敗者の処遇
「で、殿下!? よ、よくぞご無事で!!」
流石に空から登場するのは不自然なので、ヴラド公は馬に乗って首都ブクルスクに帰還した。
「これが無事に見えるのか?」
「そ、それは何とも……」
「殿下、まさか生き残ったのは殿下だけなのでしょうか……?」
「そうだが、お前達の思っているのとは違うだろう。私は、ここに逃げ帰ってきたのだ。兵らを捨てて、な」
「そ、それでは……戦いは、我々の敗北に終わったのですか?」
「ああ。私は負けた。だからもうじきゲルマニア軍が攻め込んでくるだろう」
「そ、そんなことが……」
ヴラド公の家臣達は、今度こそ彼が負けるだろうことを確信していた。だからそれ自体には驚かなかったが、彼が戦場で死なずに逃げ帰ってくるとは思わなかった。つまり、死んでもらった方が好都合だったのである。
「殿下……ゲルマニアに降伏するには、殿下の命が必要です」
勇気ある家臣が一人、そう告げた。散々ゲルマニアに抵抗したワラキア公国だ。そう簡単に降伏することが許される訳がない。
「分かっている。なれば、私をここで殺すがよい」
「…………」
ヴラド公は腰に佩いた刀を家臣に投げ渡し、その鎧を脱ぎ捨てた。
「さあ、殺せ。それで事が済むのならば、それでよかろう」
「し、しかし……」
「さあ、剣を取れ!」
「で、では……」
家臣の一人がおずおずと剣を取った。ここにいるのは文官達で、本物の剣などほとんど握ったことがない。
「簡単なことだ。その剣の先を私の胸に向け、そのまま押し込めばよい」
「そ、それでは……」
剣がヴラド公の胸を貫こうとする。だがその寸前、剣は明後日の方向に吹き飛ばされた。
「な、何だっ!?」
「お前か……邪魔をするな」
剣を吹き飛ばしたのはマキナであった。その姿をワラキア人達に晒す。
「お言葉ですが、私は殿下を生きてビュザンティオンに連れ帰ることを命令されています。勝手に死なれては困ります」
「その命令を下した者は、我が国の安全を約束してくれるのか?」
「それは出来ません。これから敵地になるのですから」
「ならば、その交渉に意味はない。私は確実にワラキア公国が保たれる方を選ぶ」
「殿下が死んでは、公国の国体護持は果たされないのでは?」
「公国である必要はない。ワラキアというものが残ればそれで十分だ」
ヴラド公はワラキア人の安全が少しでも保証されるのであれば、自らの命を差し出すことに躊躇いはなかった。
「あなたが何を考えていようとも、私はあなたを生きて連れ帰らねばなりません。私は私が与えられた命令を実行します」
「ならば、君は私の敵だ」
「っ!」
ヴラド公はその右手をマキナに向けた。次の瞬間、彼女の足元から数十本の槍が現れ、手足に絡まり彼女の体を完全に拘束した。
「動けない……」
マキナは不愉快そうな顔をするだけで暴れたり抵抗したりはしなかった。それが無意味だと分かっているのだろう。
「さて、邪魔が入ったが、とっとと私を殺せ。そしてこの首をゲルマニアに差し出すとよい」
「で、殿下……。お許しください……!」
ヴラド公の胸に剣が突き刺さる。エスペラニウムを全て捨てたヴラド公はただの人間に過ぎず、たちまち崩れ落ちた。
「いつの日か、ワラキアが誇りを持って、独立、することを……祈って、いるぞ…………」
胸を貫かれたヴラド公は1分とて生きていることは出来ず、その呼吸は止まった。
「まったく、力ずくで死ぬ人間とは、馬鹿らしい」
マキナは捨て台詞を吐いて姿を消した。沈黙だけが取り残された。
○
一方その頃。ゲルマニアにも敗者があった。親衛隊に簡単にワラキア公国を落とされ、面目を失ったザイス=インクヴァルト大将である。作戦が落ち着き、彼の処遇を論じねばならなくなった。
「――さて、ザイス=インクヴァルト大将。カイテル参謀総長と論議した結果、君からはアイモス半島以外の指揮権を剥奪することにした」
「なるほど。アイモス半島に集中せよということですか」
「お言葉ですが、寧ろアイモス半島における指揮権こそ剥奪するべきでは?」
カルテンブルンナー全国指導者は言った。確かに、大将がアイモス半島で失敗した以上、その主張は合理的である。
「それももちろん検討した。しかし、今の我が軍でこれほどの大軍を御せるのは彼だけだ。仕方があるまい」
「それが出来なかったから処分を受けているのでは?」
「では、君は他にアイモス戦線を任せられる人材を知っているのか?」
「……いえ」
比較的経験のある東部方面軍ローゼンベルク大将も、敵は貧弱なダキア大公国であった。
「では、こうするしかない。ヴェステンラント方面及びヌミディア方面は、フリック大将に任せる」
「はい。任されました」
南部戦線を西部方面軍総司令官が担当し西部戦線を南部方面軍総司令官が担当するというよく分からない状況であるが、ともかく、ザイス=インクヴァルト大将への処分はこれで決定された。
カルテンブルンナー全国指導者はこの決定に不満を持っていたようだが、代案が提示出来ず、ヒンケル総統直々の命令であるので、あえて逆らうことはしなかった。