前編
今宵、宴が開催されている城の大広間からは風に乗って音楽が聞こえてくる。
その大広間から少し離れた場所にある城の庭園には宴の合間に少し休みに来る者が疎らにいる様だ。
庭園には、父親に連れられ宴に参加したが、逃げてきた十代半ばの少女と少女同様に宴に飽きた十歳くらいの少年が将棋盤を挟んでで向かい合っている。
少年の方が負けているらしく眉間に皺を寄せて唸っている。
『王手! これでまた私の勝ちですね。』
少女が高らかに少年に告げる。
少年は悔しそうにしながら、少女を睨む。
『もう一度勝負してよ!!』
『無理です。そろそろ父の元に戻らないといけないので。』
少女は再戦を申し込む少年の言葉をにべもなく切り捨てる。
少年はそれでも粘るように『もう一戦だけっ!』を繰り返す。
その年相応の様子を微笑ましく思いながら、少女は少年に約束する。
『今日はもう時間がありませんが、また今度会えたら今日の様に将棋をしましょう。』
『わかったよ・・・。その代り、次に会えたら今日よりもいっぱい将棋をしよう。』
『はい。次に会えたら……。』
そう約束しながら、少女はその約束が果たされることはないだろうと思った。
なぜなら、少女は中流貴族の娘で、少年はこの国の王子だったのだから__。
「二十四時間働けます!!」
夜が明け、まだ薄暗いながら徐々に日が昇り始める午前四時頃、東にある大国“華陽”の城の最上階にある王の執務室から気合の入った女性の声が響き渡る。
「二十四時間所か、働き始めて四十八時間立ってるよ。いい加減休んだら?」
続く男性の呆れた声とともに執務室の扉がノックする事なく開く。
部屋に入ると、人が二十人入っても余裕がくらい広いはずが高く積まれた書類や資料の本で埋まり、奥に進むことすら困難になっている。
そんな部屋の奥にある執務机で目の下に濃い隈を作り、手首に包帯を巻いた手でこれでもかと羽ペンを動かし書類に文字を書き連ねる女性――この国の女王である璃々は羽ペンを握っているとは逆の手で茶色い小瓶を掴み一息に煽る。
そして飲み終わった小瓶を机に叩きつける様に置きながら、部屋に入っていた男性――王子であり璃々の義理の息子である雪白に答える。
「こっちの書類は明後日までに必要で、一週間後に行われる南の州についての会議資料がまだまとまっていません。なので休みません!」
「だからって、こんな朝早くから璃々一人でやらなくてもいいでしょ……。」
璃々の返事に周りの処理済みの書類の山を見て、溜息交じりで雪白は呆れた視線を寄越す。
「確かに、雪白様のいうことには正しいです。ですが私はこの国の女王としてこの国ので一番民を想い、働かねばならないと思っています。……それに私がこの仕事を終わらせておけば手の空いた者を他の仕事に回せます。」
璃々の言葉に雪白は胸が暖かくなりながらも、それでも心配そうに説得の言葉を重ねる。
「璃々がこの国を思って頑張ってくれてるのは知ってるよ。でも何日も寝ないで仕事をしているのを見ていると璃々が過労死するんじゃないかと心配なんだ……。」
「心配してくれて有難うございます。でも、私の体は頑丈なので大丈夫です!」
璃々は雪白を安心させるように笑う。
しかし、雪白は表情を和らげる事なく机を挟んで座っている璃々の頬に触れる。
「目の下を隈で真っ黒にしていても説得力がないよ。しかも顔色も悪い。……ご飯はちゃんと食べてるの?また、仕事しながら食べられるからって林檎ばかり食べてない?」
雪白の言葉に璃々は目をそらそうとしたが、頬に触れた手がそれを許さない。
「いいじゃないですか。林檎。美味しくて片手で食べられて、水分も取れるし一石三鳥ですよ!」
「林檎“を”食べるのはいいけど、璃々の場合林檎“しか”食べてないでしょ。」
「林檎以外にも、お茶と魔法薬ドリンクも飲んでいます。」
付け加えられた言葉に雪白の目が据る。
「林檎もお茶もましてや魔法薬ドリンクは食事じゃないよっっ! ちゃんと人間の食事をしてっっ!!」
璃々の言い訳に普段は穏やかな性格である雪白から怒りの声が上がる。
怒れる雪白に慄きながらも、璃々は返事をしないで唸る。
「大体、寝不足で肌は乾燥しきってて、濃い隈がある顔色の悪い君を見て城の人たちがなんて言ってるか知ってる? “社畜女王”だよ。……なりふり構わず国や民を想う君はすごいと思う。でも、君はこの国の象徴たる女王なんだから、もっと体調や身なりも気にしなきゃだめだ。」
雪白は自分が心配だからという言葉では璃々をを休ませる事が出来ない為、“女王”の立場を出して休むように促す。
その言葉に唸っていた璃々も肩をすくませる。
「分かりました。確かに女王が身なりを整えていないのは駄目です。……なのでちゃんと休みます。」
反省している様子の璃々を雪白は安堵し微笑みながら頭を撫でようと手を伸ばす。
次の瞬間に璃々から「この書類が終わったらっっ!!」と続けられた言葉に撫でるはずだった手で雪白は璃々の頭を叩いた。
――城の中の自分の私室で璃々は溜息を吐く。
普段なら溜息を咎められる事もないのだが今は璃々以外にも人がおり、その少女から心配げに声を掛けられる。
《璃々さん、大丈夫ですか? やっぱり働きすぎなんじゃ。》
璃々の私室の鏡があり、遠くにいる人物とも喋れる魔法が掛かっている。
今、鏡の向こう側から彼女に話を掛けた白い髪の少女――ブランの魔法の師であり、雪白の実の叔父でもある魔法使いが用意した物だ。
「ううん。その逆よ、今日一日仕事を休むように言われて執務室を締め出されたの……。」
《じゃあ、今日はお休みなんですねっ! 良かったです。私このままじゃ璃々さんが過労死するんじゃないかって心配で……。》
ブランは嬉しそうに言う。
「それ雪白様にも言われたけど、そんなに私って弱そうに見える?」
首を傾げながら、不満そうに聞く。
《弱そうに見えるというか。自覚ないんですか? 璃々さんの魔法薬ドリンクの消費量は半端じゃないですよ?》
ブランは痛む頭を押さえながら璃々に答える。
「そんな事ないから、普通の社畜が飲むのと変わらない量よ。それに私は金に糸目を付けず、効能のある魔法薬ドリンクを注文するから、あなたにとっては上客でしょ?」
《普通の社畜ってなんですか? あと璃々さんは確かに私の作る魔法薬ドリンクをたくさん買ってくれるお客さんですが、だからって買うものがそれだけなのは、人としても女性としても問題ですよ?》
そのブランの苦言に口を尖らせる。
「また、雪白様と同じことを言う!」
あの執務室のやり取りの後で璃々は雪白からさんざん説教され、その時の雪白はいつもは穏やかな優しい笑みを浮かべる顔を無表情にして抑揚無く淡々と璃々の身だしなみや体調管理に駄目だしをし続けたのだ。
説教の最後には璃々が泣き出しそうになるくらい恐ろしく、彼女の最近で一番のトラウマとなった。
もっとも、説教が終わった後に璃々の好きな林檎を使ったお菓子と胃に負担にならないお粥を璃々の為に用意し、食べ終われば璃々の頭を撫で、ゆっくり休むよう私室まで送ってくれたのだが。
それでも、仕事を取り上げられた璃々は手持ちぶたさで魔法薬ドリンクの注文ついでにブランに愚痴っていたのだ。
《当たり前です! 私も雪白様も璃々さんの事が大切で心配しているんですから!!》
ブランは抑えていた頭を上げ、真剣な顔で璃々に伝える。
《それに、雪白様から璃々さんに魔法薬ドリンクを売るなと何度もクレームが来てます。……このままじゃ璃々さんは体は林檎とお茶と魔法薬ドリンクで心は社畜成分で構成された生き物になるって!》
「私は人間だから! 妖怪とかじゃないからっっ!! 」
《仕事を求めて唸りながら私室を徘徊する璃々さんは、はっきりいって“妖怪 社畜女王”だと思います!》
璃々の反論を真顔で一刀両断したブランは《なので、今回の注文はお受けできません。》と続ける。
その一言で璃々はこれ以上なく絶望しつつブランに助けを求める。
「待って、それ本当に困るから! 魔法薬ドリンクがないと私二十四時間働けない!」
《働く無くて良いです。休んでください。》
璃々の社畜っぷりに引きながらブランは呆れた顔で溜息を吐く。
《前から気になっていたのですが、璃々さんはどうしてそんなに働くんですか?》
ブランの質問に璃々は一旦黙ったが、少しずつ自分が働くことに拘る理由を話し始めた。
「十五歳の時に父に連れられて城の宴に来たのだけれど、私は人が多い所が苦手で着てすぐに城の庭園に逃げたの。その庭園で私と同じ理由で逃げてきた小さい男の子がいて、互いに暇を持て余していたからその子が持っていた将棋盤で将棋をしたの。」
璃々はその時を思い出し懐かしそうに微笑む。
「私、こう見えて将棋強いのよ。よく父に付き合って打っていたから。だから、その男の子とは三回対戦したけど全部私の勝ち。」
《凄いですね。でも一回も勝てないんじゃその男の子悔しかったんじゃないんですか?》
「ええ、その男の子は私が戻る時間になっても、もう一度と駄々を捏ねてたわ。だから約束したの。」
《どんな約束ですか?》
「次に会えたらあなたが満足するまで将棋をしましょうと。でも私はその男の子には会えないって知っていてその約束したの。」
苦笑しながら璃々はブランに当時の自分の考えを伝える。
《会えないって、遠くから来ている子だったんですか?》
ブランは会えない理由を想像しながら続きを促す。
「違うわ、その男の子はこの国の王子様だったの。つまり雪白様の事ね。」
《うええええーっっ!! 雪白様ですか!》
現在の雪白は、身長が百八十センチ以上の長身に加え、穏やかな性格で、身分問わず公平に人に接する人柄だ。さらに、その性格とは甘い顔立ちで、どこか男の色気を持ち国中の女性を魅了する人なのだ。
その何事もそつなくこなせる雪白が、子供の頃は璃々に将棋で負けて駄々を捏ねる姿は想像できなく、ブランは叫んでしまう。
「ええそうよ。昔の雪白様は今より三十センチは小さくて、年相応に子供らしく泣いたり、駄々を捏ねたりしたのよ。今じゃ国一番の色男だけど。」
璃々も今の彼を当時の彼とを比べてしみじみ時の流れを感じながら溜息を吐く。
「だから、王子様の雪白様と中流貴族の娘である私は二度と会えるわけがないと知っていたけど、その場凌ぎで適当に約束したの。」
当時の自分を思い出し、自嘲気味に璃々は話を続ける。
「でも、雪白様はその場凌ぎの約束を信じて私を探してくれた。」
宴から二週間後に雪白からの招待状を父から渡された時は本当に驚いたものだ。
「それ以来ずっと、雪白様とは将棋友達だったの。……私が彼の義理母になるまでは。」
《義理母になるまでって、今でもお二人は仲がいいじゃないですか?》
二人のやり取りを思い出しながら、ブランは指摘する。
「確かに他の人から見れば私たちは仲が良く見えるかもしれないけれど、将棋友達の時はもっとお互い遠慮がなかったと思う。今はどこか壁がある。」
もっとも、友達がある日いきなり自分の義理母になったのだ。
壁ができても仕方ないと璃々はどこかで諦めている。
《でも、なんで先王様は息子の友人である璃々さんと結婚したんですか?》
「その当時、先王様は病気で先が長くなく、でも雪白様はまだ幼く王位を継げば周りの人間に良い様にされるのは解りきっていたから。だから将棋の腕と学院の成績、何より雪白様を守ってくれる人として私を妃に迎えたの。」
今でも自分の様な中流貴族の娘に頭を下げ、雪白を守る事を真摯に頼んで来た先王の顔を思い出す。
残して逝く息子の未来を憂い、息子の為に年若い貴族の少女の未来を奪う事を悔やんでいた顔を……。
「だから、私は何があってもこの国を、雪白様を守るの!その為には私は女王で社畜になったのだから!!」
《璃々さんの働く理由は分かりましたが、社畜にはならなくてもいいと思います。》
断固として社畜の部分を否定しながら、しんみりしながらブランは璃々に言う。
広い大広間、流れる流麗な音楽に美しく着飾った人々が美食や美酒を楽しむ。
その中でも一際に人目を惹く光沢のある黒に銀糸で彩られた衣を着た長身の美男――」王子の雪白がいた。
雪白は休ませている璃々に代わり、有力貴族の宴に参加していた。
そんな雪白に周りの貴族、とりわけ女性が多く群がる。
彼は、そんな女性陣を一人一人丁寧に対応しながら、しかし全ての女性を平等に扱う。
彼女たちに“自分が雪白にとって特別な相手”と間違っても勘違いしない様に。
なんせ雪白にとっての“唯一”はすでに決まっているからだ。
そして、女性たちの波が途切れた時に一人の男から声を掛けられる。
「よう!雪白、相変わらず女侍らしてるな。リア充爆発しろっ!」
「久しぶりだね。ジーン君、君もリア充だろ。そっちが爆散して挽肉になりなよ。」
お互いに親しさを滲ませながら、笑顔で罵り合う。
雪白に声をかけたジーンは彼の実の叔父でありブランの師でもある、世界で五本の指に入るほど有名な魔法使いだ。
年が近い二人は叔父と甥の関係より兄弟の様に仲が良かった。
「ジーン君ってば、うちの国来たなら連絡をくれればいいのに。いっつも唐突に来るんだから!」
怒った様に雪白は自分よりだいぶ下にあるジーンの顔を見ながら苦言を言う。
「しかも、宴なのにいつもの頭巾被ってるし!」
「頭巾じゃねーよ! パーカーって言えよ!! だせぇだろが!!」
ジーンは自分の頭の布部分を指で引っ張りながら、雪白に訂正する。
「頭巾でもパーカーでもどっちでもいいよ。どの道、宴に相応しい恰好でないからね。」
呆れながらジーンを見る。
実際、美しく着飾った人の中で悪い意味で目立つ格好だ。
百七十センチより少し低い身長に黒髪、赤い目、黒いズボンに白いシャツ、極め付けにジーンのトレードマークとも言える赤いロングパーカーである。
「君が有名な“破壊者赤ずきん”じゃなきゃ即刻追い出されてるよ。」
「やめろっ!! そのメルヘンかつ中二病のような名で呼ぶな!! しかもこれパーカーなの! 頭巾じゃないの!」
“破壊者赤ずきん”とはジーンにつけられた異名だ。
名前の由来は、魔法で強化した腕力にものをいわせ、巨大な剣を振り回し敵を真っ二つにした際に返り血で赤く染まるパーカーを見た仲間が付けたものだ。
しかし本人は気にいらない為、その異名で呼ばれる不機嫌になる。
ジーンを一通りからかって満足した雪白は改めてこの国に来た理由を聞く。
「大した事ねーよ。いつも通りこっちの方に悪魔が出たって聞いたから一狩りしに来ただけだ。」
近くの給仕から受け取った酒を片手に、何事もなく散歩に来た気軽さで爆弾発言をする。
「ジーン君、普通の人は悪魔を一狩りしに来ないからねっ!」
「俺は普通じゃなくて、けっこう最強の魔法使いだから。」
「けっこうじゃなくて、僕の知る限り君は世界最強の魔法使いだよ。」
「お前ごときの世界最強じゃ世界最強じゃねーよ。俺の言う世界最強は何処に行こうが、俺を見た生き物全てが戦意喪失して、五体投地し俺を崇め奉る感じだ。」
「それ最強の魔法使いじゃなくて、もはや神だよ!!」
ジーンの変わらぬ傲慢さに雪白は顔を引きつらせる。
昔からジーンは傲慢だが、それに見合う実力もあり、雪白にとっては尊敬できる人物の一人だ。
なにより彼の“世界最強の魔法使い”という目標に真っ直ぐでその為の努力する姿は、雪白の大切な璃々に重なるからだ。
璃々の事を思い出すと、彼女が今も仕事をせずに休んでいるか気になり始める。
この宴に来る前に璃々本人は注意したが、それ以外にも嫌だったが侍女などの城の者に彼女の監視と世話を頼んだのだ。
雪白にとって自分以外の誰かが璃々の世話を焼くのは腹が立つ事だった。
彼女の世話を焼くのは自分だという思いの元、王子でありながら掃除や洗濯や料理、最近では璃々の好物の林檎の栽培に手を伸ばしている。
そんな雪白の不穏な空気を感じたジーンは、すぐに彼の義理母であり片思いの相手の璃々の事を考えている事を見抜き呆れる。
「はぁーっ。また璃々の事を考えてるのかよ。あんまり世話焼きすぎると前に飼ってた犬と同様に嫌われるぜ。」
ジーンは雪白が小さい頃に飼っていた犬の事を引き合いに出して忠告する。
且て雪白がまだ五歳の時に情緒教育の一環で子犬を飼う事になったが、彼が世話を焼きすぎた為にその子犬はわずか一ヵ月でストレスで衰弱し、別の人間に引き取られてしまったのだ。
雪白の璃々への世話の焼きっぷりを見ると、彼女も子犬と同じ運命を辿るのではと思ってしまう。
なんせ愛が重いのだ。
物理的破壊力にしたなら、自分の魔法強化した腕力で振り回した武器の威力なんて目じゃないくらい重い。
もし璃々が、雪白から逃げ出そうとしたら自分が助けてやろうとジーンは考えている。
璃々はジーン自身と彼の弟子であるブランにとっての唯一の友人だからだ。
だから、彼女を害そうする人間は許せないのだ。
「雪白、“純潔派”が動き出した。」
ジーンは今までの騒がしさとは噓の様に声を潜めて雪白に伝える。
その言葉で雪白から表情が消え、目には殺意が宿る。
「彼ら、まだ生き残りがいたんだ?じゃあ、殺さなきゃね。」
消していた表情に、甘やかな微笑みを載せて穏やかに宣言する。
璃々を害そうする愚か共を一人残らず殺す事を。
読んでくださいまして有難うございます。