講和条件
「しかし、あそこにはヴェステンラントの大公が2人と大公の娘がいるんだぞ? これを捕縛出来れば、我々にとってこれ以上ない成果なのではないか?」
ヒンケル総統はなおも尋ねる。もしもこれらを捕虜とすることが出来れば、この戦争に一気に終止符を打つことも可能だ。しかしそう上手くはいかないらしい。
「総統閣下、敵にはレギオー級の魔女が2人もおります。それに、シグルズ君に曰くレギオー級に匹敵するという魔女も。その力があれば、レタウニアからブリタンニアまで空を飛んで逃げることは可能かと思われます」
「エスペラニウムが途中で切れはしないのか?」
「恐らくは。無論、危険であることに変わりはありませんから魔女達にとっても最後の手段でしょうが、いざとなったら逃げられるでしょう」
例えば道中で偶然にもゲルマニア軍と遭遇したりして魔法を消耗すれば、ブリタンニアまで持たずに墜落するかもしれない。
とは言えその確率は低く、レタウニアを落としたとて大公達を捕えられるとは考えない方がいい。ザイス=インクヴァルト大将はそう確信している。
「そして、今申し上げましたように、敵にはレギオー級の魔女が2人、もしくは3人います。それはつまり、我が軍の貴重な魔導師達をレタウニアにずっと張り付けなければならないということですから、やはり現実的ではないかと」
「なるほどな……」
ゲルマニア軍でレギオー級の魔女とやり合える者はほんの少数である。しかも彼らは尽く、最新兵器の運用に長けた者だ。彼らがレタウニアにずっと拘束され続けるのは、好ましいことではない。
「以上の理由より、2万程度の兵なれば逃がしてやっても構わないかと、私は考えます」
「本当によいのだな? 後に禍根となるまいな?」
「はい。そもそもヴェステンラント軍は本国に30万近い軍勢を残しています。2万を逃がしてやったとて、体勢に大した変化はないでしょう」
「そうか、分かった。それで、奴らに撤退することを許すとして、条件はどうする?」
ヴェステンラントに軍を見逃してやろうと言うのである。ゲルマニア軍も苦しいという内情は隠し、向こうから条件を引き出すべきだ。
「それでしたら、ルシタニア領内で抵抗するヴェステンラント軍を降伏させることとしましょう。これで作戦を直ちに終結させることが出来ます」
「なるほど。よい条件だ。で、交渉は誰に任せる?」
「それはまあ、ハーケンブルク少将に任せるとしましょう。彼ならば合意を引き出してくれる筈です」
「そうか。であれば任せる」
「はっ」
ヴェステンラント軍との交渉はシグルズに一任されることとなった。
〇
「――ゲルマニア軍から講和を持ちかけてきた、ですか?」
「はい。向こうから交渉の席に着くよう通信が入っております」
マキナはクロエに報告した。
「こちらとしてもいつかは和議を結ぶつもりでいたのです。向こうからそれを求めてくるのなら、それは願ってもないことです」
「それでは、お受けしてよろしいですか?」
「はい、構いません。丁重にお招きするように」
「はっ」
かくしてゲルマニア軍からの特使がヴェステンラント軍の陣地に招かれた。その特使とはシグルズたった一人である。交渉にはクロエとシモンが当たる。
「これは陽公シモン殿、お初にお目にかかります。神聖ゲルマニア帝国軍のシグルズ・フォン・ハーケンブルク城伯と申します」
「うむ。私は陽の国の大公、シモン・ファン・ルミエールだ。君の話はずっと前から常々聞いているよ」
「大公殿下にお目をかけて頂けるとは光栄です」
「そんなことは思っていないだろう」
「いえいえ、滅相もない」
まあ実際はシモンがどう思おうが知ったことではないが。
「シグルズ、私も同じ大公なんですけど、対応が違いませんかね?」
「まあ君とは何度か殺し合った仲だからね。敬意はきちんと持っているんだけど」
実のところ、シモンにはちっともだがクロエには敬意を持っている。寧ろ、だからこその雑な対応なのだ。
「どんな仲なんだね、それは……」
「親愛なる宿敵ですよ。では早速、話し合いに移るとしましょう。シグルズ、私達が要求するのはレタウニアに存在する全ての兵士、将軍が無事に脱出することです」
「レタウニア以外の部隊は全て見捨てる、ということでいいかな」
「……はい。残念ですが、そうなるでしょう」
それはつまりそういうことだ。大公だけを逃がして他の全てを見捨てると。
「承知した。ではゲルマニアからの条件は一つ。レタウニア以外のルシタニアで活動する全てのヴェステンラント軍を僕達に降伏させることだ。どの道降伏することになる軍隊、今降伏させておけば犠牲も少なくて済むんじゃないかな?」
「ちょっと待ちたまえ、城伯」
「何でしょうか」
「それはつまり、和議がなると同時に君達が直ちに自由になるということだ。もしもブリタンニアに君達が攻め込めば、この和議は事実上反故にされるのではないか?」
逃げる場所を先に占領されれば和議は実質的になかったことになる、とシモンは指摘するのである。