オブラン・オシュ市街戦
「よっと……」
「ん? 師団長殿、どこに行くのだ?」
何も言わずに指揮装甲車を降りようとしたシグルズに、オーレンドルフ幕僚長は尋ねる。
「ああ、ちょっと戦闘の跡地を観察してこようと思ってね。ちょうどいいから部隊は休ませておいてくれ」
「そうか。了解した」
「あ、シグルズ様、私も行きます」
ヴェロニカは立ち上がる。
「休まなくて大丈夫?」
「魔導通信機と探知機を見ていただけですから」
「まあ、確かに。じゃあ行こう」
シグルズとヴェロニカは指揮装甲車から飛び降り、すっかり瓦礫に塗れた地面に足を着けた。煉瓦や木材の他に、人間や武器の破片がところどころに転がっている。
それらを眺めていると、シグルズはあることに気づいた。いや、ある程度は予想が付いていたことだが。
「ヴェロニカ、妙なことに気づかない?」
「妙なこと……ですか? さあ……」
「これを見てみて」
シグルズは崩れ落ちた壁だったものを軽々と持ち上げた。その下には2人の兵士の死体が無残な姿を晒している。損壊の酷い死体だが、あることだけは明らかだ。
「あ、魔導装甲を着ていませんね」
「そう。つまり、これはただの民間人ってこと」
「ピョートル大公は、本当に民間人を戦わせているのですね……」
ヴェロニカは驚いたり怒りを覚えたりすることはなく、ただ感心したような声で言った。やはり彼女は妙なところで死に慣れている。
「そういうこと。なかなか狂っているね……」
「ダキアはそういう国です。平民の命なんてどうでもいいんですよ」
「そういうものか……」
――うーん、ロシア仕草。
異世界に行ってもここら辺に住む民族は人命軽視を国是とするのはよく分かった。まあそれ自体はどうしようもないのだが、問題はこれが兵の士気に関わるということだ。
「ヴェロニカ、このことは誰にも言わないようにね」
「え? 何故です?」
「兵士でもない市民が戦わされているんだ。殺したくないと思うのが普通だろう?」
「そういうものですか……」
暫くは機甲部隊だけで前線を張るのがいいだろう。殺す相手のことはよく見えない。
○
同刻、市民を戦わせている者もまた苦しんでいた。市民に無理やり銃を持たせ逃げる者を射殺しているのは親衛隊、そして飛行魔導士隊だ。魔導士と魔女自体は温存し、一般市民を最前線に立たせているのである。
エカチェリーナ隊長は悩んでいた。このままこの戦争に加担していてもいいものかと。飛行魔導士隊はただ命じられるがままに市民を戦場に駆り出している。
「ねえアンナ、この仕事、楽しいかしら?」
「はい? そ、そんな訳ないじゃないですか! こんなこと……」
「ええ、そうよね。ごめんなさい。ただ私がおかしくないって、確認したかっただけよ」
「隊長がおかしい訳ありません! 誰だって、こんなことをやりたい訳がありませんよ……」
「そうよね。やっぱりみんな、辞められるものなら辞めたいのよね」
ピョートル大公にも何度か訴えたが、彼は聞く耳を持たなかった。実際にアレクセイが殺されているし、命令に逆らおうものなら飛行魔導士隊を粛清することすら、大公は厭わないだろう。
誰だって、こんな仕事をやらなくて済むのならそれがいい。
「ま、まさか隊長……大公殿下を裏切って……」
「はは、どうしようかしらね……」
そんなことを言ったらアンナ副長が反逆罪で逮捕されるところだが、エカチェリーナ隊長も一緒になって愚痴を零す始末。前線の空気はどこのこのようなものだ。
「どうしようかって……」
「安心して、まだ裏切る気なんてないわ。大公殿下の仰ることも、決して間違ってはいない。ダキア人のダキアを守らなければならないという志は、私も同じく持っている」
「で、ですが……その、殿下が犠牲にしているのは、そのダキア人なんですよ……?」
「ええ、その通りね。でも、国を守る為に民が犠牲になること自体は決しておかしいことじゃないわ。要は程度の問題ってことかもね」
エカチェリーナ隊長も、何を是とし何を否とすべきか考えが纏まっていなかった。
「ほ、ほう……」
「ともかく、今はダキアを守る為に全力を尽くしなさい。……その時が来れば、また命令を下すわ」
「は、はい……」
不穏な気配を全ての魔女が感じていた。
○
舞台は第88師団に戻る。
「砲兵隊、今度は徹底的に砲撃せよ! 塵芥となるまで敵拠点を破壊せよ!」
シグルズは厳命する。先ほどの戦闘で貴重な戦車が失われたのは、地下に敵の弩砲が残っていたのが原因だ。これに対抗するには、視界に入る建物を全て木端微塵に破壊するしかない。
砲撃が開始される。
30分以上に渡る集中的な砲撃で、木造建築にはあまりにも過剰な数の榴弾が降り注ぎ、地上に見えるものはそこに建物があったことすら分からないほどに粉々にされた。砂塵が舞い、視界を著しく遮る。
「こ、ここまでやれば十分ではないのでしょうか……」
流石のヴェロニカも徹底的な破壊に幾らか引いているようだ。
「……そうだね。撃ち方止め! 戦車隊、前進せよ!」
瓦礫の絨毯の上を進む戦車隊。だが次の瞬間、また一両の戦車から火が上がったのであった。