疲弊する前線
「ところで、ドノバン長官、イズーナの心臓については、どうなっているのかな?」
ルーズベルトはふと思い出したように尋ねた。
「はい。現在、諜報員を数名、ゲルマニアに紛れ込ませており、既に心臓の在り処は特定しました。後は好機を待ってこれを盗み出すだけです」
「特に問題はないということで、よいのかな?」
「はい。敵がキリスト教会の連中ならともかく、ただの銃を持った人間ならば、どうということはありません」
かつてイズーナの心臓を管理していたのは教会とその魔導兵であった。奇襲の通じない魔導兵が相手であればドノバン長官も苦戦していただろうが、心臓の管理を引き継いだゲルマニア軍は彼の生きた世界とほとんど変わらない存在である。教会を撃滅したことは、結果的にアメリカを利することとなってしまったのだ。
「世界中で暗殺と強盗を実行してきた君がそう言うのなら、信用しよう」
「ありがとうございます。心臓の欠片があれば人を生き返らせられるなど、私には信じられませんが」
「それでも君は仕事に全力で取り組んでくれるのだろう?」
「はい。諜報機関は大統領閣下の手足であり、自らの意思を持ちません」
「素晴らしい。では引き続き、全て君に一任する」
「はっ」
ドノバン長官は悪人ではないが、善人でもない。入力に出力を返す機械のような男である。イズーナの心臓がルーズベルトの手元に届くのは間もなくだろう。
「後はイズーナの肉体が必要だが……こればかりはドノバン君に頼む訳にもいかんな」
「結局、目処は着いたのですかな?」
トルーマンはルーズベルトに尋ねた。
「目処ならばとうの昔から着いているが、確証は持てていない」
「ならば、心臓が届いた後に試してみるしかないのでは? まあそこら辺の原理は私にも全く理解出来ませんが」
「君の言う通りだな。では、その者を速やかに誘拐してくるとしようか」
「それもドノバン長官に任せるのですかな?」
「いや、人間には些か荷が重い仕事だ。私がやろう」
「大統領自らが出陣とは、驚きですな」
「それもそれで一興ではないか。じゃあ、私は早速行ってくる。留守は頼んだよ」
「あ、はい」
ルーズベルトはワシントンD.C.を発つ。トルーマンは後は野となれ山となれと思った。
○
ACU2316 5/27 ヴェステンラント合州国 白の国 ノイエ・アクアエ・グランニ
人類最終防衛線における戦闘が始まる前から延々と抗戦を続ける白の国の首都、白の魔女クロエが守るノイエ・アクアエ・グランニ。ゲルマニアの戦艦アトミラール・ヒッパーとプリンツ・オイゲンの支援を受けて今尚優勢を維持しているものの、殺せど殺せど尽きることのないアメリカ軍を前にして、疲労が溜まっていた。
クロエは兵士達を鼓舞する為に城壁を回っていたが、多くの兵士の魔導装甲は傷付き、普通ならば退役するほどの重傷を負い――手足を失ったり目を失ったりしながらも、城壁の守備から離れることは出来ないでいた。
「随分と酷い有様になってしまいましたね」
「仕方がありません。我々には、交代出来る兵力もないのです……」
クロエに付き添うスカーレット隊長は、珍しく暗い声音で言った。白の国がもう限界をとっくに超えていることは、彼女も重々理解している。
「しかし、ここを放棄する訳にはいきません。この城を囲んでいるアメリカ兵が南に向かうことだけは、絶対に阻止しなければ」
「分かっています。ですが、我々はいつまで戦い続ければ……」
「さあ、いつになるんでしょうね。私達は今のところ、負けないことだけで必死の有様です。勝てる未来は全く見えませんね」
一体どうやってここにいる何十万というアメリカ軍を消し去るのか。オーギュスタンですら、その構想すら思い付いていないのである。
「クッ……ただひたすら耐え忍ぶだけなど、我慢なりません!」
「じゃあ城から打って出ますか? 10倍の相手に野戦を挑むと?」
「戦史において、10倍の敵を打ち破った事例など数え切れないほどあります!」
「それは敵の油断を誘ってのことです。アメリカ人は機械のように何も考えていませんが、それ故に油断もしません。無理でしょうね」
「そ、それは……」
アメリカ軍が思考しない人形のような存在であることは、多くの場合人類軍に優位に働くが、一方で劇的な勝利を収めるのも難しい。そういう勝利は大抵敵を混乱させ、恐怖に追い立てられた敵が自壊することで達成される訳だが、アメリカ軍に恐怖という概念はないのである。
「分かりましたか、スカーレット?」
「そ、それならば、敵の中で唯一知性を持つ将軍を討ち取るのは如何でしょうか?」
「確かに敵の将軍を殺せれば状況は改善するでしょうが、どこにいるか全く分かりません。本当に実在するのかすら定かではないのですから」
何度か人類に接触を図ってきた、知性を持ったアメリカ人。この城を攻める軍団の背後にも人間がいることは間違いない。だが、それが現地にいるのか、はたまた遥か遠くから人形を操っているのか、それすらも分からないのである。