作戦発動
『オーギュスタン、どうして私に作戦を任せてくださったのですか?』
オーギュスタンの静かな居室に一人の女性からの通信が入った。その相手とは青公オリヴィアである。本土に帰ってきているにも拘わらず先日の七公会議に出なかった大公だ。
「君は臆病故に、情報が漏れる心配を一番しなくて済んだ。それに君の勝利への意思は誰よりも強い。そんなところだ」
『勝利への意思、ですか? それならば、もっと血気盛んな方がいると思いますが……』
「そういう人間は大火事のようなものだ。一時は全てを焼き尽くす業火のようであっても、いずれ燃え尽き消えてしまう。だが君は、ランタンのようなものだ。炎は決して強くはないが、勝利への道程を休むことなく照らし続けるだろう」
『は、はあ……』
オリヴィア本人もオーギュスタンが何を言いたいのかよく分からない様子。だがオーギュスタンは、この気弱な大公への評価を変えることはない。
「ともかく、これより我々は、海王星作戦を決行する。準備は整っているな?」
『はい。万事問題ありません』
「それでよい。そういう冷淡な行動こそ私が求めるものだ。では、情報漏洩の危険を排する為、以後こちらから通信をかけるまで、全ての通信を封鎖する。健闘を祈る」
『ありがとうございます。ではまた、王都で』
通信終了。オーギュスタンは今、勝利を確信した。
○
王宮で熾烈な白兵戦を展開しながら、徐々にその中心部へと迫る第88機甲旅団の精鋭達。その時、ヴェロニカは魔導探知機が妙な反応を示していることに気付いた。
「シグルズ様、ちょっと待ってください!」
「どうした?」
緊張したヴェロニカの声に、シグルズは嫌な予感がした。
「魔導探知機に反応がありました。三方から敵が接近しています」
「僕達を逆包囲するつもりか? 数は?」
ヴェロニカの言葉から、シグルズは王宮の敵軍が反撃を試みているのだと判断した。だがヴェロニカの表情は曇る。
「それが、その……妙なんです。反応がやけにぼやけていて、まるでルテティア・ノヴァの外に敵がいるようです」
「それは……」
魔導反応は距離が離れれば離れるほどぼやけ、敵の詳細が分からなくなっていくものだ。そして今回の魔導反応のぼやけ方は、敵が10キロパッスス以上遠くにいる時のそれであるように、ヴェロニカには思えた。
「師団長殿、魔導探知機の不調かもしれない。一先ず敵の距離を把握するべきだ」
オーレンドルフ幕僚長は冷静に言った。
魔導反応がぼやけている場合、最早敵の数を数え上げることは不可能になり、敵までの距離と反応の強さから敵の数を概算することになる。オーレンドルフ幕僚長はこれを試みるようシグルズに進言した。
「そうだな。そうすべきだ。ヴェロニカ、あの塔の上に行こうか」
「は、はい!」
シグルズとヴェロニカは翼を生やして近場にあった塔に登った。周囲を見渡すとあちこちから煙が上がり銃声が聞こえるが、魔導探知機にあったような纏まった敵は発見出来なかった。
「宮殿の中ですからね。上からは見れないのかもしれません」
「そうならいいんだけどね……」
近場に敵を確認出来なかった以上、まだ一つの可能性が残っている。大量の敵が遠くにいる可能性だ。シグルズは双眼鏡でルテティア・ノヴァ市内、そして市街の原野に目を移していく。ルテティア・ノヴァの外は数本の道がある以外はほとんど何もなく、自然そのものと言ってもいい平野であった。
「おーっと……見つけちゃったな……」
シグルズが半笑いで言う。
「ど、どうしたんですか?」
「東から敵が迫っている。距離はおよそ12キロパッスス。ここから見て分かるくらいの大軍だ。数はおよそ2万」
「そ、そんな数が!? し、しかも、同じような反応は他の方向からも……」
「ああ。どうやら僕達は6万の大軍に包囲されかけているようだ」
「そ、そんな…………」
ヴェロニカは絶句する。これまで勝利は時間の問題と余裕ぶっていたのが、いきなり大量の敵のただ中にいると分かったのだ。
「ど、どうするんですか……?」
「ゲルマニア軍は包囲になんて全く備えていない。このままでは完璧に包囲されて30万が全滅する」
「そ、そんな…………」
「だから僕達はすぐに撤退しなければならない。オステルマン中将に繋いでくれ」
「はい!」
もう一刻の猶予もない。ルテティア・ノヴァを攻め込ませたのは、全てヴェステンラント軍の罠であったのだ。
「――という訳です。閣下、どうかご決断を」
『急にそんなことを言われてもな……』
いきなりの戦況の変化に流石にオステルマン中将も戸惑っている様子だった。だがそうも言ってはいられない。
「――閣下、今の我々が包囲されればお終いです! ここで撤退しなければ、ゲルマニア軍は主力部隊を完全に喪失することになります!」
『……分かった。判断を迷っている時間はないな。ルテティア・ノヴァ攻略は直ちに中断。メヒクトリ港まで全軍を引き上げ防衛線を敷く。これで問題ないな?』
「はい。そうしましょう」
『うむ。ではまた会おう』
「そう願っています」
そして直ちに全軍に撤退命令が伝えられた。この迅速な対応は、流石はオステルマン中将と言ったところだろう。