決戦前夜Ⅱ
「アレクセイ様、貴方では私に敵いません。どうか無駄な血を流させないで下さい」
「すまない、マキナ君。私はやらねばならんのだ。それに、私は君に一人で斬り掛かるほど愚かではない」
「? っ……」
予め手筈を整えていたのだろう。完全武装の魔導兵が百名ほど会議室になだれ込み、弩をマキナに向けた。だが彼女は涼しい顔をしている。
「なるほど。数で押し切ろうと言うのですね」
「そうだ。君自身は簡単に逃げられるだろうが、殿下を守ることは出来まい」
「流石は私が見込んだ男だ。その刃が私に向くとは思わなかったがな」
「……殿下、もう一度申し上げます。どうか市民を巻き込むような真似はお止め下さい。でなければ、私は彼らに弓を引かせることとなります」
どうしてもピョートル大公が退かないと言うのなら、実力でその行為を阻止するしかない。
だがピョートル大公は退かなかった。
「マキナ君、彼らを排除したまえ。大逆の罪には、死あるのみだ」
「……はい」
「殿下……クッ……撃てっ!」
アレクセイは下がりながら命じる。と同時に、兵士達は一斉に矢を放った。だがそうして聞こえたのは、鍛冶場のような鉄を打ち付ける音だった。
「か、壁……?」
ピョートル大公と諸将を隔てるように、鉄の壁が瞬間的に生成された。壁は完全に会議室を分断し、向こう側を覗く出来ない。
「こ、公爵様、これは……」
「ここまです――うぐっ……」
「あ、アレクセイ様!」
その刹那、アレクセイの腹に短剣が突き刺さった。アレクセイは鮮血をダラダラと流しながら倒れ込み、兵士達は彼を身を呈して守るように囲み込んだ。
だが次の瞬間には数十の短剣が飛来し、魔導装甲は紙っぺらのように切り裂かれ、兵士は次々と倒れていった。
「な、何、なんだ……これは…………」
薄れゆく意識の中で、アレクセイには血に染まりゆく床だけが見えた。そして彼に近づく人影が2つ。
「アレクセイ、君の負けだ。私はもう止まる気はない」
「で……殿下…………」
「さらばだ、我が友よ」
アレクセイの意識はそこで途絶えた。
かくして親衛隊の指揮権はピョートル大公自身に強制的に移譲され、彼に逆らう力を持った者はこの都市にいなくなってしまった。彼が降伏を決意しない限りこの戦争に終わりはなくなったのだ。
〇
ACU2312 10/5 キーイ大公国 モノマフ近郊
オブラン・オシュの目前に迫るゲルマニア軍。だが彼らも決して余裕がある訳ではなかった。
「ローゼンベルク司令官閣下、ここ数日、前線では軍紀の乱れが深刻になっています。早急に対応が必要かと」
シグルズはローゼンベルク司令官に報告する。
「そうか。まあ、食糧の現地調達などを許せば、こうなるよな……はあ……」
イジャスラヴリで物資をばらまいたお陰で、肝心のゲルマニア軍の為の食糧が不足していた。その為、ローゼンベルク司令官は現地の農村から食糧を徴発することを公式に認めた。
だが食糧だけを調達せよと命じても、そう上手くいく筈がなかった。食糧調達に乗じての略奪、現地住民への暴行や、強姦の例もいくらか聞かれる。
前世では日本軍という規律正しい軍隊にいたシグルズとしては、このことを極めて憂慮しているのだ。
「閣下、このような兵士に対しては、厳罰を以て対処すべきです。抗命の咎として、見せしめに何人か処刑することもやむなしかと」
「シグルズ……君の言いたいことは分かるが、そう簡単に出来ることではないのだ」
「何故ですか? 僕の第18師団を使って頂いても結構です。軍記を乱す者を摘発します」
「そういう問題じゃないんだ。戦争とはそもそもこういうものなんだ。今日の命すら保証されない彼らに、善人たれと君は言うのか?」
「……はい。軍人は国民の模範たるべき存在です。我々は常に正しくあらねばなりません」
――アメリカ軍と一緒になる訳にはいかないんだ……
必要のない犠牲が生まれるのは、シグルズは好まない。それにこういうことをしでかすと現地人から激しい恨みを買うのは、アメリカ人が証明してくれている。
「シグルズ君、すまない。君の提言を受け入れる訳にはいかない」
「何故ですか?」
「……やはり戦争とはこういうものだ。品行方正に戦争が出来るのは、圧倒的に余裕がある時だけなんだ。彼らを咎めることなど、私には出来ない」
「し、しかし……」
物量がどうとかが関係ないのは、これまたアメリカ軍が証明済みだ。とは言え、それを引き合いに出すことは出来ない。
「これを一々罰していたら、逆に秩序は崩れ去ってしまうだろう。だから、これは我が軍が最低限の秩序を維持する為の、やむを得ない犠牲なんだ。分かってくれ」
シグルズのような強大な魔法を持つ訳でもない兵士は、こうでもしないと正気を保っていられない。結局、シグルズに論理的な反論は出来なかった。
「……分かりました。ただの師団長には出過ぎた真似でした」
「分かってくれればいいんだ」
決戦の時は迫っている。せめて一刻も早くこの戦争を終わらせようと、シグルズは改めて決意した。