深界
僕は、深い深い場所にいた。
眩しいほどの暗闇に僕だけがポツリと白い染みのように浮き彫りになっている。
「なんだ? お前、迷子か?」
こんな場所に迷い込んで、と背後から聞こえてきた声に振り返る。
「…? 杏寿さん?」
「あんな寄せ集めより、ワタシの方が美人だろう。一緒にしないでくれ」
白の着物と紅い帯をした女性は、高い位置で結った黒髪を滑るように梳いた。
僕はその仕草に見覚えがあった。ユメで視た彼女の癖だ。
「どうして、貴女はここに?」
「アイツが繋いだからな。昔から頑固なやつだ」
「繋いだってどういう……」
「この町に張ってある結界の源は、ワタシだ。そこにお前の魂が繋がり、回路ができた。何せ多少はワタシの魂でもあるからな、お前は」
「はぁ……」
「ま、意味が分からないよな!」
笑いながらバシバシと背中を叩いてきた。
彼女がいうには、僕の魂は身体から離れ、今『剣』の中にいるらしい。
そして、光夜叉が結界に『剣』を突き立てたことによって結界のエネルギー源となっている彼女の魂と繋がった、と……。
「クロはお前を連れてきていいと言った」
「ク、ロ…?」
「あー、渾名みたいなもんだから気にすんな」
「はぁ」
「ワタシの魂が多少なりとも混ざってるお前ならこっちにきても構わないと言っていた。が、ワタシと一緒に来るか?」
どうする?と突然聞かれ、戸惑う。
「貴女についていったらどうなるんですか?」
「う~ん、そうだな。結界の維持に協力してもらうよ。傍観者として人の世を見守ることができて面白いぞ。しかし、お前の存在は人々の記憶から消えるがな」
「……貴女についていかなったら?」
彼女は、微笑む。
「お前次第。ここに残るでもいいし、逃げてもいいし、最後まで抗ってもいい」
「はぁ」
「おや、けっこう真面目な話をしているんだぞ? お前は他人に頼り過ぎてる。たまには我を通してみろ」
「自分勝手に振る舞って結局何もできなかったら……」
「その時は、その時だ。それにワタシが残した『剣』は強い。命を繋いできたからな」
お前の自由だと彼女は無責任に選択を突き付けて僕に言うのだ。
貴女みたいに『自分』という核がないのにそれでも選ばせようとする彼女は見方によっては残酷に思えた。
「僕は…………」
子供なんだろう。不満ばかり並べて周りの人たちに合わせる子供。
自由になりたいと思うくせに選ばなかったのは自分自身でしかないのだ。
「僕は、生きたい。このまま忘れられるのは嫌だ」
わがままを言った。
今、魂だけの状態でいるのだろう。
自分の身体に戻って生きたい。
「そうか。なら、力を貸してやる。
それにな、クロに連れてきてもいいといわれたが、断っていたのだ。一緒に来られたらと思うと困っていたぞ」
あっはっは、と彼女は声を出して笑う。
本当に僕はこの人の魂が混ぜっているのだろうか?
少しでもその明るい部分が欲しかった。
「どうして、笑っていられるんですか?」
彼女は、たくさんの人間を守るために犠牲になった。
今、結界を壊されそうになっているのになぜ笑っていられるのか。悲しくないのか、恨んでないのか。
「これがワタシの武器だからだよ」
「武器?」
「そう。悔しいだろう? 不幸にしたいヤツが笑っていたら、楽しんで生きていたら悔しくて仕方ないだろう」
この人は本当に強い人だ。
「だから、お前も笑え。ざまあみろってな」
彼女は僕の背中をポンと押す。
僕は一歩前に踏み出すと眩むような白い景色に包まれたのだった。
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