表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
199/1122

概説

 神聖ゲルマニア帝国の歴史を可能な限り遡ると、エウロパ=レモラ帝国に遡る。


 ビタリ半島を中心とし、かつてブリタンニアからガラティアの西半分くらいまでに至る広大な領土を統治した古代の超大国――レモラ帝国。魔導通信機の力によって一人の皇帝がその広大な領土を治めることに成功したが、一方でそれは反政府勢力の地下活動を容易にした。


 拡大期には新たな植民地から得た富で臣民を飼いならせていたものの、レモラ帝国が安定期に入ると徐々に帝国各民族の不満が噴出した。そしてACU1136年に起こったレモラ大分裂は、レモラ帝国を中心とした秩序を完全に崩壊させた。皇帝は廃され、旧レモラ帝国領はいくつかの強大な国家が割拠する群雄割拠の時代となったのである。


 地中海の南、西が地域的な統一を叶えるのはガラティア帝国の台頭を待たねばならなかった。しかしエウロパ大陸には早くも大陸を統一する勢力が現れる。現在のゲルマニアとルシタニアに相当する領域を支配する大国、エウロパ=レモラ帝国である。


 群雄割拠の時代となっても、名目上レモラ帝国は滅んでいなかった。レモラ皇帝が廃れただけで国は一応存続していたのである。


 エウロパ=レモラ帝国はそこに着目した。1460年、帝国はフリードリヒ大帝を皇帝とし、彼を自らの勢力圏に加えていない諸勢力も含めた旧レモラ帝国領全域の皇帝であると高らかに宣言した。名目上はレモラ帝国が完全に復活したのである。


 しかしエウロパ大陸以外の勢力はこの「皇帝」には従わず、ついにエウロパ=レモラ帝国の皇帝としてしか君臨出来なかった。


 そして1503年にフリードリヒ大帝が崩御すると、帝国は早くも2つに分裂した。この西側はルシタニア王国となり、東側はエウロパ=レモラ帝国の名を引き続き使い、これが後に神聖ゲルマニア帝国となる。このことからゲルマニアはフリードリヒ大帝を建国の父と呼んでいる。


 今のゲルマニアの、それも大陸部分だけを支配するだけの勢力でありながらレモラ帝国などと名乗っているのは滑稽だった。それどころか皇帝の権威すら凋落の一途を辿り、エウロパ=レモラ帝国内ですらやがてかつてのレモラ帝国のような群雄割拠のごとき時代が訪れた。


 名目上は皇帝が全土の支配者であったが、皇帝に従う者など誰もおらず、諸侯が好き勝手に政治を行う時代となったのである。皇帝の世襲すら行われなくなり、その位は諸侯の権威付けにしか使われなくなった。


 そこで帝国を再統一せんと動き出したのが、エウロパ=レモラ帝国の中で最強の勢力を誇っていたグンテルブルク王国であった。面積で言えば帝国の3分の1を統治していたグンテルブルク王国は、諸勢力に従属を要求。従う者はその代わりに地位を保証され、従わない者はことごとく滅ぼされた。


 そのような乱暴な歴史を辿りながらもグンテルブルク王国はついにエウロパ=レモラ帝国の全ての諸侯を自らの傘下に入れることに成功し、この地域の名から国名を神聖ゲルマニア帝国と改め、グンテルブルク国王を皇帝とする中央集権国家を誕生させた。2034年のことである。


 その後帝国は統一された貴族制度や帝国議会、帝国参議院を整え、また世界で最初となる参謀本部を設立し、国民国家として歩み始めた。


 ゲルマニアは周辺国や大八洲と同様に帝国主義を推し進め、特にヴェステンラント大陸への植民を推し進めた。だがこれは2148年のヴェステンラント独立によって頓挫することになった。


 ゲルマニアにとっての転機は2170年ごろの産業革命であった。グンテルブルク王国に現れた天才、ジェームズ・ワットと名乗る男が蒸気機関の理論と実用的な蒸気機関を数年のうちに完成させた。


 蒸気機関はゲルマニアをこの世界で突出した存在とした。


 蒸気機関車は広大なゲルマニアの領土を結合し、中央による統制を強めると同時に物流を爆発的に増加させ、爆発的な経済成長を成し遂げた。蒸気を利用した数々の工作機械は同じものを大量生産するという工業化を成功させた。


 中世を代表するような遅れた社会であったゲルマニアは、140年程度で世界に類の無い近代国家として覚醒したのである。


 もっとも、そこでガラティア帝国という強大な脅威が現れ、2273年にゲルマニア、ルシタニア、ブリタンニアは神聖同盟を結成することとなるのだが。


 さて、国内の体制を固めたゲルマニアは、その矛先を国外へと向け始めた。ダキアやガラティアとの軋轢は絶えなかったが、その最たるものは2280年の大北方戦争である。


 理論的にゲルマニア人と同民族であるとされたスカディナウィア民族。それを統一することを大義とし、ゲルマニア帝国はスカディナウィア半島への大規模な侵攻を開始、これを完全に併合することに成功した。スカディナウィア半島の諸国はゲルマニア帝国の構成国の一つとして呑み込まれ、ゲルマニアは更に拡大することとなる。


 その後2293年にヒンケル総統率いる社会革命党が政権を握ると、ゲルマニアは更に強固な中央集権体制を整えることとなった。そして現在に至る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=959872833&size=300
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ