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家族の卵  作者: 風海 晴
2/22

側にいる理由(沙夜子Side)

 瑞香が目を覚ましたのは冬子さん達が出て行って20分ほど経ってからだった。

 先日から読みかけていた本に目を落としながら、時折瑞香の様子を窺っていると、いつのまにか熱でちょっと潤んだ目が、ぼんやりと天井を見つめていた。

「目が覚めた? 具合はどうかしら」

 私は本に栞を挿んで脇に置き、瑞香の額に手を当てながら声をかける。

「あのね、お母さん。今ね、パパとママの夢を見てたんだよ」

 天井から私へ視線を移し、普段の瑞香ののんびりとした明るい声とはかけ離れた、乾いた醒めた声。

 彼女は裕紀と私を「お父さん」「お母さん」。実の両親の事を「パパ」「ママ」と呼んでいた。

 瑞香は私や裕紀の子供ではない。幼くして両親が立て続けに亡くなった瑞香を、生母葉子さんの遺言で裕紀が引き受けたのだ。

「黒川さんと葉子さんの夢?」

「夢って不思議だね。普段はパパとママの事、どんなに思い出そうとしても思い出せないのに、夢だと簡単に思い出せちゃう」

 それまで熱の為に潤んでいるのだろうと思っていた瑞香の目から、涙が溢れ出した。その涙を拭おうともせず、瑞香は彼女の額に添えられたままだった私の手をギュッと握ってくる。

「お父さんとお母さんに育ててもらって、私は幸せなんだよ。本当なんだよ、大好きなんだよ。でもね……でも。会えないってわかっててもパパとママに会いたい」

 普段どんなに明るく振舞ってはいても、それが彼女の本音なんだろう。

 彼女は両親との思い出をほとんど持たず、幼くして死別してしまったのだ。産みの親を恋しがっても、それは仕方ない事だと思う。

 葉子さんたちはこの子を本当に可愛がっていた。その記憶をほんのわずかではあるが持ってるから、なおさらなんだろう。まだこの子は12歳なのだから。

 普段は思い出せない両親の夢を見、思い出し、そして静かに泣いている瑞香を、私と裕紀は今まで幾度となく見てきた。

 そしてそんな瑞香に一度、裕紀が言い聞かせていた言葉を、私はいつでも思い起こす事が出来る。

「笑いたい時に笑え。泣きたい時に泣け。……そうやって自然でいれば、きっと瑞香は幸せになれる。俺と沙夜子と瑞香。俺たちは家族じゃなくて家族ゴッコだけど、それでも俺はお前と沙夜子の幸せを願ってる」

 泣いている瑞香に、裕紀はそう言って彼女の頭を不器用ながら優しく撫でていた。

「お母さんはパパとママの事よく知らなかったの? お母さんから二人の話を聞いた事はないような気がする」

 私の手を離し、涙を拭って照れ隠しなのか「えへへ」と笑って、瑞香は布団から身を起こして私にそう尋ねてきた。

「そうね。葉子さんには私も小さい頃からお世話になったけど、黒川さん……瑞香のお父さんとはあまり接点がなかったから。そうね……お二人の事を聞くなら私や裕紀よりも、冬子さんか晴紀おじさんから聞いた方がいいと思うわ」

 実際、私は瑞香の母親だった葉子さんから生前随分と可愛がってもらったし、幾度か裕紀の事で言い争った事すらあった。葉子さんに私と喧嘩していると言う認識があったかどうか今となってはわからないけれど、彼女は子供だからと言って馬鹿にしないで、真剣にこちらの話を正面から受け止めてくれる。そんな女性だった。

「あ、それじゃあお父さんとお母さんのお話して。私、二人がどうやって知り合ったのか聞いた事がないもの。あのね、水野の伯母さまが面白いから一度聞いてみなさいって」

「美央美が? もぅ、あのこったら」

 瑞香に余計な事を吹き込んだ親友を恨みながら、話をねだってくる瑞香を前に、私は20年前のあの日の事を思い返していた。

 



「どんなふうに見えるのかな」

「なにが?」

「とんぼのあの大きな目から見たら、ここはどんなふうに見えるのかな」

 それが私と裕紀が交わした最初の会話だった。

 



 **20年前**

「じゃぁね。沙夜子ちゃん」

「うん、バイバイ。また明日ね」

 日が山に沈みはじめ、かくれんぼをして遊んでいた私は友人に別れを告げて、家へとやや急ぎながら歩いていた。

『どんなに遅くなっても、お日様が沈むまでには帰ってくる』

 それがお母さんとの約束だった。これを破ると次の日は外に遊びに行かせてもらえなくなる。

 今日はついつい遊びに熱中して、お母さんとの約束をすっかり忘れていたのだ。

『早く帰らなきゃ。明日遊びに行けなくなっちゃう』

 学校が夏休みに入った今、一日外に遊びに行くことが出来なければ、私は退屈すぎて死んでしまうかもしれない。

 そんな事を考えながら村の真ん中を流れる川の土手を歩いていると、何か人の声のようなものが聞こえてきた気がして、私はふと足を止めた。

 前を見ても後ろを見ても人影などない。右手には川、左手にはお墓が三つ並んでいる。

 夏とはいえ日の暮れようとしているこの時間に、川で遊んでいる子はいないだろう。それにこの付近の子は皆、さっきまで私と一緒にかくれんぼをしていた。彼等はまだ、ここから少し離れた小学校の校庭で遊んでいる。お墓の周りにも人影はない。

『お化けかな』

 急いで帰らなければいけないと思いながらも、好奇心に逆らえなかった私はもう一度なにか聞こえないかと耳を澄ませる。

「ほ・・だ。とう・・いっ・・りだ。お・・め」

『河原のほう?』

 最初に聞こえてきた音を頼りに近づいていくと、それまで所々しか聞こえなかった声が段々聞き取れるようになってくる。

『あ、誰かいる』

 土手からちょっと降りた、河原の背の高い草に隠れるようにして座っていたのは、私と同じか少し年下に見える日本人形の髪の毛を短くしたような、とても綺麗な女の子だった。

 近付く私をまったく気にしていないのか、それとも気付いていないのか、女の子はただボーっと川面を眺めている。

「こんな所に座ってると危ないよ、マムシに咬まれちゃうよ。この前ね、みっちゃんのお父さんが咬まれたんだって。終業式の日、先生から注意されたでしょ」

 そう言いながらも私はその子が何を見ているのかと言う事に興味を持ち、その子の隣に座り込んだ。それでもなお、彼女はこちらを見ようとはしなかった。

 そんな彼女の顔をジッと見つめた私は、ふとある事に気がついた。

 彼女の顔に憶えがなかったのだ。

 そんなに大きくない村である。学校も村には小学校が1つあるだけ。その小学校も全校生徒合わせて六十人ほど。よほど年が離れているならともかく、一つ二つの差ならば私はこの村の子供全員の顔を知っていた。なぜなら特殊な立場の一人を除いて、皆兄弟のような付き合いがあったからだ。

 その私が知らない女の子。

 すなわちこの村の子供ではないこの女の子が、こんな所で一体何をしているのか。私はちょっとワクワクしながら彼女の顔を眺めていた。

「何か面白いものがあるの?」

 再び話し掛けてもまったく反応はない。

 私はめげずに話しかけた。

「何見てるの?」

「・・・」

 こうなると私は意地になった。お母さんとの約束など、すっかり頭の中から抜け落ちていた。

『声が聞こえないなら』と、私はその子の前に回りこみ目の前で手を振りながら、三度声をかける。

「何見てるの?」

 そうする事でようやく私に気付いたかのように視線を私にあわせ、さも不思議と言った表情で首を傾げた。

 彼女がようやく反応を示した事に気をよくした私は、再び彼女の横に座り声をかける。

「何か面白いものがあるの?」

「とんぼ」

 呟くような小さな声だったけれど、不思議と聞きにくくはなかった。

「とんぼ?」

「うん」

 私の問いかけに頷き、指差す。

 彼女の指先を視線で追っていくと、そこには確かにつがいのトンボが飛んでいた。しかしそれだけであり、私にとって特に面白いものではない。

『とんぼの何が面白いんだろう』

 しばらくの間彼女に付き合ってとんぼの動きを目で追っていたけれど、面白い事など何一つとしてない。そうなると彼女への興味が途端に薄れ、帰るために立ち上がろうとしたその時、再び彼女の声が聞こえた。

「どんなふうに見えるのかな」

「なにが?」

 私には彼女のその言葉がなにを意味しているのか全くわからなかった。

 立ち上がるのをやめ、問い返す。

「とんぼのあの大きな目から見たら、ここはどんなふうに見えるのかな」

 言い終えたあとチョコンと首をかしげるその仕草は、小学校の飼育小屋に皆で飼っているウサギの餌を食べた後の仕草にそっくりで、私は思わず笑ってしまった。

 彼女はそんな私を不思議そうに見つめていたけど、やがて興味をなくしたかのように再びとんぼに視線を移す。

 不思議な子だと私は思った。そして好奇心も手伝ってか、ぜひともこの子と友達になりたい、とも。

 なぜなら私は、今までトンボからここの景色がどんなふうに見えているかなんて、考えたことがなかったし、考えようと思ったこともなかったからだ。

 そんな私とは全く違ったことを考えるこの子の事を、私は知りたくなったのだ。

「私はね、佐藤沙夜子。お名前は?」

 私の質問に彼女はただ首を横に振るだけ。私には名前を聞かれて、首を横に振るだけという行為の示すものが、何なのかわからなかった。

「お名前、無いの?」

「あるよ。……でも、冬子が知らない人に名前を教えちゃ駄目だって」

 知らない人じゃないよ。私、今名前言ったよ。

 そう私が言葉にしようとしたその瞬間、怒気を含んだ女性の声が土手から私達に向けられる。

「もぅ、やっと見つけた。こんな所にいたのね、心配したんだから」

 ビックリして土手を見上げると、そこには一人の女性が立っていて私達を、いや正確には彼女を睨みつけていた。

 私はその女性の剣幕にすっかり怯えて、喉まで出掛かっていた言葉を飲み込んでしまった。

「冬子姉さんも晴君も美鈴も美央美も、みんな心配して探してるわよ。早く帰ってきなさい」

 土手から私達へと近づいてきた女性は彼女の手首を掴み、無理矢理立ち上がらせる。

 そして彼女からはちょうどは草の陰に隠れて見えていなかったのだろう。そこで初めて私の存在に気付いたようだった。

 女の子がそうしたように、私の顔をまるで不思議なものでも見るかのような表情で見つめ、「この子に、もう友達がいるなんてびっくり」そう呟き、そして「ああ」と、何かを思い出したかのように頷いた。

「あなた確か佐藤さんのところの娘さんね。こんな時間にこんな所でなにをしていたの? そろそろ暗くなるわよ?」

 それまで彼女に向けていた鋭い眼差しとは違って、優しそうな表情にそれまでその女性に感じていた恐怖など忘れ、私は頷いた。

「うん、あのね。この子とお話してたの」

「この子と?」

 私から、彼女自身が手を引っ張っている女の子へと視線を向ける。そして女の子はといえば、私達の会話にはまったく興味なさげに、まだとんぼに視線を向けていた。

「うん。この子とお友達になりたいから」

 私の言葉に女性は一瞬戸惑いの表情を見せはしたものの、にっこりと微笑んだ。

「そぅ。この子のお友達になってくれるの、ありがとう。でも今日はもう遅いからまた今度ね」

 彼女は私の目線に合わせるようにしゃがみ込むと、私の頭を優しく撫でてくれる。

「えーと、確か沙夜子ちゃんだったかしら。遅いから今日はもうお帰りなさい。それとも送っていきましょうか」

「ううん。大丈夫」

「そう? うん。じゃあ気をつけて帰るのよ」

「うん。……じゃあ、またね?」

 ほかの友達にそうするように女の子に手を振ると、彼女もそれに応えるようにほんの小さい動作ではあったけれど手を振ってくれる。そしてそんな私達を、女性は嬉しそうに見つめていた。




 結局お母さんとの約束を守れず、日が完全に沈んでしまってから帰りついた私は、お母さんからものすごく怒られた上に、次の日遊びに出させてもらえず、しかたなく一日中夏休みの宿題をする事になってしまった。

 そして彼女との再会は、それから5日後の事。

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