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アウトサイド・ソーシャル~社会の無能とスペース・デブリ~

作者: SAND BATH

 いくら文明の技術が発達し、宇宙遊泳が簡便になり、避暑地に赴く程度の軽い気持ちで宇宙旅行を楽しめる時代になったとして、人が宇宙空間で生きられるようになったわけではない。


 当たり前のことである。が、常に当たり前のことを忘却するというのが人の性であり、周囲の環境さえ都合良く変容させてしまう高度文明の、その圧倒的な威力の反動である。


 もしもあらゆる物事に利と損があり因果関係があるというのなら、深宇宙に取り残され救助をひたすら待っているだけの肉の塊に成り下がってしまった三人の哀れな宇宙船員たちの現状は、さしずめ当たり前のことを忘却させるほどの威力を発揮した高度文明に頼った者の末路といったところか。


『もうこれで三日だ。ヤバイって、マジでヤバイってこれ』


 宇宙が人の生存を許すことはない。スペース・スーツを着用することで何とか生命維持を可能としているが、空気残量は減少する一方だった。無論、しゃべればしゃべるだけスーツ内のエアー残量は消耗していくが、黙っていれば無音の中、自分の心音さえ聞こえてくる。


 気が狂うのが先か、エアーが枯渇するのが先か。いずれにせよ極限状態のまっただ中、精神をまともに保つためには会話にうち興じる他ない。


『静かにしろよアラン。そんなことは言葉にしなくてもわかる。パニックを引き起こす言葉よりもまず、希望のあるような発言をするよう心がけろ』

『カントク、そうは言ったってもう三日も音沙汰なしじゃあ、オレたち……!』

『いいか、救助は必ず来る。信じろ、いや、信じるしかないんだ。俺たちにできることはそれしかないんだからな』

『はあ。カンヅメったって、せめて地球(オカ)のベッソウで体験したかったぜぇ』

『別荘? アラン先輩って、そんなにお金持ちだったんですかぁ!?』

『オマエバカにしてんのか。オレが大金持ちなわけねえだろ。オマエと同じだよ、財布はいつもすっからかんなの』


 宇宙で生活している人間には、大きく分けてふたつの人種が存在する。ひとつは旅行者、そしてもうひとつは労働者だ。前者は富裕層であり、当たり前だが宇宙を行楽の場所として捉えている。対して後者の人種の場合、宇宙とは過酷な仕事場であり、地球で働くことさえ許されなかった無能者たちの最終処分場だった。


 三人は後者の人種で、各自、わけあって地球で暮らすことが叶わず宇宙に排出され、自らを最底辺の人間と自覚しながらも日々を生き抜いてきた。


『わ、わたしは先輩みたいな貧乏者じゃあないですよ! 失礼な。一級事務員の資格もあるんですし、地球で仕事だってできちゃうくらいのスペックもあるんですよ?』

『へえー。そんなハイスペックなビジネスウーマン様々が、じゃあなんでオレみたいなビンボー人と一緒に働いてんですかねえ。納得いく説明をお願いしてえなあ。おい?』

『さっきから私のことバカにしてますよね? これでも十代の頃はモデルだってやってたんですよ。稼ぎもあって、モテモテで、先輩とは違う世界に住んでたんです! お父さんとお母さんがギャンブルに負けて一家もろとも借金返済しろって言われて宇宙に飛ばされなかったら、いまごろ私は……私は!』

『ああもう泣くな! 泣いちまったらエアーが余計に減っちまうぞ。悪かったよ、オレが悪かったから!』

『二人とも、そこまでだ。レーダーに感あり。アラン、レーダー番は航海士のお前の仕事だろう。持ち場につけ』

『レーダーに、感? まさか!』

『過度な期待はするなよ。心拍数が上がればエアーの消費は速くなる。平常心を保て』

『了解しましたよ、カントク』


 三人が乗っていた宇宙船は高速で飛翔する宇宙ゴミを避けきれずに破損し、航行不能な状態に陥った。が、機能不全に陥ったのはあくまで推進器だけで、メイン・エンジンはまだ生きていた。したがって宇宙服の充電も可能だったし、無線とレーザーによる外部との通信も可能だった。もっとも、無線は拾われずレーザー通信が受信されることもないが。


『さあて、と。お、確かに反応してる。どれどれスコープは……影が見えますよ! でもコレ、ただのゴミですなあ』


 アランは特級航海士だった。それはあらゆる航海士の頂点に君臨する、エリートの中のエリートだった。が、航海士AIが開発された瞬間、あらゆる航海士は能力の有無にかかわらずありとあらゆる現場から解雇された。


 現場監督を務めるマルスは路頭に迷っていたアランを雇用した。それはマルスのもつ船がAIシステムを搭載できない旧型船だからで、アランにとってマルスは救済の綱を投げて渡してくれた恩人であり、マルスにとってもアランはAI管制船を所有できなかった負い目を覆してくれた頼れる部下だった。


 アランはマルスを尊敬し、マルスはアランを重用していた。したがって、今回の衝突事故の原因がレーダーから目を離していたアランの不注意だったとしても、マルスがそれを監督の立場で批難することはなかった。


 批難しなかったのは優しさからでも、甘さからでもなかった。批難してももはやどうしようもない状況に置かれてしまった以上、批難する必要はないためだ。マルスは器量の深い優れたリーダーであり、現実主義者でもあった。無駄を好まず、したがって不必要に褒めることもなければ、過度な注意を与えたりもしない。成果だけを重んじ、それを果たすための道筋を提示し、部下とともに突き進む。それがマルスの、監督としての矜持だった。


『ゴミか。しかし、初めての漂流物だ。何かあるかも知れない。品目は特定できるか?』

『了解、ちとスコープの感度をあげてみます……んん? ちょっと、細い筒のようなのが、いくつかまとまって結ばれてますな』

『それ、ひょっとしてボンベパックじゃ』

『ボンベパックだあ? なんだそれ』

『先輩、ウチの船にも積まれてたやつですよ思い出してください! エアー切れ対策に、だいたい六個くらいのエアーパックがひとまとまりになってるアレですよ!』

『なんだそりゃ、初めて知ったぜ! しかし、コレ回収すれば……!』

『ああ、そうだ。これは千載一遇のチャンスだ。命の綱になってくれるかも知れん。アラン、俺はお前を特級航海士として雇ったが、確かお前にはS級船外活動員の資格もあったな?』

『へいカントク! 何なりとお申し付けくだせえ!』

『ならば速やかに船外活動にあたり、エアーパックを回収しろ。ただし不備には注意しろよ。持ち帰って開封した瞬間大爆発という事態だけは避けるんだ。やれるか?』

『S級船外活動員のスペシャリストになに言ってんすか! 朝飯前ですよ!』

『……ボンベパックも知らないのにS級船外活動員の資格、取れちゃうんですね……』

『オレは天才的なセンスの持ち主だからな! 資格試験でとった点は何を隠そう全部が実技だったぜ!』

『はあ、それは凄いですね先輩』


 ちなみに船外活動員というのもまた、船外活動ドローンが開発されたために一斉解雇となった、悲哀に満ちた過去の職業だった。



 アランははたして優秀な船外活動員ではあった。ものの数分でスペース・デブリに肉薄し、瞬時に相対速度をあわせて接触事故を回避した。それだけでなく、絶えず移動しつづけるそのスペース・デブリと常に一定の距離を保ち、写真を撮影。その画像データを船の管制コンピュータに送信しつづけた。


 飛翔物の速度を瞬時に判定し、保つべき一定の距離を即座に計算できるアランの技量はずば抜けていた。その上、アランは一切思考してなどいなかった。最良のタイミングと成功体験、そのすべてを体に刻み込んでいた。それ故に行動は速く、思考を介さないためミスもない。


『見事な腕だな』

『流石に凄いと言わざるを得ませんが、先輩のことだから絶対なにも考えずにやってますよアレ。っと、データ受信完了! 画像形式間違ってたらバカにしようと思ってましたけど、先輩は仕事のときはちゃんとやるんですよね』


 アランによって送信された画像データは、事務員であり紅一点のジェナが解析する。航海記録や業務日誌の作成という雑務だけでなく、帳簿の管理と備品の発注も一手に引き受ける彼女は、彼女自身が口にしてくれたように両親がギャンブルで負け借金を重ねなければ、間違いなく一流企業のエリートとして生きていけただろう。


『やっぱりコレ、備品カタログでみたのと同じですね。少しタイプは古いですけど、損傷も特に認められません。正真正銘、きれいなボンベパックのワンセットです! おっしゃるとおり命の綱ですよ、これは!』

『流石だなジェナ。普段から備品を納品し、検分しているだけのことはある。一瞬で判断できるんだからな』

『はい? いや、そんな! 別に私は褒められるようなことなんて少しもしてないというか、それほどのことでもないですってば』

『アラン、ただちに回収しろ。こちらでは無傷と判断しているが、お前の目でも確認してから持ち帰るんだ』

『りょーかい、カントク!』


 アランはマルスの指示をきくなり、一秒後にはそれを回収していた。見事と言うほかない素早い仕事ぶりで、アランもまた安価で優れたAIやドローンさえ開発されなければ一流の人材としてエリート生活を送れていたことだろう。


 そういう意味では、監督であるマルスだけは幸福な人間だった。自ら宇宙労働者の道を望んで選択し、底辺に属しながらも一攫千金の夢を抱いて日々を生きている。エリートどもが不要物と断じた“超一流の人材”であるアランとジェナとともにいつか金脈となる資源衛生を見つけてやる……夢を掴み取るまでは、死ぬわけにはいかない。


 マルスは常に正しい指示を与えることができるよう、いまもなお必死に己の感情を抑制していた。



 ジェナが認識し、アランが回収してくれたボンベパックは無傷どころか手つかずの、美品も同然の状態だった。これにより、枯渇寸前だった彼らの酸素事情は一挙に一週間分もの余裕を獲得した。


 以降、漂流物を発見して検分することが彼らの当分の日課になった。まるで宝探しでもするようにアランは目を輝かせてレーダーの番をしてくれたし、ジェナは生きる備品カタログも同然で、アランがレーダー上に捉えた物品を正確に検分してくれた。マルスの適切な指示によってジェナもアランもパニックに陥ることなく日課に没頭し、船内の雰囲気は当初の絶望感から脱却したといって良い。


 ただの石ころは無視し、エアーや食糧は検分して回収する。時にはスクラップになった船の部品が流れてきたりもした。そうした部品は最初こそ無視したが、途中から可能な限り回収して破損箇所の修繕に利用するようにした。ただし、最優先で修繕するべき推進器という部位は船のなかでももっともデリケートなパーツの集合体であり、一流の整備士でもない限り補修は不可能だったが。


 宝探しの毎日は彼らに希望を与えた。いつかSOS信号を誰かが受信してくれる。それまで、流れてくる宇宙ゴミを喰ってでも生き抜いてやる。これは籠城戦だ。生き残りをかけた持久戦だ。必ず生き残ってやる――三人は思いを共有し、互いに励ましあって日々を過ごした。


 彼らは基本的に対立することがなかった。ジェナとアランはいささかの口論を演じることはあっても、決定的な溝をうむこともなかった。マルスは遺憾なくその能力を発揮し、常に最良の仲裁役をかってでた。そもそも宇宙ゴミを回収するか無視するかということは実に単純な作業であって、意見の対立などあってないようなものだ。


 それだけに、突然発見されたひとつの残虐な漂流物が、対立を知らない彼らにとって初めての試練となった。


それは最初にエアーパックを回収してからちょうど一週間が経過し、彼らが手にした猶予がなくなりつつあった、そんな時のことだった。


 エアー残量はあと三日分しかない。それまでに救助隊がこなければ全員窒息死。当初の絶望感が船内に戻ってきてしまった状況で、アランがそれを発見する。


『レーダーに、感。デブリにしちゃちょっと大きめですね。スコープの感度もあげて、っと。ん? なんだこりゃ』

『どうしました先輩? 私にもみせてください』


 ジェナがスコープを覗いた瞬間、彼女はその場で嘔吐した。


『何事だ? ジェナ、すまないが我慢してトイレに駆け込め! アラン、報告を頼めるか』

『物、というより、人、ですこりゃ。ピクリとも動かねえ……死体ですぜ』

『死体、か』


 アランは吐きはしなかったが顔は青ざめていた。それを引き移してマルスもつられて顔を強ばらせたが、直後には一流の監督らしく『俺にも確認させてくれ』とスコープを覗いていた。


『確かに死体のようだな。だがまだ距離はある、接触まであと半日といったところだろう。しかも本船に衝突するわけでもない。そのままやり過ごすこともできる。目をつぶっていればいいだけのことだ』


 宇宙ゴミとしての死体を発見する……それは本来、起きて当然の事態だった。というのも宇宙ゴミというやつは実に様々な背景のもとで発生する。業者が回収し損ねたスクラップ、地球の学者たちが打ち上げたロケットの残骸、あるいは事故を起こして爆散してしまった旅客船のなれの果て。


 この宇宙のなかでは一度回収し損ねて漂流すれば人も物も関係なく一律宇宙ゴミになる。実際、船長として他の業者とも関わりをもつマルスは宇宙ゴミ回収業者の友人から死体回収の話も聞いていた。


 宇宙ゴミ回収業者の世界では万が一死体を発見すれば必ず回収して本部と連絡をとり、遺族がみつかるまでの間ずっと船内で保管するルールが敷かれているようだが、あいにくマルスは一攫千金を狙う漁船の監督であり、回収業者のルールなど知ったことではない。


 面倒なものは無視するに限る――現実主義者のマルスにとって、これは当然の帰結だった。


『アラン、ジェナ。落ち着いてくれ。そしてこのことは忘れよう。死体は無視し、他の漂流物を探そう。いつも通りだ、それでいい』


 宝探しの作業に没頭してくれれば死体のことを気にする暇もなくなるだろう。そう信じて、マルスは指示を下した。二人は当然従ってくれるものと考えていた。


 が、何故かこの時ばかりはマルスの思うようにはならなかった。アランもジェナも、それぞれ異なる理由で疑問を発し、暗にマルスの判断を否定した。


 先に口を開いたのはアランだった。相変わらず顔は青ざめさせてはいるものの、彼らしい明確な言葉でその意見を惜しみもなく開陳してくれた。


『カントク、オレはちょっと考えが違うよ。無視じゃなくて、オレ、回収した方がいいと思う』

『何? 回収だと』

『はい。言いにくいことですがね、ほら、エアー残量、底が見えてきてるでしょ? あの死体、ご立派に宇宙服着てますよ。アレがたとえ死体だったとしても、エアーの方は余ってるハズですよ。それにいざという時の食糧にも、きっと』

『なるほどな。オマエのいうことにも一理あるか』


 マルスは反論されて苛立ちはしたものの、しかしそこは感情を見事に抑えて部下の進言を聞き入れていた。


 利用できるものは何でも利用する。サバイバルと化した現状の生活において、それは不動の摂理だ。これまでもそうしてきた以上、相手が死体だからといってそのスタンスを捨てることもない。宇宙ゴミもひっきりなしに漂流してくるわけではなく、この一週間あまりの生活において、利用可能なものを発見できなかった日の方が多い。利用できそうなものはすべて回収した方が、生存確率は確実に高まる。


 一日でも長く、一人でも多く生きられるのであれば、死体であっても利用した方がいい。ついにマルスはアランに同調し、死体を資材として回収するよう指示を放とうとした。


 その時、まだ完全に復調もしていないはずのジェナが、口を開いた。


『待ってください、監督。アランの言ってることは間違ってます!』


 さっきまで嘔吐と嗚咽を繰り返していたとは思えないほど、それはハッキリとした口調だった。いてもたってもいられずトイレから復帰してきた彼女は、苦悶に顔を歪め、倒れそうな体を壁によりかからせてなお、言葉を止めなかった。


 やおら船外活動をはじめようとスタンバイしようとしたアランは、目をつり上げてジェナに対峙した。


『間違ってるだあ?! オレの言ってることのどこに間違いがあるってんだよ!』

『死体かどうかはまだ分かりません!』

『いやいや、オマエも見ただろッ! 指先ひとつ動いてなかった。間違いねえって!』

『うぷ……けほッ! 思い出させないでください』

『ほら見ろ。トイレにいってろ。その間にオレが回収しといてやるからよ』

『待ってください! 回収するのは良いですけど、エアーパックは抜いちゃダメですよ! まだ生きてるかも知れないし、たとえお亡くなりになっていたとしても……せめて地球に降ろして、埋葬してあげるべきです!』

『はあ? 埋葬だと! いまじゃ宇宙葬だってよくあるサービスになってるんだぜ? なんだって地球に埋葬してやらなきゃいけないんだ。オレたちだって、地球に墓を持つなんてユメのまたユメだってのによぉ!』

『それでもあそこに漂ってる人は、お金持ちの旅行者かも知れないじゃないですか! ならきっと地球にお墓があるはずです! 家族だって、待っているかも知れないんですよ? そんな人から何かを取るだなんて、そんなの追いはぎじゃないですか!』

『何だとテメエ! 誰が追いはぎだって? もう一度言ってみろよ、なあ!!』


 アランが拳を握り込んだところで、その腕をマルスが掴み上げた。そうしなければ鉄拳がジェナを吹き飛ばしていただろう。


『クルーを殴るのは俺が許さない。落ち着け、アラン。お前の方が先輩だろう。それに、同じ立場とはいえ女子を殴るのは男として恥ずかしいことだ。そうだろうが』

『でも、追いはぎだなんて。侮辱ですぜ!』

『ジェナ、お前も言葉を選ぶべきだった。クルーに言っていいことじゃない。まあ、どちらが悪いか決めることもない。それは意味の無いことだ。二人とも落ち着いてくれ。俺たちはいままで協力してきた。だからこそ生き残ることができた。この成果を忘れるな』

『でも監督もさっきまで先輩に賛成しようとしてましたよね?』

『流石だな。心が読めるか……女の勘かな』

『性別は関係ありません。私はただ、間違ったことはしたくなくて。一緒に働いてる人にも、それを許したくなくて』

『はっ。そんなオマエの価値観を押しつけて貰ってもなあ』

『押しつけじゃありません。当たり前のことを言ってるだけですよ』

『当たり前、なあ。それ、ぬくぬく不安もなく生きられる場合の当たり前だろ? いまのオレたちの状況に当てはめるにはキツくねえかぁ』

『状況とかいまの私たちの辛さとか、関係ないですよ。他の人の物は取っちゃいけない。どんなときでも正しいことです。たとえ相手が、死んでいたとしても』

『そうかよ』

『お前たちの口論は無駄なことだ。ある意味アランの言うとおりだ、いまの俺たちには一切の余裕はない。無駄なおしゃべりをして余計なエアーを消耗している余裕もない。ここは現場監督である俺の判断を呑んでもらう』

『それって先輩の意見になびくってことですか?』

『いや、アランの言うことに納得しかけたのは確かだが。アランの言葉を聞く前は、俺は遺体を無視するよう指示したはずだ。今回はそれを実行してもらう。お前たちの言い合いをつづけるよりは無駄がない。そうだろう』

『無視ですか。まあ、物盗りよりはいいですけど』

『オマエなあ、まだオレに殴られてえのかよ!』

『うっぷ。トイレにいかないと~』

『クソアマァ!』




 死体が船から離れていくのを、三人は黙って見過ごす道を選んだ。ただし、その死体には一輪の花が手向けられ、スペース・スーツも充電された。


 花を手向けたのはジェナ。『無視するにしても何もしないよりは、せめて供養だけでも』


 スペース・スーツを充電したのはアランだった。『アンタは運がいいな。カントクとジェナがオレを止めなかったら、オレはアンタを肉食用にバラしてただろう。その運の良さを活かして、どうか誰かに見つけてもらえよ』


 その様子を見届け、マルスは今後どうやって生き残るか、頭を抱えながらも計画を練ることにした。


(正しいこと、か。守ったところで、大切にしたところで、何も得るものはないというのにな。この冷たい世界のなかでは)


 目の前には宇宙の深淵しかない。救助隊の明かりなどどこにも見えなかった。世界の果てで出会ってしまった絶望を拭うことはできなかった。



 宇宙服を着たまま“彼”は長い間、漂流していた。行楽の場として宇宙を選び、父と母とともに最高のバカンスを楽しむべく地球を旅立ち、事実、三日で戻るつもりだった。それが宇宙船が宇宙ゴミと衝突して爆砕されてしまった。


 彼を残して乗客は全員即死。彼だけが何故かひとりだけ生き残ったが、それでも指先ひとつ動かすことができなかった。急いで着用した脱出用の簡易スペース・スーツが熱で固着され、体は無事でも一切動くことができなかった。


 幸い、スーツの生命維持機能は万全だった。ただ熱によって無線装置が使えなくなり、彼はまるで死人のように宇宙空間を旅することになった。


 だからこそ、死体として回収されそうになった時、彼は心の底から無線装置の故障を呪った。こちらの声は届かないのに、相手の声は聞こえるのだ。


 相手の声は緊迫していた。細かい事情はわからなかったが、相手が自分と同じように宇宙に放り出されて死を待っているだけの人間たちというのはよくわかった。


『はい。言いにくいことですがね、ほら、エアー残量、底が見えてきてるでしょ? あの死体、ご立派に宇宙服着てますよ。アレがたとえ死体だったとしても、エアーの方は余ってるハズですよ。それにいざという時の食糧にも、きっと』


 彼は叫びたかったが、しかしこれまで宇宙を放流してきたこともあって相手の言い分は理解できた。エアーを抜き取り肉体をバラす。相手のしようとしていることは人の掟には反しているが、ひたすらに冷たい宇宙空間という世界のなかでは最適解であることは間違いない。


 相手の読み通り、こちらには確かにエアー残量もあれば、まだ生きている新鮮な肉体もある。望み通り相手の糧になることはできる。ひょっとしてそれは、このまま無為に流れて死ぬよりは有意義な命の使い方なのかも知れない。


 そんな風に自分を納得させて、しかし彼は奇跡を体験する。


『待ってください! 回収するのは良いですけど、エアーパックは抜いちゃダメですよ! まだ生きてるかも知れないし、たとえお亡くなりになっていたとしても……せめて地球に降ろして、埋葬してあげるべきです!』


 それはいかにも人の良さそうな女性の声だったが、何より、人の生存を許さない宇宙空間の中にいながら、人の掟を何よりも大切にしようとする強烈な意志に、彼は心をうたれた。


 この冷たい世界のなかでも、その冷たさに飲みこまれまいと抵抗している人がいる。そんな人がいる限り、きっと宇宙空間という世界もいつか温かくなるのかも知れない。人が本来持つ温もりが地球を征服したのと同じように、この宇宙でさえも温かさが征服する、そんな未来がやってくるかも知れない。


 最終的に、花を与えられ充電という最高の施しも受けた彼は、さらに幸運なことに、偶然近くをパトロールしていた警備隊の船に拾われた。


『アンタは運がいいな。カントクとジェナがオレを止めなかったら、オレはアンタを肉食用にバラしてただろう。その運の良さを活かして、どうか誰かに見つけてもらえよ』


 人の温かさの及ぶ船のなかに運ばれ、固着したスーツを切断してもらってようやく自由に動けるようになった彼は、安否を気遣う救助スタッフの声も無視して言い放った。


「頼みます……この先に、救助をまっている人たちがいるはずです。SOS信号を探索してください! あの人たちを、死なせちゃいけないんです」


 彼の発言によって警備船は規定の航路を外れて宇宙ゴミの滞留する深宇宙へと進行していった。そのサーチライトが宇宙の闇を照らしだし、やがて推進器の破損した漁船を発見し、あの三人を見つけ出した。

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