決戦前夜
ACU2312 10/4 ダキア大公国 オブラン・オシュ
ピョートル大公の前に集まった諸侯、諸将は皆俯き、沈黙が会議室を支配していた。並べられた椅子には空席が多く見える。彼らは大公を裏切りゲルマニアに付いた。半分近くに上る空席を見る度に、ピョートル大公は忌々しく思わざるを得ない。
「で、殿下……」
伝令の兵士がおずおずと呼び掛ける。
「何か」
「はっ。ゲルマニア軍、モノマフに到着した模様です……」
「そうか……。下がっていいぞ」
「は、はっ」
ゲルマニア軍は着々とこの都市に、最後の砦に迫っている。かつては広大なダキアの土地が大公の武器となったが、それももう失われつつあった。
オブラン・オシュに迫るゲルマニア軍を阻むものはもう存在しない。
「殿下……やはり徹底抗戦をなさるおつもりですか?」
ホルムガルド公アレクセイは問う。それは暗に戦ったところで何も得られないと言っているようなものだった。
だがそれを咎める者はもういない。ピョートル大公でさえも。
「……ああ。我々は最後の1人となるまで戦う。これは譲れない」
「時間を稼いでも意味は……。ヴェステンラント軍に動く気はないのだろう、マキナ君」
その名を呼ぶと、蜃気楼のように小柄な少女が現れる。そして彼女は無情に告げる。
「はい。大八洲方面からの援軍がまだ来ない以上、我々の方から攻勢に出ることは出来ません」
「そうだよな……私達の為に兵を無駄死にさせてくれとは、とても言えない」
「申し訳ありません」
マキナは流麗とした所作で頭を下げる。どこまでが本心なのかはまるで分からないが、嘘を吐いているようには見えなかった。
「そうだな。であるから我々は、自らの力で独立を守らねばならない」
「しかし……いくら弩砲があるとは言え、たったの3万程度で30万ものゲルマニア軍を相手には……」
ゲルマニア軍は本腰を入れて来ている。ローゼンベルク司令官が自ら率いる30万の大軍が進軍して来ていた。
それに対するダキア軍の兵力は総合計で3万。しかも魔導兵は1万にも満たない。銃器の質は当然ながらゲルマニア軍に遥かに劣る。
勝てる訳がないのは、最早明確だった。
だがその時だった。ピョートル大公は何かを閃いたのか、ふと顔を明るくした。
「ああ、そうか」
「な、何か?」
「兵士が足りんのなら増やせばいい。簡単な話じゃないか」
「し、しかし、我々の求めに応じる諸侯など最早……」
「そんなことはしなくていい。オブラン・オシュの市民に武器を与えよ。戦えれば何でもいい」
その言葉が狂気そのものであることに、ピョートル大公は気付いていないのか、あえて無視しているのか。
「殿下、正気ですか……?」
「もちろんだとも、アレクセイ。武器なら沢山あるではないか。大量に余っている前装銃に、ゲルマニアから鹵獲した武器もある。弩砲の操作もやらせれば、兵士の節約になるだろう」
「私が言えたことではありませんが……ただの市民に戦わせるなど、正気の沙汰ては思えません」
アレクセイは確かにイジャスラヴリ市民を人間の盾にしようとしたが、それはあくまでゲルマニア軍に総攻撃を思い留まらせる為だ。市民を戦わせることは目的になかった。
だがピョートル大公のしようとしているこては本質的に異なっている。彼は最初から市民に武器を握らせる気なのだ。
「正気でこんな戦争を戦えるものか」
「ひ、開き直るおつもりで?」
「ああ、そうだとも。我々はこの戦いに勝利する為、あらゆる手段を取らねばならない。そこに人間がいるならぱ、片っ端から銃を握らせるのみだ」
「本気で、本気でなさるおつもりで?」
「無論だ。すぐに触れを出せ。これより全てのダキア人は兵士となる。女子供も老人も、前線から逃亡する者は全て処刑せよ」
「……殿下、私はそのようなやり方には着いて行けません。親衛隊長として、お断りさせて頂きます」
アレクセイは初めて、大公の命令を明確に拒絶した。こんな馬鹿げた戦いに無辜の市民を巻き込む訳にはいかないと。
だがピョートル大公は反省するでもなく、逆に不気味な笑みを浮かべていた。
「そうかそうか。ついに君も私を裏切るか。本当ならここで処刑してもいいところだが、我々の仲だ。親衛隊長を解任するだけで許してやろう」
「で、殿下! お止め下さい! 私はどうなろうと構いませんが、民を巻き込むことは――」
「黙れっ!!」
凄まじい怒声に、会議室は凍りついた。
「……ホルムガルド公、君はもう頼りになりない。親衛隊は私が直接指揮を執る。これは決定事項だ」
「殿下……主君の誤りを正すのもまた、臣下の役目。殿下があくまでもそのような無謀をなかろうと言うのなら、私はそれを止めなければなりません」
「親衛隊もない君に何が出来ると?」
「こうするのです」
アレクセイは腰に掛けた剣を抜くと、ピョートル大公に向けた。
「……またかね。しかも今回は、よりにもよって君が造反するとはな」
「私は殿下に正しい道を歩んで頂きたいだけです。決して殿下を弑逆するつもりはありません」
「賊徒は賊徒。君は大逆の罪を犯している。よって処刑されねばならない。マキナ君」
「――はい」
ピョートル大公とアレクセイの間にマキナが立ち塞がった。その表情は心なしか悲しんでいるようにも見えた。