ダキア大公国の終焉
「この先か?」
「はい。この扉の先に司令部があるようです」
「司令部と言っても何に司令してるのか分からないが……よし、進もう」
「はいっ!」
シグルズは地下壕の最奥にあった立派な扉を蹴破った。その先にはすっからかんの長机が中央に置いてある会議室。そしてその一番奥に一人の男が座っていた。
シグルズはその男に見覚えがあった。
「これは、ピョートル大公殿下ではありませんか」
「君はシグルズではないか」
「またお会いしましたね、殿下」
「ああ。まったく嬉しくはないがな」
かつてダキア大公国が一度降伏した時、止めを刺したのはシグルズであった。シグルズがピョートル大公とハバーロフ大元帥の許に乗り込み、降伏を認めさせたのである。
そして今回も戦争を終わらせるのはシグルズであった。シグルズは一応は敬意を払いながら、兵士達にピョートル大公と周辺の魔導通信士を囲ませた。
「しかし殿下、殿下の家臣はどこにいったのですか?」
「我が忠良なる家臣達は、既にオブラン・オシュを去った」
「なっ……ヴェロニカ、何か報告は?」
「いえ、そのような報告は特に……」
「そう……」
オブラン・オシュはゲルマニア軍に完全に包囲されている。そこから脱出するとなれば包囲の網に引っかかるはずだが、そのような報告はないという。
――となると、ピョートル大公の虚勢と考えるべきか……だが本当だとすると面倒なことに……
ここまでしてダキア大公国の指導部を追い詰めたのに、また逃げられたとなれば最悪だ。そんなことを許す訳にはいかない。
「ヴェロニカ、ローゼンベルク司令官にこのことを」
「はい」
「ヴェロニカ……」
「殿下? まさかヴェロニカをご存じでも?」
「ああいや、なんでもない。ダキア風の名前だと思っただけだ」
確かにヴェロニカは元はダキア人だ。そう言われると祖国を裏切ったことに少々の罪悪感を覚えるヴェロニカであった。まあ祖国から何の恩も受けてはいないのだが。
「さて殿下、まずは我が軍に降伏して下さいますか?」
「……よかろう。我が軍の部隊に降伏を命じる。通信士諸君を動かさせてくれ」
「それは勿論です」
ピョートル大公は市内各所で抵抗を続ける部隊に降伏を命じた。同時にシグルズもその旨を全軍に通達し、こうしてオブラン・オシュの戦闘は完全に終息したのであった。
「それで? 私をどうするつもりだ? 処刑するか?」
「それを決めるのは僕ではありません。決定するのは総統官邸。僕は殿下を護送する以上のことはしません」
「拘束の間違いではないのかな?」
「護送です。我が軍には殿下に個人的な報復をしたい者が多くおります。そのような輩から殿下を守ることは、我が師団の役目です」
「ふん、そうか。なれば君達に護衛してもらおう」
ゲルマニア軍はダキアとの戦争で30万近い人命を失っている。その家族親類は500万を超えるだろう。その怒りは当然ながらダキア大公国に、もっと言えばピョートル大公本人に向いている。大公が暗殺される可能性は大いにあった。
さて、シグルズは個人的に大公に聞きたいことがあった。
「殿下、あなたは聡明な君主です。であるのに何故、このような無謀な戦争を最後まで続けたのですか? あなたならば、勝ち目がないと悟った時点で降伏する方が賢明な選択であることは分かる筈なのに」
「降伏する方が賢明だと? 馬鹿を言え。ゲルマニア軍に占領された町では多くの民が殺され、略奪が行われているではないか。どちらにせよ民が苦しむのなら、誇りを持って死んだ方がマシだ」
「それは妄想です、殿下。確かに我が軍の一部には素行の悪い者もおりますが、それはダキア軍とて同じこと。大半は秩序を保っております。素直に降伏されていた方が、よほど市民は苦しまずに済んだ筈なのに」
「ゲルマニアなど信用出来るか! お前達侵略者の言葉などに、聞く耳はない!!」
激昂する大公の様子は、かつて見せた理知的な様子からは想像も出来ないものであった。よほど精神に負担がかかっていたのだろう。シグルズは哀れみさえ覚えた。
「……分かりました。殿下のお気持ちも、察するに余りあるものです。この話はこれで終わりにしましょう。殿下には帝都ブルグンテンに来てもらいます」
「オブラン・オシュはどうなる? 生き残った者も虐殺するのか?」
「いいえ、殿下。オブラン・オシュはキーイ大公国の重要な都市としてその支配下に入ります。ゲルマニア軍は復興への支援以外を行うつもりはありません」
「キーイ大公国……そのような傀儡に何かが出来るものか」
「彼らは決して傀儡ではありません。彼らはゲルマニアが信じるに足る友人です。我々は友人に手を差し伸べているだけなのです」
「ふざけた茶番を……」
――おっと、この話題はダメなんだった。
この類の話をしてピョートル大公を刺激するべきではないと、シグルズは改めて肝に銘じた。
「と、ともかく、こんな狭苦しい地下壕にいてはなんですから、早く外に出ましょう。話はそれからです」
「よかろう。ゲルマニア人の血は臭うからな」
「…………」
ピョートル大公は第88師団の手で帝都へと護送されるのであった。