第三話 初仕事?
女の俺の世界で同じ職場でも昨日までとは違うポジションでの仕事です。
~ 9:30AM オフィス ~
村上に連れられてオフィスに戻ると、オフィスの皆が心配そうにこちらを見る。
明らかに誤解されているような気がする。
高宮さんが俺の方を見ると声をかけてくる。
「川瀬君、もう大丈夫なのかね?
辛いようなら今日は早退しても構わないよ」
おぅ…。
男の時はこんな優しい言葉はついぞ掛けて貰ったことがないぞ…。
「は、はい。
大丈夫です…。多分…」
とはいえ、頭が混乱していて普段のこの時間では考えられないほどの精神的疲労を感じているのもまた事実…。
しかし、早退すると余計心配されそうな気がする。
「そうか。
もし辛くなったら言ってくるんだよ」
「課長、今日は私が川瀬さんのサポートしますから大丈夫です」
村上さんがサポートしてくれることを課長に告げると、課長は微笑んで頷く。
「そうか、村上君が見てくれるなら大丈夫かな。
すまんが、頼んだよ」
「はい」
村上さんが、いつもの自分の席に戻る。
ところで、俺の席はどこなんだ…。
俺の本来の席は知らないやつが座ってるし…。
オロオロして自分の席を探してオフィスを見回す。
そんな俺を見て村上が声をかけてくる。
「カオル、あなたの席はココでしょ」
と、自分の隣の席を指差す。
確か村上の隣の席は栗田さんの席だったと思ったけど…。
女の俺の世界だと、近藤の隣に知らない奴が座っているかわりに、栗田さんの席に俺が座っているのか…。
ということは、この世界のこのオフィスには栗田さんは居ないのか…。
ちなみに、栗田さんというのは一期下でオカッパの髪型が印象的な業務担当の女子だ。
村上に教えられた席に来てみたが、他人の席に座るみたいでどうにも抵抗がある。
おずおずと席に座るが、どうも座りが悪い。落ち着かない…。
しかし、机の上をよく見ると川瀬薫と名前が入った名刺が置かれていた。
やはり、ここは俺の席なのか。
トートを机の下に置くと、仕事のパソコンを立ち上げる。
いつもの開発用の高性能機ではなく、業務担当向けのいかにも沢山買うと安そうなノートパソコンだ。
パソコンが立ち上がると、なんとも言えない既視感がある。
明らかに別のパソコンであり入っているアプリも異なるのだが、アイコンの配置とかデスクトップの作り方の癖が似ている気がする。
こういう個性の出る部分は、性別が違っても似てくるのか…。
俺がパソコンを立ち上げてると村上が伝票ファイルを持ってくる。
「カオル、今日の仕事はこれ。
この伝票の入力」
「うん…」
村上からファイルを受け取ると、それそのものは見慣れたものだ。
うちの会社の売上伝票。
システムの販売売上から、お客から注文があった消耗品まで雑多な内容の売上伝票だ。
業務担当の女子はこれを入力し、正しく処理するのが仕事の一つ。
幸い、ヘルプデスク的な事をやっていたからどのソフトでどのように入力すればいいかは知っている。
とはいえ、実際の業務で入力なんかしたこと無いぞ…。
開発の仕事で実データの手打ちなんて滅多にしないから不安しか無い…。
村上はというと自分の担当分らしい伝票ファイルを既に出際よく入力している。
その安定した入力音はリズミカルですらある。
俺の方はもうアタフタという言葉がこれほど似合う姿も無いだろう。
まるで入社したての新人が初めて業務をするような調子で何度も伝票を見直しながら、一項目一項目打ち込んでいく。
間違いがあると面倒だという事がわかっているというのもあるけど、数字に間違いがないか何度も見直しながらだととにかく時間がかかる。
そのうち一区切りついたのか村上が伝票ファイルを閉じると、こちらの作業覗き込む。
「まるで、今日はじめて業務をするみたいな仕事ぶりだね…。
仕事の仕方自体はわかってるみたいだけど。
昨日までの入社三年のベテラン業務の仕事ぶりとは程遠いね。
やっぱり何かあったんじゃないの?」
というと、俺の顔を覗き込んでくる。
それを見て、思わず目を背けてしまう。
「やっぱり、何かあったのね。
だけど、今は話したくないと。
まるで記憶喪失にでもあったようなカオルの駄目っぷりを見てしまうと、そう確信せざるを得ないわね」
そう言うと、入力中の画面を見て話を続ける。
「入力そのものは出来てるみたいだから、ともかく今日はそれ入力して。
カオルの今日の業務で終わりそうにないものは私がやっておくから。
だけど、こんな日が続くようだと困るから。
今日仕事終わったら、ちゃんと話してよ」
村上の視線に気圧されてゆっくり頷く。
それを見て村上は微笑むと、また仕事に戻った。
それからは黙々と、ただひたすら伝票入力。
最初よりは少しずつ手際はマシになっていくが、隣の村上とは比較にならない。
多分、この渡された伝票ファイルだって本来ならこんなに時間掛けないのだろう。
だけどさ、伝票入力がこれほど苦痛だとは…。
ただでさえ単調な作業の繰り返しでストレスが溜まるのに、この業務ソフトの出来の悪さは酷い。
うちの会社で売ってる業務ソフトなんだけど、バージョンが古い上に全くカスタマイズがされていない。
ヘルプデスクの時は操作説明やトラブルの復旧とかが殆どで、実際に入力作業までするわけじゃないから知らなかったけどこれほど酷いとは思わなかった。
お客に納品してる業務システムの方が遥かに使いやすいぞこれ。
システム売ってる会社が自社で運用しているシステムがこれってどうなんだと思った。
しかしまあ、村上や女の俺はこのソフト毎日使って伝票入力作業してたのか…。
勿論、うちの部署だけじゃ無いだろうし…。
社内のこの業務システム使ってる女子たちが開発がお客に納品している同じ名前の業務システムの現状を知ったら怒り出すと思う。
兎も角、内心イライラしつつも表に出さないようにしながら、淡々と入力作業を続けた。
そして、やっと昼休み。
近藤達は午前中には既に客先に出払い、この時間にオフィスに残っているのは業務の女子達だけ。
この時間はほとんど居ないから、どんな感じなのか殆ど知らなかったけど、弁当持参組と買い出し組と外食組に分かれているんだな。
弁当持参組は昼になると給湯室にお茶を淹れに行って、弁当持参組同士で雑談しながらゆっくりご飯を食べるのか。
買い出し組は昼休みと同時にダッシュて飛び出して、十五分後くらいにぞろぞろと戻ってきて、弁当持参組に合流して昼食。
外食組は、高宮さんもそこに含まれるが、昼休みになると誘い合わせて食事に出て、昼休みが終わる十分前くらいになると戻ってくる様だ。
開発の人間はその日の客先の付近で食事を取ることが殆どだから、色んな所に食べに行けるのがちょっと役得だな。
とはいえ、今日の俺は女の俺な訳で。
「カオル、今日はお昼どうするの?
朝の様子だと弁当は持ってきてないよね?」
女の俺は弁当を持参することがあるのか…。
俺は家にいる時は自炊する事が多いから、弁当持参していても不思議では無いが…。
「…特に、何も考えてないよ。
弁当も持ってきてない」
「そっか、じゃあ食べに出ようか」
「うん、わかった…」
村上は普段どうしているのか知らないが、食事に誘ってくれたので一緒に行くことにした。
そういえば、村上と昼飯に行くのは社員研修以来かも知れない。
あの頃は、同期の気安さもあったのか、村上が話しかけてくるからもう少し話してたような気がするな…。
それぞれ部署に配属され、仕事柄外に出ることが多くなってからは話す機会も減ったけど。
俺が異性と話すのが苦手なのもあって、村上みたいに向こうからぐいぐい来るタイプはちょっと苦手なんだよな。
だけど、女の俺にとっては村上は近藤ポジらしい。
一番親しい同僚…、ということか。
~ 12:10pm うどん屋 ~
村上と入ったのは会社近くにあるうどん屋。
安い立ち食いうどん的なところではなく、座敷があるような結構本格的な店だ。
ランチ時は手頃な値段でそれなりに食べられるので、うちの会社の連中もよく来る店だ。
「さて、カオルは何頼む?」
メニューをざっと見て、一つ目に留まる。
この定食美味しそうだな。
唐揚げにミニうどんと炊き込みご飯の定食、ボリューム的にも申し分ない。
いろいろあったせいかお腹がちょうど減ってたのだ。
「これ…、かな?」
その定食を指差す?
「え?
カオル、こんなに食べれるの?
大丈夫?」
食えるでしょ、普通。
「う、うん。大丈夫だと思う…」
「そ、そう?
じゃあ、私はこれにしようかな」
村上が選んだのは山菜うどん。
こんなものだけじゃお腹空かないのかな。
「すいませーん」
「はーい。何にしましょう」
奥から割烹着の店員が注文を取りに来たので、村上が頼んでくれる。
「えと、これと、これ下さい」
「はい、お待ち下さい」
さて、頼んだものが来るまで、少し暇だ。
「カオル、仕事終わったら、話聞かせてね。
外では話しにくいかもしれないから、今晩カオルの家行くから」
え゛?
今、家に来るって言った?
俺の家って誰も来たこと無いんだけど、女の俺の家って誰か来たことあるのか?
でも、正直途方に暮れてるところもあるから、家に来てくれるのは有り難いかも…。
髪や顔の手入れにしても何にしても、女ってどんな風に暮らしてるのかさっぱりわからないからな…。
「う、うん…」
俺の返事を聞くと、村上が大きく頷いた。
なんか、この世界の村上って頼れるな。
俺の世界の近藤みたいだ。
近藤はさ、社交的でイケメンなだけじゃなくて、確かに開発のセンスはちょっと残念なところがあるけど、それ以外は頼れるやつなんだよな。
気配りも上手だし、開発以外の部分がいろいろ残念な俺の至らないところを随分助けてもらってるのさ…。
そんな事を考えていたら、注文していた料理が届いた。
美味しそうな揚げたての唐揚げが食欲をソソる。
さて、いただきます。
ということで、ガブリと唐揚げにかぶりつくと、肉汁がジュー。
ああ、んまい。やはり唐揚げは最高だ。
そしてそんな俺の食べっぷりを見て村上が目を丸くする。
「なんかさ、カオルって昨日までと食べ方も違うよね。
豪快というか、男の子みたいな食べ方だね」
そのとおり、目の前の女の俺の中の人は男の俺です。
なんて余裕はみじんも無く、心臓が跳ねる跳ねる…。
ここは恥じらっておかないとまずいな。
「あ、あんまりにも美味しそうだからつい…」
慌てて口元を隠す。
「あはは。今日のカオルはホント変わってるね」
「あはは…」
笑って誤魔化しておこう…。
それからは上品に食べた。
うん、上品に食べることもできるんだ。一応な…。
ところがだ、半分も食べないところでお腹パンク…。
おれってそんなに食欲なかったっけ…。
おなかすいてたんだけどなあ…。
山菜うどんの村上は普通に完食。
「やっぱり食べられなかったね。
いつものカオルって私より少食なくらいなのに、本当今日はどうしちゃったのかと思うわよ。
まるで別人みたい」
ドキッと心臓が大きく跳ねる。
流石女性の感は鋭い、と言いたいところだけど、これだけボロボロだとね…。
まあ、完全な別人では無いようだけど…。
「えっ?
そ、そう?」
思わず返事をしたら声が上ずってた…。
それを見て、村上が俺の顔をじーっと見つめる。
そして、ため息をつく。
「目の前に居るのはカオルで間違いないなさそうなんだけどなあ…。
あ、もうこんな時間。
戻らなきゃ」
半分以上ご飯を残したのは非常にもったいないが仕方がない…。
支払いを済ませると慌ててオフィスへと戻った。
~ 12:50pm オフィス ~
そして、午後からも黙々とお腹が気持ち悪いのと戦いながら、伝票入力に励んだ。
この女の俺の身体はあんまり普段揚げ物とか食べないのかもしれないな…。
結局、一日掛けて出来た仕事は渡された伝票ファイル一冊だけ。
村上はその何倍も作業を終えた。多分、半分くらい俺の担当分だったんだろう。
村上、スマン…。
業務担当の女子は基本的に定時で退社なので、終業のカネがなると更衣室へと着替えの為に向かう。
~ 18:10pm 女子更衣室 ~
村上に連れられ更衣室に行くと、既に着替え中の女子が結構いる。
眼の前で二十代三十代の女性たちが下着姿になって服を着替えている。
女性だけに男と違って下着はカラフルで、際どいのからおとなしいのまで、人それぞれに個性がある。
まさに女の園な訳だけど、こんな空間に居ながら、俺は、俺は、ピクリとも来なかった。
やはり、中の人が男でも身体が女だと女の反応しかしないのか…。
まるで去勢された気分だ。
眼の前の光景を眺めてついぼーっとしていると、着替え終わった村上が声をかけてくる。
「ちょっとカオル、全然着替えてないじゃない。
作業疲れちゃった?」
「う、うん。ちょっと…」
「はあ、普段から考えたら全然仕事こなせてないんだけど…。
今日のカオルは本当にダメだね」
更にダメ出しされてしまった。
「さあ、今からカオルの家行くんだから、早く着替える」
そう言うと、否応なしに俺の来ている制服を脱がせに掛かり、母親にお世話される勢いで着替えさせられてしまったのだった。
「あ、ありがとう…」
情けない俺のお礼を聞くと、やれやれという表情でため息をく。
「どういたしまして。
さあ、行くわよ」
「う、うん」
二人で会社を出ると駅へと向かった。
~ 18:30pm 駅前 ~
やはり、村上は俺の家を知ってるようで、過去にも来たことがあるんだろう。
さて、どんな風に話すか…。
俺は思わず空を見上げた。
女の俺の世界では村上貴子は家にも来たことがあるようです。




