撤退開始
「師団長殿、いきなり撤退命令が来たが、どうなってるんだ?」
「敵はこの王都ごと僕達を包囲する気だ。敵に地の利のあるこの場所で包囲されれば、壊滅は避けられない。だから撤退する」
「なるほど。だが、その意図は恐らく、大半の部隊に伝わっていないぞ」
「状況は混乱しているんだ。仕方がない。とにかく、僕達もすぐに撤退する。全ての戦線を放棄し撤退を開始せよ!」
「了解だ」
全ての攻撃を諦め、宮殿の外に脱出を始めた第88機甲旅団。しかしすぐにロクでもない報告が飛んできた。
「第2大隊第5中隊、攻撃を受けています! 敵が現れました!!」
「何? ……意地でも逃がさないとでも言うのか」
これまで積極的に仕掛けてくることがなかったヴェステンラント軍がここで攻撃してきた。撤退を妨害しようとする意図があることは間違いない。
「クソッ。逃げ切れないのか?」
「敵の攻撃激しく、動けないとのことです! 第2大隊が救援に向かっていますが……」
「敵の規模は?」
「数十人程度で奇襲をかけてきたとのことです」
「それなら数は必要ないか。適切に敵を包囲し、叩き潰せ。時間はないぞ」
「はっ!」
シグルズは本隊が出動するまでもないと判断し、配下の部隊に対応を任せた。
「珍しいな、師団長殿。いつもなら師団長殿自身が救援に向かうというのに」
「この程度ならば問題ないと判断したからだ。それと、もっと大きな問題が起こった時に対処する為だ」
「なるほど」
シグルズは主に他の師団が襲撃を受けた時の救援部隊として動いた。襲撃は宮殿のあちらこちらで相次ぎ、ゲルマニア軍の制圧が不完全だったと思い知らされると共に、時間ばかりが過ぎていく。
○
一方その頃。カルテンブルンナー全国指導者率いる親衛隊機甲師団は順調に撤退を進めていた。その要因の一つは部隊に全国指導者の娘、ヒルデグント大佐が加わったからであろう。大佐は自ら最前線で戦うことを望んだのだ。
「敵の数はおよそ30。いけますね」
宮殿の曲がり角で突如として現れた魔導兵と、銃撃戦を繰り広げるヒルデグント大佐。敵の戦力を把握すると、直ちに反撃を開始する。
「な、何をなさるおつもりで?」
「おや、経験がないのですか? 敵に突撃するんですよ」
「と、突撃? こんな廊下で突撃なんてしたら蜂の巣にされてしまいます」
「私達にはせっかく新しい武器があるんですから、使いましょうよ。対魔女狙撃銃、構えて下さい」
曲がり角に匍匐して2人の兵士が狙撃銃を構える。
「たったの2丁で足りるのでしょうか……」
「敵を動揺させるには十分です。狙撃班、確実に敵を殺してくださいよ」
「「はっ!」」
「結構。では、撃て!!」
突撃銃の銃声を上書きするような爆音。それと同時に、魔導兵が2人、曲がり角の壁面ごと吹き飛んだ。一時的に射撃は止む。
「今です! 突撃!! 突っ込め!!」
「「「おう!!!」」」
ヒルデグント大佐が先頭に立ち、兵士達は敵陣に向けて一直線に突撃した。
「く、来るなっ!」
「死んでください」
慌てて剣を抜こうとした魔導兵の体に突撃銃を突き付け、たちどころに殺害した。やはりこの戦闘技術はヒルデグント大佐の十八番である。
「さて次は――」
猛獣のように魔導兵の間を駆けるヒルデグント大佐。魔導兵達は組織的な抵抗も出来ず、あっという間に根絶やしにされたのであった。遭遇から殲滅まで、要したのは僅かに5分ほどである。
「ふう。片付きましたね」
「さ、流石……」
「では進みましょうか。……いえ、戻るんでしたか」
ともかく、親衛隊は陸軍の部隊からは孤立しながらも、順調に撤退していた。
○
「どうやら、宮殿内部にはまだまだ未制圧の通路が残っていたようです。撤退には時間がかかります」
ルテティア・ノヴァ郊外に陣を敷くオステルマン中将。彼女のところには悪い報告ばかりが入ってくる。
「そうか……。最悪の場合、宮殿の中の部隊は捨てるしかなさそうだな」
「突入した部隊は最精鋭の部隊なのですよ? そうそう替えが効かないと思いますが……」
ヴェッセル幕僚長は言う。確かに宮殿に突入させたのはこの長い戦争を生き残ってきた精鋭部隊であり、これを失うことはその数字以上に大きな損害となることだろう。
「それでも、全滅するよりはマシだ」
「確かに、その通りですね……。後は城内の部隊を信じるしかないようです」
「不愉快なことだな」
戦場は狭い建造物の中だ。兵力を送り込んでどうにかなる問題ではない。オステルマン中将にはほとんど何をすることも出来なかった。それが非常に歯痒い。
「市内の部隊の配置転換は進んでいるか?」
「あまり芳しくはないようです。敵軍の襲来までに間に合わない可能性も十分にあります」
ゲルマニア軍の弱点の一つがこれだ。ヴェステンラント軍と比べてほとんどの場合兵士が10倍以上いるので、急速な作戦の変更を命じると現場が混乱して上手く動けないのだ。
「クソッ。周辺の警戒を怠った私の失策だな」
「我が軍全体の油断ですよ、閣下」
「何でもいい。ともかく、撤退を急がせろ」
ヴェステンラント軍が到達するまでもう半日程度しか残されていない。