意思の微弱
「まだ…死にたくない……」
パシン……
気付けば伊藤の手を払いのけていた。
「は?」
伊藤が呆気に取られているように僕も驚き、凝視した。
払いのけたのは、ちょうど手首あたりだったと思う。
緩んだ糸が解けるみたいに白く柔い糸を引いて、伊藤の右手は無くなっていた。
――さぁ、今だよ。行こう!
少し幼い声に導かれ、その場から逃げ出した。
あれは、あれは僕のせい……。
お堂から出て廊下を走る。
右手が無くなった伊藤の姿を思い出し、その場で立ち止まろうとした僕をあの哀れむ無機質な声ではなく、感情の持った声が頭の中で響く。
――君のせいではないよ
だから、気にしなくていいと。
目の前で手首が消えた伊藤についてその声は言った。
――それに、もう生きてはいないんだ。
身体だって仮初めで……。
違う。
こんな目にあわせてしまったのは、僕のせいなんだ。
伊藤たちを消えたのに、ずっと知らずにいた。
酷い奴だ、と思われたって仕方ない。
――ボクは、知っているよ。
あの子達は君の話を信じていなかった。
嘘だって君に言っていたでしょ?
だから、消えたのは
偶然だと?
――ううん。
偶然なんて、ないよ。
結局、あの子達は招かれたんだ。
君や『お母さん』をここに引き込んだモノ……『常闇の住人』に。
『常闇の住人』とその声は『あちら側のモノ』についてそう呼称した。
聞きなれない名称であったが、今は由来なんてどうでもいい。
「今もここにいるのかなぁ」
いたとしてもきっと……。
分かっているんだ、うん、分かっている。
どうして、僕を捨てたのか理由を知り得ることはできないんだって。
「ここから出れるのだろうか?」
ずっと屋敷内を走り回っても仕方ない。
お堂の外を出て適当に走ったせいで屋敷内のどこを歩いているのか、また出口に近づいているかも分からない。
もうその頃には、走るのをやめて歩いていた。
広い屋敷内を部屋から部屋へと渡り歩いていくうちに疲れと不安、恐怖で足が重くなっていた。
僕はどこかで期待しているかもしれない。
それとも、考えないようにしたかったのかも。
ここから出られないこと。
ここにお母さんがいる(いた)こと。
『アレ』に『化け物』に出会すこと。
『あちら側』の人間になること。
死んでしまうこと。
それらを思考してしまうと、一気に恐怖というものは押し寄せ、息が荒くした。
――大丈夫? ヒカル。
僕を心配する声に曖昧に返す。
――そうだよね。大丈夫、じゃないよね。
小さな沈黙の後、その声は再び話かけてきた。
――ねぇ、ボクのお願いをきいてくれる?
お願いって……。
今は相手の願いを聞けるほど余裕ではないのに何を僕に伝えるのだろうか。
――こういう時だから、きいてほしいんだ。大丈夫、難しいことではないよ。
ボクは君を助けたいんだ。
ここから出る方法を知っているの?
――いいや。ただ、手助けはできるよ。
すべては君次第だけどね。
その声は、笑った気がした。
みえないから、声の雰囲気だけで感じたことだけど。
その声を信じるのか、と躊躇する意識があったが、空っぽで『格』のない自分には何が正しいのか判断ができない。
だから、いつも、決定権は自分にはない。