ホラー短編『報告しますか?』
約二年ぶりに田舎に帰省した。
八月の暑い時期。両親が二人そろって旅行に出かけるとのことで、一週間だけ実家の世話をすることになったのだ。
のどかな山奥へと続く道を、私は車で走る。
木々に覆われた車道を転がしていく。良く晴れた、暑い日だった。
荷物を車から降ろし、両親と入れ違いになるかたちで家の前へ。
よろしくと一言だけ残して、近場のバス停まで去っていくのを見送った。
これから一週間。
実家での一人暮らしが幕を開ける。――――といったものの、まぁ特別に身構えることもない。
元より都内でも、男の一人暮らしだ。
場所が変わるだけで、のんびりと休暇を楽しもう。
私は玄関の引き戸をガラガラと開け、二年ぶりの実家の中へと入っていった。
次の日もよく晴れていた。
さすがは八月といったところで、雲一つない快晴だった。うすらと汗がにじむ。
クーラーと扇風機をつけていても容赦なく襲い来る熱気を、なんとか気合いで振り払う。
冷やしそうめんを軽く流し込み、昼を過ぎてから気分転換がてらにドライブをすることにした。
家の中よりも冷やしているのではないかと思うくらいに社内に冷房をかけ、エンジンをふかし出発する。
出がけにお隣さんとご挨拶をかわした。この地域でも、やはり今日は暑いほうなのだそうだ。洗濯物が乾いていいですよねと世間話をし、別れを告げる。
山をくだりふもとのコンビニまでたどり着く。
雑誌とアイス、あとはジュースと食料を購入し、また来た道を戻った。
実家の周りにはコンビニはおろか、自販機すらもないため、ある程度の買い込みが必要になる。両親が作り置きをしてくれていたようだが、ちょっとジャンクな味も恋しくなるのだ。
のどかな山奥へと続く道を、私は車で走る。
木々に覆われた車道を転がしていく。着いた日同様、今日も憎らしいほど良く晴れていた。
木、木、川、林、道、林、林。
河川、木々、木々、河川、森林。
代り映えのない風景が過ぎていく。
暑さと冷房に体力を奪われたのか、ほんの一瞬だけ目頭に疲労を感じる。
だからか、一瞬だけ木々に目を奪われたままになってしまい。
木々、木々、道、林、林、道路、河川、
犬。
「――――、」
その存在に気づいたのは、私の車がそのポイントを通過した後だった。
車が少しだけナニかに乗り上げた感触が、ハンドルとシート越しに伝わってきた。
しまったという感情が、遅まきながら沸き上がってくる。
車を路肩へと急停車させ、現場を確認する。
そこには無残にも、血まみれで動かなくなった子犬の姿があった。
死体があった。
飼い犬だろうか。首輪はついていないが。飼い主は近くにいるのだろうか。そもそもあの村に住んでいる犬なのだろうか。連絡先がどこかに書いていないか。
私はしどろもどろになりながら、その犬をくまなく調べた。しかし何かが分かることは無かった。
そこには、私がひき殺してしまったという事実だけが残っていた。
野良犬をひいてしまった場合、どのような罪に問われるのだったか。仮にこれが飼い犬であったなら、処遇はどうなるのだろう。
それ以外にも様々な思考が頭をよぎる。
パニックとまではならなかったが、軽く混乱はしていた。
こんなにも日差しは暑いのに、なぜか身体は冷え切っていた。
私は証拠を隠滅するため、この子犬を近くの林に埋めることにした。
今思えば、十分に動転していたのだろう。
もしもこれを誰かにきちんと話せていたら。
もしもこの件で、きちんと処罰を受けていたら。
私はあんな体験をすることは無かったのかもしれない。
山の奥地へと死体を埋め、川で車体についた血などを落とし、帰路につく。
こんなにもよく晴れていて、開けた場所だというのに。
誰かに見られている気配はない。
まだ夕方ごろだというのに、不思議と村内でも誰にも会わなかった。
車から降りて引き戸を開け、後ろ手に締めて施錠する。
何も解決するわけではないのに、一刻も早く部屋の中へと入りたかった。
どくどくと、血脈の音がうるさいくらいに高鳴っている。
頭は暑いのに、冷気に寒気を覚える。
そういえばクーラーはつけっぱなしにしていたっけ。一旦消して、体調を整えよう。
玄関で靴を脱ぎ、廊下へと足を置いた直後だった。
『報告しますか?』
そんな言葉が、引き戸の向こうから聞こえてきた。
私は勢いよく振り返る。
けれど、すりガラスの状の向こうには、人影のようなものは見えなかった。
あまりの出来事だったからか、不思議と声は覚えていない。
高かったのか低かったのか。そもそも男性だったのか女性だったのか。大人だったか子供だったかも曖昧だ。
ただ、発音良く。
『報告しますか?』とだけ。
報告って何を。
そう聞き返そうとして、言葉が詰まる。
そんなもの。
分かり切っているだろうに。
翌日。夢に犬の死体が出てくるという、なんとも自業自得な目覚めをした。
今でもあの感触と光景は、覚えている。
それに昨日の、謎の言葉。
頭の中に、『報告しますか?』の文字が刻まれて離れない。
もしかしたら、自分を追い詰めすぎたために聞こえた幻聴だったのかもしれない。もしくは、あの現場を見られていたのか。
――――報告、するか。
そう、一瞬だけ考えた。
ただ何故だろう。得体のしれない気持ち悪さと不気味さが、体中を覆う。
今日も、よく晴れている。
八月だから当然か。
暑くて、汗もかいているのに、何故だか冷房を入れる気にはならなかった。
「あ、しまった」
私は、昨日コンビニで買った食材をそのまま車に残していたことを思い出す。
布団から立ち上がり、車へ向かうことにした。
案の定食材はだめになっていて、飲み物もおそらく口をつけないほうがいいだろう。無事なのは雑誌だけだった。
仕方がないので私はもう一度買い物に出ることにした。
引き戸をガラガラと閉めて外に出る。
不審なことが起こったあとだから、用心して何度も鍵をかけたかを確認した。熱い日差しに、もうすでに身体が参ってしまっている。
さっさと車に乗ってしまおうと思い、運転席側に回り込んで、ドアを開ける。
『報告しますか?』
私の後ろから、再び声が聞こえた。
今度ははっきりと、男性の声だった。
熱量を帯びていた汗が、急激に冷や汗へと変わっていく。
後ろを振り返っても誰もいない。隣近所の家に人の気配はない。
空耳なのだろうか。
昨日のことを気にしすぎて、幻聴が聞こえたとか。
私は昨日の件もあったので、今日は車を使うのをやめ、徒歩とバスでふもとまで買い出しに行くことにした。
何となくばつが悪く、あの日と同じ商品は買えなかった。
それからも声は続いた。
風呂から上がったあと、背後から。
部屋のドアを閉めたあと、背後から。
ベランダに出た後の部屋から。壁を背にしているときは壁の外から。寝ているときは畳の下から。近所の人と話している最中に背後から。
『報告しますか?』『報告しますか?』『報告しますか?』
ときに子供の声で。ときに女性の声で。
ときに老婆の声で。ときに電子音声で。
必ず私の背後から、その言葉が聞こえてくる。
たちのわるいいたずらだ。
ほうこくするって、なにを。
『報告しますか?』
ほうこくすることは、きまってる。
わかってるんじゃないのか。
ぐるぐるとその言葉に、頭が支配されていく。
最初に買い出しに行って以降、車には触れてもいない。
本当はこの地区の人たちは、私が犬をひいてしまったのを知っていて、皆で結託しているのではないだろうか。
何度もそう考えたが、それにしてはあり得ない場所からも声は流れてくる。
挨拶なんかでも態度は変わらない。
むしろ私の体調のほうが日に日に悪化していき、心配される始末だ。
「……帰ろう」
謎の声に苛まれた日々も、今日で最終日だった。
約束の一週間。明日には両親も帰ってくる。予定では昼過ぎくらいとのことだが、もう目覚めたら先に家を出てしまおうと、私は考えた。
そうしてそのまま、眠りにつく。
眼を閉じた瞬間に、『報告しますか?』という声が静かに聞こえた。
寝返りをうった、背後からだった。
これまでの暑さにしては、やけに涼しいと思えるくらい、快適に目を覚ました。
起き上がって準備をすれば、これで帰れると私は思い、まだ寝起きで血の通っていない身体を無理やり起こす。
薄暗い部屋の中。
外は雨が降っていた。
枕元には、大量の骨が散乱していた。
言葉を失う。
ざーざーと降りしきる雨の音に混じり、『報告しますか?』の音が響いてくる。
目の前には大量の骨。
泥にまみれており、それが人骨ではないと理解できる。
あの、犬のものだ。
私は瞬間的に理解したが、あまりの出来事にその場から動くことができない。
どうしてという感情よりも先に、恐怖と不気味さに、身体が支配されていた。
「……時間、」
部屋の時計を見る。
いつもよりもぐったりと寝てしまったためか、時刻は昼の十二時に近づこうとしていた。
「昼過ぎには、」
両親が帰ってくる。
『報告しますか?』
居間からそんな音が聞こえてくる。
報告はしない。この骨も知らない。私は何も悪くない。
一心不乱にそんなことを考える。
おかしくなっているのは、私一人で。
この骨も現実のものではないのではないだろうか。
きっとこれらは幻覚で、この場には存在しないのではないか。
そんな風に考えてしまう。
触れた骨は、妙に生暖かかった。
泥が、ぼたりと落ちる。
結局、私はあのあと混乱しながらも、骨を裏庭に埋め、泥を掃除した。
畳には不思議と跡は残らず、本当に全て幻覚だったのではないかと思えるくらいだったが、私の手には泥が残っているのできっと本物だったのだろう。
処理している間の一時間。あの声は聞こえてこなかった。
大急ぎで車に乗ったあとも、永遠にも思える坂道を下っているときも、自宅に着いてからも。あの声が聞こえてくることは無かった。
不思議とあの声がどんなものだったのか、今となっては思い出せない。
実家に電話し近況を確認するも、何も変わらない日々が続いているとのことだった。
結局あの一週間は何だったのか。あの現象はどういうものだったのか。
気味の悪さは残るものの、私は慌ただしい日常生活へと戻っていった。
三か月ほど経った日。
会社にて、プレゼン資料の誤字を発見した。
私が担当した箇所だった。
――――まぁ、致命的な部分ではないから、問題はないだろう。
私はそう思い、淹れたコーヒーを片手にデスクへと踵を返す。
そしてそのとき、
『報告しますか?』
そう、声が。
がやがやとしたオフィスの中から聞こえた。
背筋が凍る。
三か月前の様々な光景がフラッシュバックしていく。
振り返っても、誰もこちらを見ていない。
不思議と頭は冴えていて、手に持ったコーヒーをこぼすことは無かった。
デスクに座り、落ち着かなくなり、なんとなしに引き出しを開ける。
そこにはあのとき埋めたはずの犬の骨が、泥だらけの状態で入っていた。
初のホラー作品を書いてみました。
ホラーって投げっぱなしエンドとかでも大丈夫なんだよね? という一抹の不安はありましたが、とりあえずコレでGO。
文章だけで人を怖がらせるって難しいですね。
ちなみに私は超怖がりなので、自画自賛するわけではないんですが、書きながらもすでにびくびくしていました。楽しんで(怖がって)いただけたなら幸いです。
夏のホラー2020に投稿しようと思ったのですが、テーマが『駅』だったことに書き始めてから気づいたので、ご供養ということで投稿。うーん、この締まらん感。
2020/8/4 おふなじろー