捨て子
――待って。
僕のもとから離れていく背中を追って小さい手を伸ばす。
――待ってよ、お母さん。
どんどん離れていく背に、繋ぎとめることができず、届かない手を下ろした。
遠い昔、お母さんは僕を捨てた。
あの時、幼かった僕は更お母さんに捨てられたのだと感じずにはいられなかった。
暗転。
のちに神代 光は目を覚ます。
頭を起こし、ゆっくりと辺りを見渡せば、静かな教室では歴史の授業が始まっていた。
黒板の方に目を向けると教師と目が合い、すぐに逸らされた。
どうやら、チャイムに気付かず、机に突っ伏して寝ていた僕を起こすことを放棄したらしい。
淡々と授業を進めている教師は、僕がさっき起きたことを知っているはずなのに、注意すらしなかった。
教師としてどうなのかと思うが…まぁ、叱られるのも面倒なので何気ない顔で授業に参加する。
「あー、どうでもいい…という訳でもないが…最近、隣の地区で行方不明になった学生がいるらしい。気を付けて帰れよ……めんどくさいから」
「センセー、心の声が漏れてまーす」
とある生徒の指摘に咳払いで返す。
「では、今日の授業は終わりです」
言い終わらない内に授業終了のチャイムが鳴る。
あぁ、そうだった。
こういう先生だったな、この人は。
「気を付けて帰れよー」
帰りのホームルームが終わり、帰宅部の僕はさっさと教室を出ていく。
「あっ…」
階段を降りていると顔見知りの先輩と出会して立ち止まる。
あちらも気付いたようで目が合い、自分を見上げていた。
「し…東條先輩も帰りですか?」
声を掛けると縦に頷いた。
「光もか?」
「そうです」
「じゃあ、一緒に帰ろうか」
すっと自然に差し出された手に苦笑を浮かべながら「もう、子供じゃないよ」と躱す。
「そうか」と差し出された手を下ろし、
僕の隣に並んで一緒に階段を降りていく。
東條 慎一郎…僕より一つ上の高校二年生。
すらりと伸びた背筋で猫背ぎみの自分とで身長さが頭一つ分くらい差があったりする。
ちらりと見上げれば、目が合い慌てて視線を戻す。
「気にしなくていい」
「え……」
「昔みたいにしゃべればいい」
「い、一応…先輩なんで」
「俺は気にしない。そっちの方が慣れない」
慣れないと言われてもなぁ。
東條先輩とは幼馴染だったりする。
僕の母と東條先輩の母親が学生の頃からの友人ってこともあり、物心つく前からの知り合いだ。
「人目もあるし、あとちょっと恥ずかしいなぁ…です」
にへらと笑って誤魔化す。
恥ずかしいのはウソではない。
ただ、なるべく敬語で話さないと周囲のやつらがうるさいのだ。
立場を弁えろと学校内では特に、だ。
「別に恥ずかしがらなくてもいいのに」
フッと口許がやわらかくなる先輩。
いつも寡黙で表情を顕著にしない人の笑みって目を引かれるなぁ、とぼんやりと思う。
だから、なんで自分と関わろうとするんだろうって理由を考えてしまう。
あらかた検討はついているのに。
校門を出て他愛のない会話をしながら、分かれ道に差し掛かった。
「ありがとうね。夕飯に誘ってくれて」
「遠慮するなよ、お母さんもお前に会いたがってるから」
「うん。今度ね」
にへらと笑って手を振ると自宅へと続く道に進む。
「なぁ、ヒカル」
呼び止められて振り返る。
「…気を付けて帰れよ」
「昔からシン兄ちゃんは心配性だなぁ」
あははっと笑い、昔の呼び方でバイバイと手を振ると前を向いて歩く。
本当に優しいなぁ。
僕のことなんてほっといてくれてもいいのに――。