戦略と戦術
明智日向守率いる軽騎兵隊はその後六度に渡って突撃と撤退を繰り返し、ガラティアのファランクスに多大な損害を与えた。そして七度目の突撃を敢行中――
「ん……矢か」
ヒューッと子気味いい音を立てながら飛来した矢は、明智日向守のすぐ隣にいた武士の腹を貫いた。それを明智日向守は特に驚くでもなく眺めていた。
「あ、明智殿! 敵勢からの矢が!!」
「分かっている。奴もこの程度で死んではくれぬか」
「な、何を仰っているのです!? 早く下がらねば! 我らは具足すら着ていないのです!」
機動力を最大にするべく最低限の鎧しか纏っていない軽騎兵。敵が反撃して来ればマトモに撃ち合う力はないのだ。
「ああ。退け。ここまでだ」
「はっ! 皆、下がれ!」
軽騎兵はすぐさま逃げ帰り、若干の損害を出しつつ本隊に合流した。そして明智日向守は再び曉の本陣に参じ、攻撃の成果を報告した。
「――討ち取りし首、およそ二千。討ち死にしたる者はおよそ三百にございます」
「これで敵の長槍を大きく削れたわね。よくやったわ、明智日向守」
「ありがたきお言葉。然れども、長槍持ちは以前健在。敵は弓隊を前に出し、より堅固に守りを固めております」
「そうね……」
ファランクスだけならまだ何とかなったが、そこに弓隊の援護が加わるとなると話は別だ。より一層強固になったこの陣形を突き崩すのは非常に困難であろう。
「しかし曉様、これを何とかしなくてはならないのですよね?」
「ええ。柿崎、あなた何か案はないの?」
「そうですな……あれは今や城のようなもの。無理に力攻めをすれば多くの兵を失うことは必定です。一気呵成に決着を着けるというのは無理があるとしか……」
「上杉家中でも一番の猛将がそう言うのなら、そうなのかもね……」
昭家は敵を見たらまず突撃すると言われている男だ。それが攻撃を躊躇うということは、マトモにやりあったところで勝てないという確信があるからであろう。状況は厳しい。
「曉様、ここは一度、我らが目指すところを明らかに致しましょう」
明智日向守は静まり返った諸将の間で口を開く。
「どういうことよ?」
「我らは何の為にここに出陣したのですか?」
「は? そりゃあガラティアを追い払う為に決まってるじゃない」
「はい。であれば、それさえ出来れば何を捨てても構わぬ覚悟で挑まねばなりません。アリスカンダルほどの男を倒すには、そのくらいは覚悟しなければ」
「しかし明智殿、我らの背には武田がいるのだぞ? 今はまだ董將軍が押さえてくれているとは言え、いずれは合戦を挑まねばなるまい。そして合戦には兵が必要だ」
戦力を損耗せずに短期決戦でガラティア軍を撃退する。これが麒麟隊の求めていた勝利だし、それを前提にここまで策を練って来た。だから当然、昭家は明智日向守に問いかけた。
「……そのような、そのような高望み、我らには許されておりませぬ」
「何? 出来ぬと申すか?」
「はい。どなたかその策をお持ちの方がいらっしゃるのなら、是非とも聞かせて頂きたい」
「それは…………」
確かに不可能だった。だが曉は明智日向守の言い出すことに興味があった。
「で? 多くの兵を損ねて勝ちを得たとして、次はどうするつもりなのかしら? 信晴はそこで待ってくれるほどお人好しではないわ」
「はい。我らには手立てを選んでいるほどの余力はありませぬ。勝てればそれでよいのです」
「……だから?」
明智日向守は珍しく言葉に詰まった。だがすぐにいつもの調子で淡々と語り始める。
「兵など、この地にはいくらでもおります。鬼石さえあれば、兵などどうとでもなります」
「何? そこら辺の百姓に刀を持たせて戦わせようって言うの?」
「はい。さすれば、いくら兵を失おうと気にすることはありません」
「明智殿、自分が何を申しているか、分かっているのか?」
昭家は、いやここにいる誰もが、明智日向守の提案を認めることは出来なかった。
「はい。唐土でも海岸なれば鬼石は豊富に取れます」
「そういう話ではない。百姓に刀を持たせたところで、ロクに振ることも出来んぞ。弓など猶更だ。それが分からぬ貴殿ではあるまい」
大八洲の武具はどれも、長年の修練を積んだ者が使うことを前提に生産されている。故に、百姓にそれらを持たせたとしても戦力としては使い物にならないだろう。
「無論です。しかし、合戦ならば邪魔なだけですが、籠城ならばまだ使い道はあります。武田に対してはどこまでも城に籠り、疲れ切らせて退かせるか、或いはそこで決戦に臨むかがよろしいでしょう」
「なるほど。武田を足止めしている間に兵力を整えればいい、か」
「はい。こうでもしなくては、我らに勝機はありません」
例え部隊が壊滅しようともガラティア軍を撃退し、武田相手には農民を動員して徹底した持久戦を挑む。それが明智日向守の新たな戦略である。
「……分かったわ。その案しか私達に勝ち目はない。それに掛けましょう」
「はっ」
曉はその作戦を採用する以外に道がないことを悟った。