コマーツの戦い
ACU2316 4/3 ヴェステンラント合州国 陽の国 王都ルテティア・ノヴァ北方
王都ルテティア・ノヴァの北、大陸のくびれを完全に封鎖するような塹壕線を構築する作業は依然として続いていた。塹壕はただ兵士が入るだけではなく、戦車や装甲車を入れることの出来る幅の広いものであり、かつそれが二重に築かれている。本当ならもっと厚い防衛線を敷きたいところだが、そこまでの余裕はなかった。
塹壕線の構築において現場の指揮を担当しているのはジークリンデ・フォン・オステルマン中将であった。第18機甲師団を預かる彼女にはあまり似つかわしくない仕事だが、ヴェステンラントの土地に慣れた彼女以上に適した人材はいなかったのである。
さて、兵士や作業員の輸送用の列車に乗るオステルマン中将に通信が入った。
「閣下、オーギュスタン殿から通信です」
中将の副官ハインリヒ・フォン・ヴェッセル幕僚長は、伝令が持ってきた文書を差し出す。
「おう。何だって?」
オステルマン中将は自分で読むのが面倒臭かった。
「えー、アメリカ軍の軍団が一つ、陽の国に侵入したとのことです。ついては、防衛線の完成は間に合うかと質問が」
「ついに来たか」
一部の城塞を除いて北ヴェステンラント大陸は陥落した。アメリカ軍は王都を擁する陽の国に侵入し、決戦までもう時間はない。
「どう回答しましょうか」
「正直言って、まだ時間が欲しい。無理やり完成させるにしても、1ヶ月は欲しいところだ。そう言っておいてくれ」
「はっ。しかし、それほどの時間が稼げるとは……」
「それを考えるのはオーギュスタンの仕事だ。私の知ったことじゃないね」
「は、はあ」
オステルマン中将は対応をオーギュスタンに丸投げし、要求だけを突きつけたのである。
○
「――なるほど。1ヶ月を稼げというのか」
枢軸国最高司令部の会議中、中将からの返信を受け、オーギュスタンは楽しそうに笑った。
「どうするの? もう私達は限界だけど」
黒公クラウディアは懐疑的に尋ねた。
「そうだな。ここから1ヶ月も耐えよというのは、我が軍にはとても無理な話だ」
「なら――」
「我が軍には、不可能だが、我々には頼れる友人がいるではないか。ローゼンベルク大将閣下、恥を忍んで申し上げるが、ゲルマニア軍にアメリカの足止めを要請したい」
「恥を忍んでなどと仰らないでください。我々は人類軍の仲間じゃありませんか。もちろん、ご協力はいたしましょう。ですが、有力な要塞もない以上、食い止められる保障は……」
「その時はその時だ。何とかするさ。とにかく貴殿には、全力でアメリカ軍を食い止めてもらいたい。やってくれるな?」
「はっ。無論です。何とかしてみせましょう」
ルテティア・ノヴァの最終防衛線に人類は全てを賭けている。ここでお互い意地を張っている暇はないのだ。ローゼンベルク大将は力の限りでアメリカ軍を足止めすることを決めた。
○
ACU2316 4/4 陽の国 コマーツ
さて、大将の白羽の矢が立ったのは、案の定と言うべきかシグルズと第88機甲旅団であった。ノイエ・アクアエ・グランニは海軍の協力のお陰でシグルズを必要としなくなっており、彼は優先して輸送されてきた第88機甲旅団に合流していたのである。
「さて……50倍の敵を足止めしろっていうふざけた命令を受け取ってしまった訳だが、どうしようか」
いつもの指揮装甲車の中で、シグルズは軍議を開いていた。
「さ、流石に、どうにもならにいのではありませんか……?」
ヴェロニカは絶望の声で。どう考えても勝てる訳がないというのは、幼児にだって分かるだろう。
「そこをどうにかするのが、軍人の仕事だよ」
「そ、そう言われましても……無理なものは無理なのでは……」
「今回の戦いは、幾分状況が特殊だ。そこに勝機を見出すべきだな」
オーレンドルフ幕僚長は冷静沈着に言う。
「状況、と言いますと……?」
「第一に、我々の目的は時間稼ぎだ。敵を撃滅する必要も、どこかを守り抜く必要もない。第二に、こちらの方が重要だが、アメリカ軍は頭が悪い。アメリカ軍は分進合撃を知らず、あんな大軍を真正面から突っ込ませてくるだけだ。つまり、我々が同時に戦わなければならないのは、精々最前線の1万人程度。30万の大軍というのは見掛け倒しだ」
アメリカ軍がどれほどの大軍だろうと、一度に戦闘に参加出来る人数は精々1万人程度なものだ。包囲などの戦術を用いるのであれば別だが、アメリカ軍にそんな能はない。これを捌き続ければ、オステルマン中将が必要とする時間を稼ぎ出すことは可能かもしれない。
「そ、そうは言いましても……」
「まあ、僕達は全力を尽くすだけだ。後のことは知らない」
「そ、それで、どこで防衛するんですか? この辺りには城の一つもないようですが……」
「そうだね。仕方ないから平地で迎え撃つとしようか」
「ほ、本気ですか?」
ヴェステンラント軍は城や砦に全力で立て籠ってなお撤退を余儀なくされている。平地で迎え撃つなどヴェロニカには正気の沙汰とは思えなかった。