八洲の真ん中で喧嘩を売って、生きて帰してやる道理はなし」
『殿下らしいお言葉ですな。殿下がそれで構わぬのならば、我ら武田は全て殿下に従いましょう』
「助かる。王道楽土は遠からんうちに完成しようぞ」
ヴェステンラントも大八洲も、自国のすぐ隣に敵軍の基地が出来ても気にしない点については似ているようだ。
○
「話は纏まったぞ。潮仙にお前達の基地を設けること、認めてやろう」
「へえ、そう。なら、和平は成立したわね」
「ああ。最後に、今一度条件を確認しておこうではないか。源十郎、何があった?」
「はっ。まず領地に関しましては、ヴェステンラントはサワイキ群嶋、邁生群嶋、潮仙半嶋を解放します。そして我々はサワイキ群嶋においてヴェステンラント船の航行の自由を保証し、また潮仙半嶋にヴェステンラントの城の縄張りを差し出します」
ヴェステンラントがこの戦争の始まる以前から植民地としていたサワイキ群嶋(地球で言うところのハワイ)。戦争の最初、真珠湾攻撃の際に、長尾左大将朔はサワイキ王国を解放することを約束した。これは彼女の絶対に譲れぬ要求である。
「うむ。そうだったな」
「また今後、東亞において紛争のありし時は、枢軸国においての話し合いを通じて解決を図るべし。以上となります」
どちらが勝ったとも言い難いこの戦争。賠償金などはお互いに要求しないことで手を打ってある。
「これでよいな、ドロシア殿?」
「ええ、問題ないわ。私達の権益が損なわれないなら、それで十分よ」
ヴェステンラントが得たものは潮仙半嶋の基地だけであるが、兵士や船舶を大したものと思っていない彼らは、それ以上の要求を通そうとする理由もなかった。