一時的な平和
「なるほど。確かにそう言われれば、やりたくなりますね」
正直言って西部方面軍に今からブリタンニアに進攻する余裕はないのだが、出来る振りをしておくのは悪くない。
「シモン……何てことを言ってくれるんですか」
「す、すまん」
「まあ、我々にそんな姑息で卑怯な真似をする気はありません。とは言え、そちらに疑念が残るなら、暫しの休戦を条件に付けてもいいですよ。そうですね……2ヶ月ほど」
「それはありがたいです。とは言え、その対価は必要なのでは?」
「そうだね。ただで休戦を受け入れることは出来ない」
「それでは、どうぞご自由に私達に要求して下さい」
突然降ってきた幸運だ。ゲルマニア軍は実質タダでヴェステンラント軍に条件を突き付けられる訳である。そしてシグルズは交渉の全権を任されている。
「であれば、地中海に取り残されている軍艦を全てゲルマニアに接収させてもらいたい。どうせ地中海から出ることの出来ない艦隊なんだから、悪くはないんじゃないかな」
ターリク海峡を爆破して封鎖したことで地中海には数十隻規模のヴェステンラント艦隊が取り残されている。確かに、どうやってもヴェステンラントが取り返すことは不可能だ。
「私達の船を取って、何がしたいのですか?」
「船の用途なんて無数にあるだろう?」
「……まあ、分かりました。いいですか、シモン?」
「構わん。彼の言う通り、いずれは敵に渡る船だ。今渡したとて状況は変わらん」
「それでは、交渉成立ですね」
「ええ、シグルズ」
どうやら船を自沈させるという発想がヴェステンラントにないことに感謝しつつ、シグルズは予定以上の条件を引っ張り出すことに成功したのであった。
〇
ACU2313 5/16 帝都ブルグンテン 総統官邸
「総統閣下、レタウニアのヴェステンラント軍が撤収を完了したと、向こうから通知がありました」
「そうか……。ルシタニアの残存勢力も降伏させたし、ようやく一息つけるのか……」
「ですな。ようやく絶え間ない塹壕戦からは解放されました」
戦争が始まって以来5年近く、ゲルマニアは常にヴェステンラント軍の脅威に晒されてきた。だが、それももう終わったのだ。また正確には海を隔てたすぐ近くにヴェステンラント軍の拠点があるが、すぐ隣にいられるよりはマシである。
「せっかくシグルズ君が休戦を取り付けてくれたのだ。ここは全軍に休むよう、伝えてくれ」
「我々東部方面軍は休んではおられませんが……」
ローゼンベルク大将は言った。東部占領地の情勢は、ヴェステンラントを大陸から追い落としたとて特に変化はない。
「それはそうか。すまないな。休めるのは西部方面軍だけだな」
「はい。暫しの休暇を頂くとしましょう」
まあザイス=インクヴァルト大将本人にそんな暇はないのだが。
「しかし、ヴェステンラント軍が敗退したとなれば、東部の状況も少しはよくなるんじゃないか?」
ダキアの残党は、基本的にヴェステンラントがゲルマニアを滅ぼしてくれる日に期待して抵抗を演じてきた。しかしそれが遠のいた今、こちらに帰順する者も現れるかもしれない。
「今のところは大して変わりはありませんね。しかし、確かに閣下の仰る通りかと」
「投降した者には命を保証してやれ。そうすれば降伏する者も出るだろう」
「はっ。それでは死刑は適用されないこととしましょう」
東部は様子見をするしかないだろう。
「そうそう、シュトライヒャー提督、鹵獲したヴェステンラントの船は使えそうか?」
「ええ、はい。我々が使い易いように少々改装を行えば、すぐに使うことは可能です。但し、魔導弩砲については使えないのと、船が全体的に小柄で大砲を積めないので、大した戦力にはならないかと」
ヴェステンラントの造船技術はゲルマニアより遥かに劣っており、大抵の船は中型の帆船程度である。これに魔導弩砲があるから戦力たりえていたが、それが使えない今、それは最早軍艦の域にすら達していないただの船だ。
「そうか……。まあ輸送船くらいになら使えるだろう。地中海から出すのにはどれくらいかかる?」
「ターリク海峡の復旧には少なくとも半年以上かかります。それ故にヌミディア大陸を一周して外に出すしかありませんので、2ヶ月程度と見てください」
「ならほど。まあそんなに急ぐ必要もない。寧ろ気楽にやってくれたまえ」
「はっ。ありがたきお言葉です」
アトミラール・ヒッパー建造に予算のほぼ全てを使い潰していた海軍にとってはこれでも嬉しいものだ。戦力は戦艦で十分だが、雑用船というのは必要である。
「しかし閣下、今日はいつもより元気がよろしいようですな」
ザイス=インクヴァルト大将は柄にもないことを言った。
「そうか? 別に私はいつも通りにしているつもりだが」
「傍目から見れば、明らかに報告を求めることと総統命令が増えています」
いつもは各部署の利害調節に当たるヒンケル総統が、明らかに直接命令を下すのが増えている。
「そうか……。君がそう言うのならそうなのだろうな」
「まあ、国の頭である閣下が壮健なのはよいことです」
ゲルマニアは今、総統から末端の兵士に至るまで、諸事に安堵していた。春作戦は完全に成功し、ゲルマニアの敗北という未来は回避されたのだ。