父と子
父はどんな顔だったのか…………忘れた。
「知らない人がいる」
父を対面した時、言ったセリフだ。
めったに家にいないせいで小さい頃、初めて見た時は知らない男が家にいると思ったくらいだった。
母から「あれはお父さんだ」と教えてもらえなければ今でも父親というものを認識しなかっただろう。
いつだったか家に帰ってこない父親について母に聞いた時。
「本家の人だから……お仕事でなかなか帰ってこれないの」と。
父に関して何かと『本家』という言葉がよく母の口から出ていた。
僕たち家族より『本家』の方が父とっては大事らしい。
数年に会うか会わないか。
そんな間柄のため、特に父との思い出はない。父の顔すら朧気であるほどに。
「…………」
自宅の玄関に男物の革靴が一足。綺麗に揃えて置いてあった。
(父か……)
父でなければ、泥棒か何かだ。
家の奥に進み、リビングのドアを開ける。
ダイニングにあるテーブルの椅子に座り、コーヒーを飲みながらノートパソコンを操作していた。
(何しに帰ってきたんだか)
チラリとすら僕の方を見ない父にあらためて家に帰ってきたことを確信する。
僕はそんな父の横顔を眺め、自室に行く。
着替えを持ったらシン兄ちゃんの家に向かう気でいた。
「オイ」
着替えを持ち、玄関に向かって廊下を歩いていると呼びかけられた。
一瞬、空耳かな?と思ったが。
「どこに行く気だ?」
違った。男性の、低い声だった。
僕に話しかけてきたのはまぎれもなく父だった。
(初めて父の声を聞いたかもしれない)
「聞こえないのか?」
「………友達の家」
「何しに行くんだ?」
何しに…って。
なんの気まぐれで話しかけてきた?
「泊めてもらってる」
「迷惑になるからやめなさい」
静かに強い口調で言われ、僕は少し驚きつつも呆れた心境になった。
(今更………。今まで何も言ってこなかったくせに)
「問題ないよ。それにいつも一人でいるから。ここにいるよりはマシ」
突然の父からの発言にそう返すとさっさと玄関で靴を履くと家を出ていった。
玄関から出る時、父が何か言いたそうにしていたが、気付かないふりをした。
あー、イライラする。
さんざん放っておいて今になって父親みたいに振る舞うな。
病気か呪いでもかかって目覚めたのか?
自分には子供がいるって。
今まで自分に無関心だった人が関心を向けてくる行為にろくな思い出がない。
少ないから穿った思考が顔を出してくる。
たが、父との希薄すぎる関係のせいか目的が分からない。
(父親ぶって何をしたいんだ?)
お母さんがいなくなった時だって父は帰ってこなかった。
ひとりぼっちでいた僕を見つけたのはシン兄ちゃんだけだった。
「しばらく家に泊まらせて」
着いて早々。家に帰りたくないと言う僕に嫌な顔をせず、シン兄ちゃんは家の奥へ上がらせてくれた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ヒカルにとって父の存在は、稀薄です。
人付き合いが上手くはない彼にとって父親は他の人より、精神的な疲労が大きいかもです。