後編(完結)ひとりかくれんぼ
ベンツの助手席を倒して目を閉じた。北島先生にもらった薬をペットボトルの水で飲んだ。北島先生は車から降りると「近くにいますから」と離れていった。
眠気がやってきて眠りに落ちる。相変わらず、良く効く薬だ。
暗いトンネルにいた。そこを抜けると田舎の景色が広がる。青々とした水田に風が通り抜けていく。わたしの生まれ育った場所だ。歩き続けると畑の向こうに実際にはない一軒の家がある。いつものわたしの悪夢に出てくる家だ。最近はその家の前まで行っても玄関から入ることはない。夢の中で自分の行動をコントロール出来るようになってきている。
「沙織」
また後ろから声を掛けられて、びくっとなった。
「詩乃・・・」
「来てくれてありがとう」
「いったいどうなってるの?」
「リコの家全部がこっちの世界に繋がってる」
「リコは?」
「見つからない」
「そっか。リコを探して、出口を探す?」
「それとリコの家、元に戻さないと」
「わかった。とりあえずリコを探そう」
詩乃の手をとると、詩乃が頷いた。詩乃はそのまま手を引いて何もない空間に手を伸ばした。
「ちょっとだけ目を閉じて」
「うん」
すぐに周りの空気感が変わったことに気づいて目を開く。
「リコの部屋?」
薄ピンクのシーツのかけられたベッド。黄色のカーテン。勉強机に置かれたクマのぬいぐるみ。リコの部屋、わりと普通。
「沙織、午前2時頃、二階から入ったとき、リコに会った?」
「うん。会ったよ。向こうは気づいてなかったのかもしれないけど」
わたしは、数時間前の出来事を詩乃に伝えた。
「リコは『ひとりかくれんぼ』を終わらせたんだね?」
「うん、私の勝ち、っていう声は3回聞こえた」
「現場を見たわけではない?」
「見てない。それにすぐに家から離れちゃったし」
「沙織、びっくりしても離脱しないようにしないと危ないよ」
「いや、ごめん。なんかごめん」
そう言われてもなあ、と思ったけど、謝っておく。
詩乃はリコの部屋を出る。廊下に出てドアを閉める。隣の部屋に入る。リコのお兄さんの部屋だろうか。リコと同じくらいの部屋。全体的にモノトーンの色調。床に雑誌やノーパソが放り出してある。
「リコはいないね」
詩乃が頷く。ドアを閉める。階段を挟んで向こう側のドアに詩乃が手を掛けた。
「そこは、リコのご両親の部屋じゃ・・・」
「リコがいないかどうか確かめてるだけ」
「それはそうだけど」
さっきよりも広い部屋。寝室らしい飾り気の無い感じ。奥のほうにウォークインっぽいクローゼットがある。詩乃は部屋の中へ。仕方なくわたしもついていく。詩乃が指差すので、わたしはウォークインクローゼットの引き戸を開けようとした。触れられずに空を切った。
「詩乃、わたし触れないみたい」
詩乃は無言でわたしの後ろから引き戸を引いた。目の前で開く扉の向こうに何か黒い影が見えた。クローゼットの奥にうずくまる人影がいた。
思わずわたしは仰け反った。よく見るとリコがうずくまって私たちを見上げていた。
「リコ?なにやってくるの、こんなところで」
「詩乃と沙織?助けに来てくれたの?」
リコが疲れた無表情の顔でつぶやくように話す。
「隠れていた。あいつが探し回ってる」
「ひとりかくれんぼは終わらせたはずじゃなかったの?」
詩乃が尋ねるとリコは首を振った。
「あいつがいない」
「沙織が見たバスルームには人形は無かった。あの時、沙織はひとりかくれんぼが始まっていないと思っていたけれど、実際はそうじゃなかった。あるはずの人形が無く、キッチンに包丁が置かれていた。人形に刺さっているはずの包丁」
「人形が見つからないから終わらせられないってこと?」
詩乃はリコをじっと見下ろす。
「あなたはそこにいて。動いちゃダメ。詩乃と沙織で探してくる」
リコは無言でこちらを見ていた。詩乃はクローゼットの引き戸を静かに閉めた。
詩乃はわたしの手を引いて部屋を出た。ドアを閉める。階段をゆっくりと降りる。
階段を降りながら詩乃が独り言のように話した。
「沙織、詩乃は初めて来た。この家の中、初めて。沙織の力ないと家に入れなかった。沙織は本当は大きな力ある。使い方、わからないだけ。詩乃はその力を借りてる」
そこまで言うと階段の途中で止まり振り返った。薄暗い階段で詩乃が真剣な顔で見上げてくる。
「絶対に手を離さないで。この家の中、今、すごく危険。詩乃だけだと、たぶん死ぬ」
「え、いや嘘でしょ?」
「冗談なんかじゃない。沙織、簡単にこの家に入って来れた。それ沙織の力がすごく大きいから感じてないかもしれないけど、本当にこの家、今、すごく危険。詩乃怖い。絶対に手を離さないで」
「う、うん。わかった」
詩乃は前を向く。階段を降りるとバスルームへ向かった。廊下にもバスルームにも電気が来ている。明るいバスルームには水の張られた浴槽。覗き込むが何も無かった。床にはコップが一つ落ちていた。中身はこぼれてしまっている。
「塩水を入れていたコップ。リコが持って来たの。けど人形はいなかった。だから終わらせられなかった」
「じゃあもう一回塩水を作っておいた方がいい?」
詩乃は首を振った。
「塩があればいいと思う。口に含む必要があるからコップに溶かしてるんだと思う。人形だけを清めたいのなら塩さえあれば」
「じゃあキッチンへ行こう」
バスルームを出てキッチンへ。キッチンの途中の居間にもリコの姿は無かった。キッチンのテーブルの上のパソコンの電源は落ちていた。流しにあったはずの包丁は見当たらない。そのことを詩乃に伝えると嫌そうな顔をした。
詩乃がキッチンの棚から塩を拝借した。
「奥の部屋にリコは隠れていた」
指差すと詩乃が頷いた。引き戸は開かれたまま。そっちの部屋の電気はついていない。けれどキッチンの照明が差し込んでいて充分に見える。詩乃と二人、奥の部屋へ。テレビの電源は切れていた。写らないはずの砂嵐が写っていたテレビ。部屋の奥は押入れだった。薄暗い押入れに詩乃に引っ張られていく。押入れの手前で詩乃が立ち止まった。
「どうしたの?」
しゃがみこむ詩乃。詩乃は何かを拾い上げた。
「なに?」
覗き込むと人形だった。
「ひゃっ」
思わず変な声が出た。
「そ、それ。早く、早く塩」
「慌てないで沙織。手を繋いでる間は大丈夫。この人形を持って二階に戻る。そこでやらないと意味が無い」
そう言った瞬間、突然部屋の引き戸が勢いよく閉まった。バンっと凄い音がして思わず手を離しそうになった。
「沙織、落ち着いて。お願いだから落ち着いて。今、詩乃をひとりにしないで」
詩乃は無表情のままわたしを見ていた。けれど無表情に見えて不安そうな目をしていることに気がついた。ああ、詩乃も本当は怖いんだ。
「う、うん。頑張るね、詩乃」
詩乃はわたしの手を引いて閉まったばかりの引き戸に手をかけた。
「動かない。沙織、開けて」
「いや、わたしじゃ触ることも出来ないし・・・」
と言いながら引き戸に手を伸ばす。合わせて詩乃が引き戸に力をかけた。何か手に固い物の感触があって引き戸は静かに開いた。
背後でブーン、と何かの電子音がした。振り返るとテレビの電源が入ったところだった。画面に映るのは砂嵐・・・。
「沙織、落ち着いて。SAN値を削って沙織を追い出そうとしているだけ。手出しは出来ないから」
「いや、だって・・・というかSAN値ってなに?」
詩乃が振り向く。無表情だった詩乃がふっと笑った気がした。
「そっか、ホラーゲームとかしないよね、沙織は」
「するわけないじゃん」
キッチンを抜けてバスルームの前まで戻ってきた。バスルームの照明が点滅している。
詩乃が先にバスルームを覗く。びくっとなって硬直した。
「さ、沙織はバスルームの中、見ないでね」
え、何かあるの?
「もちろん、見ない」
ささっと通り抜けて階段へ。そうか見なきゃ平気なのか。手出しできないというのはそういう意味か。階段を上る。狭い階段を手を繋いだまま上がるのは難しい。詩乃が先、右手を伸ばし、それをわたしが左手で繋いで体を寄せ合うようにして上る。
ぎし、ぎし、と足元から音が・・・いや、何かが上がってくる?
「し、詩乃。何か来る、なにか・・・」
「沙織、絶対に下を見ないで。沙織には触れられないから」
「いや、でも」
階段の電気が消えた。真っ暗になった階段で思わず動きが止まる。
ぎし、ぎし・・・階段を何かが上ってくる。見えない何かが、上がってくる・・・わたしは下を見なかった。詩乃が動き始め、一段上がった時、
「ぁあぅぁあ・・・」
耳元で男のうめき声がした。しめっぽく嫌な匂いが混じった息が耳にかかる。
「いや、やめてっ」
両手で思わず耳を塞ぐ。
「沙織!」
思わず離した詩乃の手。ガタンっと大きな音がして詩乃の感触が遠のく。
「あ」
手を伸ばして詩乃を掴もうとしてその手が空を切った。
「いや、なに?詩乃?!」
慌ててわたしは階段を四つんばいで駆け上がった。
「詩乃!」
詩乃の姿は見えない。階段を上りきって薄暗い中を目を凝らす。そこには誰もいなかった。
「詩乃!!」
叫ぶが誰も答えない。そんな、一瞬手を離したばっかりに。そんな・・・どうしよう、どうしたらいい?わたしは辺りを見回す。
リコの両親の部屋。
そのドアを開く。
クローゼットの前に誰かが倒れていた。詩乃!
半ば放心状態でそれに近付く。詩乃は気を失っているようだった。そのそばに何かが落ちていた。
人形だった。リコに似せて作られたぬいぐるみ。リコが中身を米と髪の毛と爪と血で入れ替えたリコ人形。包丁を突き立てられた呪いの人形。だけど包丁を突き立てられたはずの破れは見当たらなかった。中身が米ならば、その穴から中身がこぼれだしてなければおかしい。
ふっと我に返った。
キッチンから持ってきた塩の袋。それも拾い上げて封を切る。
「リコ」
そう声を掛けるとクローゼットの扉がすうっと開く。暗い表情で薄暗いクローゼットからリコがゆっくりと立ち上がった。そして急に部屋の中が寒くなった。
床に倒れていた人形。消えた包丁。自分にかける呪い。その意味するところ。
ぎし、と背後で音がした。何かがいる。みしっと床が鳴る。ひとつじゃない。何かが部屋の中にいる。
人の悪意より出でし実体無き影。
左手にリコ人形、右手に封を切った塩の袋を持ち、わたしはクローゼットの前に立つリコに言った。
「あなたは誰?」
わたしはそう言うと同時に右手の塩を、目の前のリコの形をしたやつに浴びせかけた。
「ぎゃぁぁあああぁ」
耳を劈くような悲鳴を上げてそいつが暴れだした。きらっと何かが光る。思わず飛びのくと、それは包丁だった。右手なのか左手なのか、もはや黒いもやのように見えるそいつが無茶苦茶に暴れまわる。包丁は空を切る。もう一度、塩をそいつめがけて投げつける。
「ぎぃゃあぁあぁ」
そしてそいつはそのまま床に倒れこんだ。断末魔の声を上げ、のた打ち回る。そしてついに動かなくなった。袋に残っていた塩をその上にかけるがもう変化は無く徐々にそのもやのようなものも空中に霧散していくようだった。
しばらくぼうっとしていたようだ。
部屋の温度が戻ってきた。何かの気配も消えている。倒れている詩乃のそばにひざまづき、わたしはその手を握った。目を閉じる。
「ごめんなさい、詩乃。手を離さないって約束したのに」
詩乃は返事をしない。
「本当にごめん、詩乃。北島先生、呼んでくるから。すぐに戻ってくるから」
わたしは立ち上がると、もう一度部屋の中を見回す。外の光が窓から部屋の中へ届いている。もうここは元の世界だ。
たぶん、ひとりかくれんぼで呼ばれた何かは、リコ人形を通してこの部屋に立てこもった。目的はリコと入れ替わること。たぶん、このリコ人形は本当のリコ。いや、もちろん、リコが人形になってしまったわけではない。リコ自身は家のどこかにいると思う。リコの体は、だ。リコの心はここにある。たぶん、1階の押入れの中。詩乃はいつから気づいていたんだろう。わたしに押入れの中を見せなかったのは、そこにリコがいたから?それとも詩乃にも見えなかったのだろうか。
わたしは部屋を出て北島先生を呼びに行かなくては。もうこの家は現実世界に戻ってきている。今必要なのはオカルトではない。本物の医者だ。
リコは押入れの中にいて、わたしはリコ人形をそっと置いた。その後、玄関から外へ出て北島先生を呼びに行った。あ、もちろん、車の中の自分自身に戻って、現実的な方法で北島先生を連れてきた。詩乃を回収し、押入れの中からリコを回収した。リコはすぐに目を覚まし、詩乃もまもなく目を覚ました。
北島先生は何も聞かずにわたしに感謝をした。
感謝されるようなことは何も無い。わたしは詩乃の手を離してしまったし、そのせいで詩乃は気を失った。大事には至らなかったけれど、それは結果で・・・
北島先生にタクシーを呼んでもらい、わたしは家に帰った。
詳しいことは、また落ち着いた時に・・・ということで・・・
その日の午後、北島先生が電話をしてきた。
詩乃とリコは念のため病院で検査を受けている。リコの家族には連絡済。リコがオカルティックな実験をしてちょっとしたボヤを出して後片付けに詩乃達を呼んだことにしている、そうだ。
「藍沢さん、ファミレス行きましょう」
疲れた顔で北島先生はやってきて、車で移動すると、ファミレスで事後説明を始めた。
「いつものことですけど、事後処理の方が大変です」
「本当にすみません・・・」
「いやいや藍沢さんも巻き込まれた方じゃないですか」
「でも詩乃を危険な目に遭わせてしまったし」
「結果的に何も無かったんですから。詩乃も怒ってはいませんよ。むしろ、詩乃の助けなしに相手の正体を見抜き、適切な処理をしたことについて驚いていました。それこそ、あの時に間違ったことをしていたら詩乃の命も桜木さんの命も危なかった、と言ってましたよ」
「あれはなんていうか、なんかそう思ったというか」
「まあ、藍沢さんが本気出した結果、と思っていますよ」
わたしは曖昧に首を振って、コーラを飲み干した。
「リコの家はどうなっていますか?」
「いや、もう元通り。問題は無さそうです。桜木さんが呼び出した霊の気配も無いと詩乃が言っていましたし」
「そうですか」
「でも、今回のことで私もガツンと来ましたよ。一歩間違えたら人の命に関わる可能性だって有ることなんだとね」
北島先生はため息をつく。
「本当に、私は医者でオカルトに首を突っ込んじゃいけない立場なのに。藍沢さん、本当にありがとう。今後も詩乃を頼みます」
北島先生に頭を下げられてわたしは思わずうつむいた。顔が火照っているのがわかった。
「桜木さんには二度とやらないことを約束してもらいました。この街にはあの悪夢が横たわっている。それに深く関わってしまっている桜木さんが、こんな呪術をしたら、まあ大変なことになるのは目に見えていましたよね。私も甘く見ていました。今回の件、こちらでも調査は続行します。呪いの調査は大変でしょうけど」
「呪い、ですか」
北島は大きくため息をついた。
「そう。呪いが怖いのはね、それの正体を、誰も知らないってことなんですよ」
「え?」
聞き返してしまう。北島先生は疲れた顔でわたしを見つめ、そしてこう言った。
「心理学的には自己暗示だとか、オカルト的には生霊だとか、何かの眷属だとか、悪魔だとか、いろいろ言われてますが。呪いの方法はいろいろ書かれていても、呪いによってやってくるモノがなんなのか書かれている文献は恐ろしく少ない。それこそ敵の正体がわからないんですよ。ひょっとしたら正体なんて無いのかもしれない。正体の無い悪意なんてどうやって戦えばいのか検討もつきません。今回、私達が相手にしたのは、そういうモノだったんです。そんなものは普通なら『呪い返し』で送り返す以外に対策が無い。でも、ひとりかくれんぼは、送り返す先さえ自分なんですよ。そんな不条理な話、誰が考えたんでしょうね」