ピュロスの勝利Ⅱ
さて、シグルズがアンキューラを落としてから3日が経過した頃、総統官邸にて。
「――まずは、ガラティアに何か動きはあるのか?」
ヒンケル総統はリッベントロップ外務大臣に尋ねる。
「いえ、特にはありません。ガラティア国内にも、反乱の兆候などは一切見られません」
「……3日で反乱が起こるとは思えんが、向こうは講和をする気もないのか?」
「アリスカンダル陛下にその気があるのかは分かりませんが、今のところは公式にも非公式にも、我々への接触は一切見られません」
「この程度では動じないということか」
帝国にとって政治的に一位と二位の都市が陥落した筈のガラティア。しかしスルタン・アリスカンダルはゲルマニアと講和交渉を始めるつもりすらないようであった。もしその気なら、既に接触を図ってきている筈である。
「ならば、こちらから降伏を呼びかけるのはどうなんだ?」
「もちろん可能ですが、その場合、我々の方が疲弊して戦争を終わらせたいと見なされてしまうでしょう。向こうに降伏させるのが、ゲルマニアとしては最も理想的です」
「それもそうか」
「とは言いましても、我が国が疲弊しているのは事実です。早急に戦争を終わらせることを優先するならば、こちらから講和を持ちかけるのがよろしいかと」
「迷うところだな……」
ガラティアを完全に屈服させるのがゲルマニアとしては理想的な終戦であるが、それに固執して延々と意味のない殺し合いを続けるのは国益に適わない。適度な損切り時を見出すのも政治の仕事だ。
「お言葉ですが、我々の方から講和を呼びかけることが必ずしも譲歩になるとは限りますまい」
ザイス=インクヴァルト大将は言う。
「と、言いますと?」
「最初から我々の要求を全て突きつければよろしいでしょう。簡単なことです」
「お言葉ですが、それは好ましくありません。交渉とはお互いの間で妥協点を探すこと。最初に我々の要求を全て伝えれば、それは我が国の意志となり、容易に覆すことは出来ません。ガラティアがそれを受け入れられなかった場合、戦争を終わらせるのは極めて困難になってしまいます」
相手にとって受け入れ難い条件を提示すれば講和交渉すら始まらないかもしれないし、かと言って最初に条件を緩めれば、それ以上釣り上げることが出来なくなってしまう。面子に固執する国家というのはしょうもなく見えるが、国とは人間の集まりである。
「なるほど。でしたら、我々の提示する条件を全て呑むまでガラティア帝国に攻め込めばいいではありませんか」
「大将、我が国の経済は限界だ。軍事的にもこれ以上砂漠の奥地に攻め込むのは困難なのだろう?」
ヒンケル総統は言う。ザイス=インクヴァルト大将はあまりにも軍事力に頼り過ぎ、かつゲルマニア軍を過信し過ぎであると。
「国内情勢については、臣民の皆様に極めて大なる負担をかけていることは重々承知しております。しかし、戦争遂行の為には国家の総力を投入しなければなりません。そして、ガラティア本土侵攻軍は各地に補給基地を設置しながら進軍することで、何もない砂漠でも行動することが可能です」
「その国家の総力も限界に来ていると言っているんだ。それに、先のアンキューラの戦いでは相当な犠牲を出したではないか」
「銃後の皆様には、どうかご協力をお願いしたいとしか。また、アンキューラでは確かに犠牲は出しましたが、軍を再編することは十分に可能です」
「……この問答に意味はないな。一度論点を整理しよう。そもそも西部方面軍にガラティア本土への侵攻を許可したのは、この戦争を速やかに終わらせる為だ。それが失敗しつつある今、これ以上の作戦を許可することは出来ない」
「ここまで来て、今更引き下がると言うのですか? あと一歩でガラティアを撃滅することが出来るというのに!」
ザイス=インクヴァルト大将は珍しく声を荒らげた。
「君は二回そう言って失敗しているんだ。残念だが、君の言葉をそのまま信用することは出来ない」
「……そう言われると、ぐうの音も出ませんな」
「ああ。私も話していて論点が整理出来てきた。つまるところ、我が国はもう戦争に耐えられない。早期の講和が必要なのだ。例え条件において妥協しても、だ」
「妥協、ですか。これほどまでに多くの人命を失い、妥協などあり得るのですか?」
自らの命令で百万を超える人間を死に至らしめたザイス=インクヴァルト大将だ。帝国の被った損害は、帝国が世界の覇者にでもなりないと釣り合わないと考えていた。それに対してヒンケル総統は諭すように語る。
「いいか、損切りというのは重要だ。確かにこれまで死んでいった何百万という人々のことを思えば、ガラティアを完全に滅ぼすまで戦争を続けたい気持ちは分かる。だが、それが実現出来る可能性は非常に低い。ならば、これ以上の犠牲を出さない為にも、ここで手を打つのが、最も合理的な選択だ。若者は、我が国の代替不可能な資源なんだ」
「……我が総統がそこまで仰るのなら、これ以上は何も申し上げることはありません」
ザイス=インクヴァルト大将はヒンケル総統の意志の強さに折れることにした。