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プロローグ2

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2つ、引き分け。ドイツに適切な資材、人材運用と技術力により対ソ戦を順調に勝利。日本への救援ルートが整ったのとのち、日本へパンターやティーガーといった戦車とその資料が輸送、その後、UボートによるMe262のデータや研究資料が渡り、日本は最強戦車大国の技術を元に対米、対ソ戦を有利に進め、ジェット戦闘機を用いて米海軍の航空隊をことごとく撃破、さらにそれによる物資の安定確保により大量生産が可能になり、アメリカを徐々に追い詰める。結果アメリカは原爆を搭載する爆撃機の駐機場を喪失、日本へ空母部隊による奇襲を試みるものの、日本陸軍とその局地戦闘機の反撃に遭い、返り討ちの後、米軍奇襲部隊は玉砕。

さらに海軍による逆襲により余力が生まれた陸軍は満州に兵力を大量投入。戦車戦でソ連を押し返し、西よりドイツ、南より日本軍の猛攻に遭い、ソ連は徐々に後退。そして一連の動きにより援蒋ルートが弱体化し、日本軍は蔣介石率いる中華民国の国民党軍を徐々に撃破。壊滅寸前まで追い込む。そののち毛沢東率いる共産党軍との、裏での協力を破り戦闘。共産党軍は日本と蔣介石率いる国民党軍の戦いを漁夫の利状態で傍観状態だったが、国民党軍の敗北が濃厚になった時、日本と表面で正式に協力関係を結び、日中戦争をひとまず休戦まで持っていこうとしたが、日本側はこれを蹴る。日本軍の強化された陸戦力、そして無差別空爆に苦しめられつつ、なんとか各地を転戦するも状況は悪化。アメリカに支援を求めるが、援蒋ルートが潰された事、付近に連合国軍がいない事によって支援は得られず、壊滅も時間の問題となる。

強化された海軍力で日本は太平洋の島々を次々と攻略。物資供給もますます安定し、オセアニア、東南アジア諸国のインフラ整備と徴兵をし、全体の軍備をさらに増強。ドイツはスターリングラードの戦いで大きく消耗した軍備を日本の北上により回復、逆襲を開始し、ソ連を追い詰める。さらに西ではドイツの技術提供により勢力を増したイタリア軍が徐々に北上。まだ十分ではないため、しばらく連合国軍とにらみ合いを続ける。

この状態が半年弱続いたのち、日本軍が太平洋における地位を確保、米軍を真珠湾まで後退させるも海防の要で、再軍備し戦力増強した真珠湾は、米軍の物量もあって、攻撃は思うように進まず状況は拮抗。しかしオセアニア、東南アジア諸国、南アジアを平定。強固な補給ライン、防衛ラインにより安定する。その頃になると日本は少しずつヨーロッパへ部隊を派遣。海と陸の両方で、北アフリカ戦線を援助し、勝利。ついに南、東南、東よりヨーロッパ再侵攻作戦が立案、日独伊と、英国をはじめとする連合国軍との決戦に備える。

この間日本は中国の国民党軍を先に排除し、国民党軍は降伏、蔣介石は捕虜となり日本へ連行。毛沢東率いる共産党軍も時間をかけ撃破。敗走している毛沢東ら幹部を確保、日本へ連行。日独伊はヨーロッパとアメリカにカタをつけるためしばし待機し、その間各地の小規模なゲリラの反抗に苦しみつつ撃破。

アフリカを平定したのち、ドイツと日本の航空部隊でまずソ連の主要都市を大規模爆撃、数度行った後、陸戦力をもって首都モスクワを攻撃、陥落させたが、スターリンの姿は見当たらず、数日の捜索の後、打ち切る。捕虜にした幹部を尋問したところスターリンは自決したと白状。場所まで案内させ、秘密の部屋にて複数の遺体を発見。遺体の頭には銃創があり、激しく焦げていた。後の調査により、自身の体に燃料をかけ着火した後、頭を打ち抜いたものと予想する、という結果を発表。この発表を聞いた日独の幹部は壮絶だと感じた後その夜、夢に燃える人々を見て、恐怖。死してもなお戦おうとするスターリン達に恐れをなしたのか、スターリンをレーニン同様に屠り、日本は蔣介石と毛沢東の処刑を断念。そして無差別に町や一般市民を殺さないよう上層部に提案。

一連の現象は、日本軍が国民党軍、共産党軍を壊滅させる際、無差別攻撃を幾度となく行い、さらに森を多く焼き払ってしまった為、それに加えドイツとの共同作戦においてソ連都市の空襲、モスクワ空襲の際、事前通告無しでスターリンもろとも吹き飛ばそうとしたため非常に広範囲に渡って空襲をし、多くの民間人を殺傷したことが挙げられる。後に歴史上ホロコースト同様かそれ以上の惨劇と記録される。以上の事により日独の上層部は攻撃の際は民間人にしっかりと警告をし、むやみに攻撃しないことを決定した。1944年8月25日。準備の整った日独伊軍と連合国軍はついに衝突。はじめ、勝利を確信したが慢心によりヨーロッパ戦線は一時日独伊軍が押されたが、じきに押し返した。ついにフランスの自由フランス軍を降伏させ、完全にフランスを制圧。

そしてソ連が降伏した事により兵力に余裕が出たフィンランドはノルウェーへ侵攻、そこにドイツ軍も加勢。スウェーデンはかねてより中立に近い立場を保ち、日独伊にもアメリカにも連絡を取っていた事により侵攻を免れた。スウェーデンは戦争の早期終結に向けて引き続き両陣営と連絡を取る、非常に珍しい国家となった。南と東から侵攻される事を警戒する大英帝国はアメリカと連絡。植民地をほとんど失った事により非常に弱体化し、かつての栄華は消滅。それを知っているアメリカは英国を欧州防衛の最終ラインとし、国内の全力を英国支援に回した。勿論この前にも支援はしていたが、国内の世論は急増する敵の力に恐れをなし和解を求めるようになった。背景には容赦のないソ連への攻撃によりソ連主要都市を次々と廃虚にした経緯がある。最初アメリカ国民はヨーロッパへの参戦に否定的だったが、日本の真珠湾攻撃により参戦を決定していた。相次ぐ批判に当時の大統領、ルーズベルトはラジオ演説にて、


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