ワラキアへの対処
ワラキア討伐に出向いたゲルマニア軍30万が事実上敗北したとの報は、たちまち総統官邸に届いた。
「た、たったの5千の敵に負けたというのか? 本当かね、ザイス=インクヴァルト大将?」
「はい、我が総統。敵の散発的な襲撃により負傷者が多数出たことから、進軍を一時停止せざるを得なくなってしまいました」
「そういう攻撃を受けたくないから纏まって進軍していたのではないのか?」
「我らは些か感覚が狂ってしまっていますが、30万というのは大軍です。どんなに小さく纏めようとしても、同時に展開出来る数は限られます。敵はその弱点を読み、局地的な優勢を作り出し続けたのです」
「その戦術と、例の串刺しの魔法とやらの相性がいいのか」
「はい。ヴラド公の用いる串刺しの魔法は、一撃離脱と非常に相性がよいものでした。敵に地の利がある以上、ワラキアを征討するには多大な犠牲が出ることは避け得ないでしょう」
目に見える敵を尽く串刺しにするヴラド公の魔法。魔法を発動して逃げるのを繰り返し、ゲルマニア軍に膨大な死傷者を強要した。この魔法に合わせて戦術を組み立てたのか、戦術に魔法を合わせたのかは分からないが、ともかく最悪の組み合わせなのである。
「また、兵士らは魔法に怯え、士気が下がっております。これも大きな問題かと」
「そうだろうな。弓矢や剣にやられるならまだしも、地面から突き出す槍など回避のしょうがない」
「このような理由から、ワラキア討伐は一旦保留すべきかと考えます」
「諦めるのか。珍しいじゃないか」
「然るべき用意を整えた後、討伐します。それに、ワラキア方面の軍が停滞したところで、残り90万が帝都ビュザンティオンに向けて進軍を続けています。何も問題はありません」
「なるほど。しかし、シグルズをワラキアに向かわせようとは思わなかったのか?」
「ビュザンティオンにはレギオー級の魔女が複数存在します。それへの対処にシグルズは必要です」
「そうか……。ならば、君の好きなようにやってくれたまえ」
かくして、ワラキア公国は放置し、ビュザンティオンを落としにいくことが決定された。
○
「申し上げます。ワラキア公国に侵入している敵軍、およそ60万、進軍を停止した模様です」
そのビュザンティオンでは、アリスカンダルがゲルマニア軍の意図をすぐに察知していた。
「まさか本当に足止めするとはな。私の見込んだ以上の男だ、ヴラド公爵」
「とは言え、相変わらず残り100万ほどが、この帝都に向けて進軍を続けています。彼のような武将が西にもいるのでしょうか?」
赤公オーギュスタンは尋ねた。自分自身の身が危険に晒されようとしている筈のアリスカンダルの余裕ぶりを見ての言葉である。
「いいや、いはしない。だからゲルマニア軍は、特に何の妨害も受けず、このビュザンティオンにまで到達するだろう」
「ほう。では、ビュザンティオンで敵を撃退出来るとお考えなのですかな?」
「ああ。ビュザンティオンは鉄壁の要塞だ。君達の兵力と合わせれば、ゲルマニア人が何百万人で押し寄せようと、必ずや撃退することが出来よう」
「そこまで自信がおありなのですか。なれば、是非とも我が軍にもその要塞を見せて頂きたいものです」
「……そうだな。同盟国である君達を信用し切れていないのは、恥ずべきことだ」
帝都ビュザンティオンは二つの意味で特異な立地をしている。一つは、すぼまったアイモス半島の先端にあり、防御においては正面に全戦力を集中出来るということ。もう一つは、海峡を挟み込むように都市が広がっていることである。
このうち地上の防衛線を、アリスカンダルはヴェステンラント軍に開示することにした。そろそろヴェステンラント軍にも使われることになるし、当然のことだろう。
「陛下、ワラキア公への救援などは行わないのですか?」
白公にして白の魔女、クロエはアリスカンダルに尋ねた。
「あの男は独りで勝手にやらせておくのが、一番力を発揮するのだ。我々は介入しない方がよい」
「そうですか」
「もっとも、敗色濃厚になれば流石に救援はよこすがな」
「なるほど。それともう一点、この帝都ビュザンティオンは海に面しているどころか海に囲まれているような地勢をしています。ゲルマニア海軍の攻撃を受けた場合、地上の防衛線など役に立たないのではありませんか?」
確かにビュザンティオン防衛線は陸上からの攻撃しか想定しておらず、海から攻撃されれば堅牢な防衛線も意味はない。
「案ずることはない。ゲルマニアの二隻の戦艦は、貴国との戦いに付きっきりだ。地中海にまで展開する余力はない」
「そうだといいですが――」
「そうでもないかもしれない」
すかさず口を挟む黒の魔女クラウディア。
「ほう。何か知っているのかな?」
「ゲルマニアは以前から新たな鋼鉄船の建造を始めている。恐らくは新しい戦艦」
ゲルマニアはブリュッヒャーを失う前から新戦艦の建造を始めている。黒公は海が関わる情報には敏感なのだ。
「……事前に言ってくれれば助かったのだがなあ」
「聞かれなかったから」
ヴェステンラントとガラティア。お互いに不信感は拭い切れないようだ。