本の中に落ちてきた少年
(ここは……?)
深い穴の中に足を滑らせ、落ちていっくような感覚が止んだのを感じた。
ソッと無意識に閉じていた眼を開ければ、大樹が僕を見下ろしていた。
(本を取ろうとして、腕に蔦が絡まっていて、それから……)
状況が呑み込めず、空を抱き上げるように枝をひろげた大樹を見上げる。
まるで大空を支えているほどの大きな樹で凝視すると青々した葉の間…枝に白い実が付いているのが、見えた。
(本の中に落ちたんだ。だとすると、ここは本の中?)
今いる場所は、明らかに図書室内ではないどころか学校の敷地内でもないだろう。
(あの本の中に『アチラ側』の世界があった。目の前の樹は……)
「カイコの樹」
そう考えるのが妥当だろう。
あの本は、『カイコの樹』に繋がる通り路であり、僕はそこに落ちてしまったのだ。
「あなたは――」
背後から声がした。
振り替えれると真っ白な女性が立っていた。
インクを頭の天辺から被ったかのようなに髪の先や爪先、見に纏っている物まで何もかも目が眩むほど白かった。
「あなたは逢いたい人はいますか?」
真っ白な女性は問いかけてきた。
こんな異様な状況で問われたところで普段の自分であれば、応えられず黙っていただろう。
でも、その時は問いに応えなければと思った。
「いない」
僕は応えると真っ白な女性は首を横に振り、「あなたではありません」と僕を見据えて言った。
では、誰に向けて真っ白な女性は問うていたのか。
「器の中に在る彼に云ったのです」
『――え?』
僕の身体から光夜叉が離れる。
たちまち光に包まれ、光夜叉の姿は珠となって消え、大樹の方へと飛んでいってしまった。
「光夜叉をどこに?」
「あそこで眠っています」
真っ白な女性が指差したのは大樹に連なっている実だった。
たくさんの、目視できるだけで何十の白い実の方を指し示していた。
(あのひとつ、ひとつ…すべて人が入っているということ?)
自分もあの実の中に入れられるんじゃないのかと思い、真っ白な女性から後退りする。
(僕もあそこに入れる気か?)
真っ白な女性は、僕の様子に何も反応をせず、淡々と抑揚のない口調で言った。
「あなたに逢いたがっている人がいます」
今度は、はっきりと僕を見つめて真っ白な女性が言うと、足元から女性の姿は変容した。
みるみると真っ白な女性に色が付き、増え、元の形が無くなっていった。
気が付けば目の前には、真っ白な女性の姿はなく、別人が立っていた。
それも自分が知っている人物だ。
「久しぶり」
僕を懐かしそうに見つめ、微笑む。
見たことがない表情に戸惑った。この人はこんな顔ができたのかと。
「母さん……?」
偽者だと思った。
思わず身構えた僕に母は苦笑して。
「たくさんの物を光夜叉に奪われたのね。私達一族は、代償をし払うことによって『チカラ』を使えるから。
『アチラの住人』と戦って、戦って……どのくらい、心であり、魂が残っていたのか」
黙っている僕に母は続けて話す。
「あなたの魂とくっついている光夜叉を引き離すことで、やっとゆっくりと話すことができる」
本当に嬉しそうに笑う。
表情豊かに話す彼女を本物と思えないのは、僕のなかで知っている母の姿とかけ離れているからだろう。
僕が知っている母は、いつも無表情でこんな風に笑う人ではなかった。
「僕は素直にあなたを母と思えない」
「そうね。お人形さんになっていたのなら、そう思ってもしかたないわね。でも、『アチラ側』の世界なのだから何が起きても不思議ではない。解決するまで私とお話ししましょう」
私と話して帰る方法を見つけれるかもしれないよ、と言う母に自分も確かにと思う。
母が言うようにここにずっといるつもりはない。
今、言葉を通じる相手は母しかないので、可能な限り情報を引っ張り出すことにする。
「あの実の中に入っているのは人ですか?」
「そうねぇ、人だねぇ」
「あの中に依頼人の友達がいる。みんな帰してほしい」
「う~ん、私が捕らえているわけではないから難しいなぁ」
苦笑いを浮かべ、少し困った顔で母は言った。
「まず帰る方法について、教えるわ。
ひとつは、あの樹には拘束力はないので、帰りたいと強く願えば現実世界に戻れます。ただ、願った本人だけね。
もうひとつは、あの樹を退治すればこの世界は保てなくなり、戻ります」
帰るのは簡単だと母は言う。
問題なのは、帰りたいと本人が望まなければここにいる全員は帰れない。
もうひとつの方法は……天にも届きそうな『カイコの樹』を見上げ、溜め息が出そうになった。
「みんな夢をみているの。ここにずっと居たいと思うほどのとても、幸せな夢よ。もう二度と会えない人がいる世界。
……そうね。そうなると私もヒカルと会えたから夢をみているのかもね」
「母と似た顔で笑わないでください。本当の母さんはもう………」
「そうねぇ。でも、ここは魂のみが来れる場所。あなたも、あの実の人達、みんな今は魂だけの存在ですよ」
「僕は死んだのですか?」
「いいえ。眠っているわ。でも、ここに長居することはおすすめしないわ。肉体は待ってはくれないから。もう肉体がない魂もたくさんいるわ」
タイムリミットがあるわけか。
「魂のない肉体はどこにいくの?」
「……それには答えられないわ。でも、帰りたい場所に帰ると信じている」
母はそこでいったん言葉をくぎると真っ直ぐと僕を見つめるのだった。
いつも『光夜叉』を読んでいただき、ありがとうございます!
また、ブクマをしてくれた方が増えて今月中にもう一話、投稿しちゃいました!
皆さん、本当にありがとうございます。