ピョートル大公の扱いⅢ
「うむ……。ここは、ピョートル大公を帝都に軟禁するに留めたいと思う。カルテンブルンナー全国指導者の言い分ももっともであるが、今回は帝国にとっての利益を選ぶこととする」
ピョートル大公を帝国に留めておけばもう反乱に使われる心配もない。そして寛大な心を見せることで、ダキアの占領統治も少しは楽になるだろう。
「我が総統が仰るのなら、異論はありません。帝国にとっての正義は利益なのでしょう」
「……そういうことだ。すまんな」
名残惜しそうなカルテンブルンナー全国指導者はどうしようもなく、会議は次の議題へと進むのであった。
〇
ACU2312 11/10 帝都ブルグンテン郊外
帝都を囲う城壁の外。寂れた農村の一角に、少しだけ立派に出来た家があった。ピョートル大公は、いや、今はただのピョートル・セミョーノヴィチ・リューリクは、ゲルマニア兵に監視されながら、その扉を叩いた。
「これは! 殿下、よくぞご無事で……!」
「久しぶりだな、ハバーロフ大元帥よ」
ポドラスでピョートル大公を生かす為に捕らえらたダキア軍のかつての最高司令官、ハバーロフ大元帥がそこにいた。
「君はこんな寂れた家に囚われていたのか」
「はい。常にゲルマニア兵に監視されながら、ここで暮らしておりました」
「辛い思いをさせてしまったな……すまない」
「いえいえ、謝らないで下さい。ここでの暮らしも案外悪くないものです。慣れるのには少々時間がかかりましたがな」
「そうか……であれば、私はもっと時間がかかりそうだ」
ピョートル大公は自分を嘲笑うかのように微笑を浮かべた。つい最近まで一国の最高指導者として生活してきた人間が、こんな寒村での生活などに慣れられる筈がない。
「まあ、それはいい。私が勝手に苦しむだけのことだ」
「はあ」
「それよりも問題なのは、ダキアに残してきた我らが民のことだ。キーイ大公国などと抜かしているが、ゲルマニア軍に占領されることに違いはない。特にオブラン・オシュの市民は何をされるか……」
「殿下……」
誤った戦争指導をしてしまったとは言え、ピョートル大公の民を想う気持ちは本物だ。彼は市民を総動員して徹底抗戦したオブラン・オシュがどんな報復を受けるか、非常に心配していた。
ゲルマニア兵が積極的に暴力を振るわなくとも、あんな瓦礫の山に残してきた30万の市民は気がかりである。
「……確かに殿下のお気持ちは察するに余りあるものです。ですが殿下、私はここで、多くのゲルマニア人を見てきました。四六時中この家にいた訳ではありませんからな」
「ゲルマニア人を見て、どうしたと言うのだ?」
「恐れながら、ゲルマニア人は我々とさして変わりません。彼らは特別に残虐でもなければ特別に心優しい訳でもない、至って普通の人間です。きっと、この世界のどこに行っても、民の性質はそう大きくは変わらないでしょう」
ゲルマニア人とダキア人を見てきたハバーロフ大元帥は、そう確信していた。ダキア人もゲルマニア人も所詮は人間であり、大した差は存在しないと。
「……本当に言っているのか?」
「はい。私はしかと見てきました。ですから殿下、そう心配なさらなくてもいいのです」
「…………分かった。大元帥からの言葉なら信じるに足るだろう。私はここで生き抜いて、再起の時を待つ」
「それがいいでしょう。殿下はまだお若い。私はもうすぐ死ぬでしょうが、殿下ならば……」
「ふっ、若い部下も多いからな。一人を殺してしまったのは、あの時の私はおかしかったな…………」
ホルムガルド公アレクセイを粛清したことを、ピョートル大公は後悔していた。だが、自分勝手ではあるが、亡命させた若い諸将、諸侯に淡い期待を抱いていた。
○
ACU2312 11/12 崇高なるメフメト家の国家 ガラティア君侯国 帝都ビュザンティオン
「陛下、我々を受け入れて下さり、感謝の極みでございます」
エカチェリーナ隊長率いるダキアの亡命者達は、スルタン・アリスカンダルにひれ伏して礼を述べた。
「そんなに畏まらなくてもいい。私は君達の君主ではないのだから」
「はっ」
「うむ。さて、私はそういう社交儀礼が嫌いなのだ。実際的な話をしようではないか」
アリスカンダルは礼儀作法というものに興味がない。そういう時間は時間の無駄としか思っていないのである。
「イブラーヒーム内務卿、彼らに伝えてくれ」
「はっ。皆様方が我が国に逗留するに当たりまして、少し条件があります」
「何なりとお申し付けください」
「はい、あなた方が実質的にダキアの亡命政府であることは承知しています。ですが、そのようなことは外には公言しないで頂きたい。これが最も重要な条件です」
「……理由をお尋ねしても?」
「公式には、我が国はあくまで、あなた方の身を案じて受け入れているだけです。あなた方がゲルマニアに対抗するのを助ける為ではありません」
建前の上ではそうなっている。亡命政府としてではなく、人道上の観点から亡命を受け入れたのだと。そして実際には、ダキアへの影響力を保持しつつ、ゲルマニアとの過剰な軋轢を避けたいのが理由だ。
「万が一にもそのような事態になった場合、我が国はあなた方をゲルマニア軍に突き出さねばならなくなります」
「――分かりました。心配には及びません」
「それはありがたい」
とは言え、彼女らの存在がゲルマニアにとって目障りなのに違いはなかった。