混乱
ACU2314 7/19 帝都ブルグンテン 総統官邸
「我が総統、報告です。ウィンドボナで1万を超える民衆による暴動が発生した模様です」
「そうか。これで一体何件目か……」
帝都での暴動に端を発し、帝国の各主要都市で起こる反和平暴動。これにはヒンケル総統も頭を抱えたまま、何の対処も出来ないでいた。
「総統閣下、造兵廠でも暴動や座り込みなどが多発しています。今や帝国は騒乱状態ですね」
クリスティーナ所長、或いは労働大臣は、帝国各地の工廠でも人々が戦争継続を訴えていると報告した。
「財務大臣、これはどういうことか。臣民は戦争で大いに苦しんでいるのではなかったのか?」
「す、数字の上では、確実にその筈です。兵器と軍需物資以外のありとあらゆるものの生産量は戦前に比べて落ち込み、臣民の生活水準は確実に低下しています。である筈なのに、どうして戦争を続けたいと思うのか……私には全く分かりません」
「はぁ、そうか」
「総統、もっと簡単な話かと。民は報復を望んでいるのです。我々から200万を超える命と多くの財産を奪ったヴェステンラントに」
カイテル参謀総長は言った。
「そうか、そうだな。結局そういうことなのだろうな。報復がしたい気持ちはよく分かる。だが、平和を勝ち取る機会を逃してまでも、復讐したいものなのか?」
「このままでは我々はただ失っただけです。せめて敵からも奪えるものを奪わないと納得出来ないというのは、自然な感情ではありませんか」
「そういうことにしておこう」
市民の感情は単純である。難しいことを考える必要はない。
「まあ、それはどうでもいいのだ。問題はこの事態をどう収めるか、だ。こんなこと、帝国の歴史始まって以来だぞ」
「親衛隊はいつでも暴徒を殲滅する用意があると申しておりますが……」
「馬鹿なことはよせ。こんな人数を殺してみろ。内戦に一直線だ」
武力による解決は論外。ヒンケル総統はこれだけは曲げない。
「しかし、そうなると、説得でもされるおつもりですかな?」
「そうだ、その通りだ。対処に当たっている全ての部隊には、今後も説得を続けさせろ。絶対にこちらからは手を出すなよ」
「無論ですとも。我が軍は臣民に手を上げることはありません」
カイテル参謀総長としても、武力を用いるのは最後の手段であると認識している。ともかく、ヒンケル総統は群衆への説得を試みた。
〇
翌日。
「一晩明けましたが、未だ事態が終息する兆しも見えませんな」
「そのようだな……。まったく、どうすればよいと言うんだ」
「我が総統、ご報告です! ルシタニア王都ルテティアにおいて、ヴェステンラントへの反撃を訴える暴動が発生したとのこと!」
「ルシタニアでもか……。何人くらいだ?」
「そ、それが、10万人を超える人間が集まっているとのことです!」
「何と……。ルシタニアでそれとは、一大事ではないか」
人口がゲルマニアの半分未満で都市化も進んでいないルシタニアでそれとは、ルシタニア人は相当ヴェステンラントを許す気はないようだ。
「まあ、ルシタニアは我が国を遥かに超える被害を受けております。ヴェステンラントに報復をしないというのは、許せないのでしょう」
「そうか……」
ルシタニアはおおよそ300万人を失った。総人口の10人に1人近くが失われたのだから、国民のほとんどが知人を失っているだろう。
「どうやら、エウロパの民はことごとく、ヴェステンラントへの報復を望んでいるようですな」
「うむ……。暴動は広がるばかり。説得は効果もなし。一体どうすればよいのだ?」
「こうなれば、民の声に従うしかないのかもしれませんな」
「何だと?」
カイテル参謀総長の言葉は、ヒンケル総統には全く予想外であった。
「戦争とは、いつも民が起こすものです。我々は民が望むところに従って戦争を遂行して来ました。その流れに逆らおうとするのは、愚かなことなのかもしれません。我々は所詮、民の信任によって指導者になっているのですから」
「うーむ……」
指導者とは人々の意志に適う存在でしかない。古代や中世のような君主制であろうと、結局のところ国を動かすのは圧倒的大多数を占める民なのだ。
「では、発表を撤回してヴェステンラントに侵攻しろと?」
「はい。それが我々の成すべきことやもしれません」
「出来なくはないが……」
上層部では皇帝の一声で決定された和平の方針であるが、公式発表ではあくまでヒンケル総統が決定したことになっている。故に決定を撤回することは不可能ではない。
「臣民の気持ちはよく分かるが、彼らが最も幸せになるのは平和を勝ち取ることだ。私はまだ和平を諦めたくはない。まだだ。まだ説得を続けて欲しい。軍部にもだ」
「はい。閣下のご命令とあらば。とは言え、よい結果が得られるとは思えませんが」
「その時は、その時だ。どうしようもなくなれば、ヴェステンラントに報復をせざるを得ないだろう」
「全ては閣下が決めることです」
「そうだな。全ての責任は私にある」
ヒンケル総統は未だ平和的な解決を諦める気はない。