船頭多くして船山に上る
「ゲルマニア軍、海峡右岸への攻撃を停止した模様です!」
「ようやく諦めたか。我が軍の砲台は、ゲルマニアのいかなる大砲の直撃にも耐え得るように設計されている。全て無駄だったな」
マルマロス海峡がゲルマニア艦隊の攻撃を受けることは、ずっと昔から想定されていたことだ。細長い海峡の左右には多数の陣地が構築され、ゲルマニア軍が新兵器を開発する度に改良されてきた。その結果が、シャルンホルストの砲撃にビクともしない強固な陣地である。
「これでゲルマニア軍はマルマロス海峡の突破を諦めた筈。よかったね」
クラウディアは他人事のように言った。海峡右岸から砲撃に晒され続けるのだ。ゲルマニア海軍には閉塞船を破壊することは出来ない。
「そうだな。南方の危機は一旦去ったが、敵を甘く見るべきではない。クラウディア君は引き続き、南方の監視と防衛を担当してくれたまえ」
「分かった」
「そして残りの者は、西部戦線に集中するとしよう」
海峡の防衛に自信を持ったアリスカンダルは、100万を超えるゲルマニア軍が押し寄せてくる西部戦線に注力することを決めた。しかし、特におかしなこともないその判断は、仇になった。
○
「殿下、申し上げます! マルマロス海にシャルンホルストが浮かんでおります!!」
「え、何を言っているの?」
明朝、黒公クラウディアに全く信じ難い報告が入った。
「こ、言葉の通りです! マルマロス海にシャルンホルストが侵入しています!」
「馬鹿なっ……。閉塞船はどうなっている? すぐに確認を」
「はっ!」
現実を受け止められないクラウディアは快挙封鎖の状況を確認させるか、返ってきたのはこれまた不可解な返答。
「閉塞船は全く破壊されておりません! 海峡の封鎖は維持されています!」
「は……? じゃあ、シャルンホルストがマルマロス海にいる訳がない」
「し、しかし、本当にいるのです! 殿下もご覧になってください!」
「……分かった」
言葉を尽くす必要はない。この目で確かめればよいだけだ。クラウディアは屋敷を出て、その目でマルマロス海を見下ろした。
「いる……あれは間違いなくシャルンホルスト」
「え、ええ……」
全く信じ難いし何が起こったのかも分からないが、戦艦シャルンホルストはガラティアの内海に浮かんでいた。
「何がどうなっている……」
「ま、全く、分かりません……」
それは前日に遡る。
○
「シャルンホルストに半島を越えさせる?」
「はい。閉塞船を突破することが無理ならば、その後ろに直接出てしまえばいいのです」
シグルズはネルソン提督にそう提案した。
「つまり、半島を開削して新たな海峡を造ろうと言うのか?」
「いいえ。そんなことをしている暇はありません。このシャルンホルストに山越えをしてもらいます」
「……君は何を言っているんだ」
ネルソン提督はシグルズが何を言っているのか全く理解出来なかった。
「丸太を大量に並べ、シャルンホルストにその上を通らせます。幸いにして丸太はそこら中に転がっています」
「君の魔法でシャルンホルストを引っ張ろうと言うことか」
「はい。魔法に頼るのはあまり好ましくありませんが、仕方ありません」
「実現出来ることに疑いはないのだな」
「はい」
流石にシャルンホルストほどの物体を持ち上げることは出来ないが、引きずるくらいなら不可能ではない。動かしやすいようにシャルンホルストの下に丸太を敷き詰めれば、より確実だ。
「しかし、そんなことをしたら敵にすぐ露見するのではないか?」
「深夜にシャルンホルストの灯りを全て消せば、人の目では分かりません」
「……それは一理あるな」
ガラティアには街灯の一つすら存在しない。都市の外に出ればそこは月明かりしか頼りにならない闇である。故にシャルンホルストが山を越えても敵は気付かない筈だ。
「どうでしょうか」
「気に入った。その乾坤一擲の策に賭けよう。使いたいものは何でも使っていいぞ」
「ありがとうございます」
かくしてシャルンホルスト山越え作戦が開始された。必要な丸太はシグルズが全力で用意して並べ、あっという間に準備を整えた。そしてシャルンホルストは早速、陸に上がる。
「ベアトリクス、よろしく頼む!」
「任された!」
ベアトリクスは丸太に水を纏わせ、潤滑油の代わりとする。シグルズは飛びながら、丸太を転げ落ちたいように支えつつ、シャルンホルストを全力で引っ張る。シャルンホルストはシグルズの予想通り、陸上を動き出した。
「陸上戦艦ってのも悪くはないかもな」
「動けない戦艦に何の価値があるんだい?」
「真面目に応えないでくれよ」
「っ……ハーケンブルク中将、丸太が潰れているよ!」
「流石にシャルンホルストの重さには耐えられないか。入れ替えよう。丸太は腐るほどある」
かくして、ベアトリクスとシグルズの連携により、シャルンホルストは無事に半島を乗り越え、マルマロス海に着水することに成功したのであった。
「本当にやれるとは……感謝するぞ、ハーケンブルク中将」
「いえいえ」
「うむ。全艦、艦内の機能を総点検せよ!」
シャルンホルストは艦底にそこそこの損傷があったものの、戦闘に支障はなかった。こうして敵の首都の目と鼻の先に出現することに成功したのである。