87.怪魚
“腕試し”が催された慰霊の宴の翌日。
うだるような湿気と暑さの中、ハルはエルテ川という川を渡る船に乗っている。
そして川の両脇にはプレアデス諸島特有の鬱蒼とした密林が広がる。
アンドロイドであるハルにとっては暑さそのものはたいして問題ではないが、湿度の方は無視できない要素である。
あんまり湿気の多い環境だとハルの動作に色々と不具合が出てしまう可能性があった。
「はぁーあ……」
不機嫌を隠そうともせずハルは大きなため息を吐く。
ハルは現在、プレアデス諸島の島の一つであるターユゲテ島を訪れていた。
ターユゲテ島はアメリー・ムカバ率いるムカバ族のテリトリーだ。
プレアデス諸島の他の島と同様に、ターユゲテ島も島中を川が網目のように張り巡らされている。
当然、移動手段は船に頼る事が多い。
その船にマリネリスから運んできた食糧を積んで輸送している。
そしてそのムカバ族の集落に食糧を届ける為の護衛をハル達で担当するのである。
但し、ターユゲテの川は総じて川幅が広い。
それ故に川に棲む動物も大型で危険度が大きいのだ。
それはエルテ川も例外ではない。
飢饉により住民の数が減ってしまったこの島では、現在野生動物の数が増えてしまっているのだそうだ。
当然この川も普段よりも危険度が増している可能性は充分にあった。
その為、マリネリスからの護衛者は遠距離攻撃手段を持つ者を集めている。
クロスボウ持ちのハル、弓を扱うナゼール、呪術師レリア、そして魔術師コリンという変則的な編成だ。
そして護衛要員ではなく運搬要員のムカバ族の者達、更にはレリアの妹のデボラも同行している。
ムカバの集落に食糧を送り届けた後に、一応オーベイの元にも向かう手はずになっていた。
ちなみに、クルスの別働隊はエレクトラ島での食糧輸送を護衛している。
あちらは不死者が多いらしい。
今頃クルスはフィオレンティーナと仲良くやっているのだろうか。
そんな事を考えると自然とため息をついてしまうハル。
「はぁぁぁぁ……」
「もう、さっきから鬱陶しいなぁ。どうしたのさ、ハルさん?」
耐えかねたといった様子でコリン少年が聞いてくる。
彼はプレアデス諸島の日中の暑さに辟易しているようで、とうとうトレードマークのとんがり帽子とローブを脱ぎ捨てて軽装になっている。
「いえ、マスターが心配で……」
とは言うものの、ハルがしているのは戦闘面での心配ではないのだが。
一方のコリンは相棒レジーナの無鉄砲な気性を危惧しているようだ。
「こっちだってレジーナが心配だよ。まーた無茶してなきゃいいけど……」
そんなコリンを茶化すようにレリアが話しかけて来る。
「違うわよ、コリン。ハルさんはクルスさんとフィオがくっつかないか心配なのよ」
「え? なーんだ。そういう事か。へぇー……」
そう言って、にやりと口の端を歪めるコリン。
こんなゴシップネタを聞いてそういう笑みを浮かべるとは、なんともまぁ可愛げの無い子供である。
結局ハルはあの後、クルスがフィオレンティーナにどう返答するつもりかを尋ねる事は出来なかった。
フィオレンティーナの居ないところでこっそり聞こうと思っていたのだが、クルスが二人の密談を盗み聞いた事への追及をしている内に、いつの間にか有耶無耶になってしまったのだ。
いや、無意識にクルスの真意を聞く事を躊躇していたのかもしれない。
「それにしてもよ、ハルさん」
と、話しかけてくるのはナゼールだ。
「何ですか、ナゼール?」
「この船も結構揺れてるけど、船酔いは大丈夫なのかよ? ハルさんはマリネリスからの船旅でも滅多に甲板に出てこなかっただろ?」
おっと、そういえばそういう“設定”だったか。
ハルは思い出す。
潮風を嫌って甲板に出なかったハルの為にクルスが考えてくれたでっち上げの設定である。
「ご心配なく。今は大丈夫ですよ」
「そうかい、そりゃ良かった」
「ところで、ナゼール?」
「あ? なんだよ?」
「なんだか川底に空洞があるように見えるんですけど……何か知ってます?」
そう言って川底の方を指差すハル。
その方向には真っ暗な洞穴のようなものがある。
「ああ、あれか。 あの川底の穴はな、海と繋がってるらしいぜ。そのせいでここの川は色んな魚が入り混じってんだ」
「ふーん……そうですか」
どうりで仄かに磯臭いわけだ。
また一段と機嫌が悪くなるハル。
なるべくならここの水には触りたくない。
機械の体がさび付いてしまう。
今回は久々に《パイルバンカーE型・改》と《フックショット》も持ち込んでいる。
もし川に落ちそうになったら《フックショット》で離脱するとしよう。
ハルがそんな事を考えていると、船先の方から声がした。
≪おい、お前ら。おしゃべりはその辺にしときな! そろそろ危険な水域だよ≫
アメリー・ムカバが注意を呼びかけている。
それを聞いて各々気を引き締める護衛者達。
ハル達が乗っている船は、川を進むにしては非常に大型で細長い形状をしている。
ある程度の大きさが無いと、大型動物と衝突した時に水没してしまう危険があるのだそうだ。
船にはオールを持つ漕ぎ手が等間隔に配置され、重要な荷である食糧は船の中央部に纏めて積まれている。
そしてハル達護衛者は、漕ぎ手と船を守れるように船の四隅にそれぞれ配置される。
川のどこから危険な生物が襲ってくるかわからない。
全方位を守れるように四隅に配置されたハル達。
注意深く水面を見つめるハル。
視覚を《温度感知》に切り替える。
すると、この川にはたくさんの生物が生息している事がわかる。
小魚の魚影や水草、そしてそれらに混じって大きい魚の影が見えた。
一、二メートルほどはあろうか、かなり大型の魚類である。
口元の形状から察するに、おそらく肉食魚だ。
古代魚を髣髴とさせる四肢の様なヒレがついている。
ハルは船先のアメリーに問いかける。
≪なんか大っきい魚が居ますけど、それは安全なんですかー?≫
≪何? そいつにトゲはついてるかい?≫
その魚は体表の大部分を鱗で覆われていて、その鱗にトゲがついている。
≪ついてます!≫
≪だったら、そいつは“ウモッカ”だ。凶暴だから下手に刺激するんじゃないよ!!≫
≪合点承知です!≫
ウモッカ。
その魚についてはクルスから事前に警告を受けていた。
ウモッカは現実世界にも生息している……かもしれない生物で、UMAやらクリプテッド等と呼ばれる胡散臭い未確認動物の一種である。
尤も、その未確認動物の中では実在の可能性は“比較的”高いようだが、比較対象が眉唾モノばかりなのであまり信用できる話でもなかった。
そしてこのクルスの脳内の空想世界でウモッカは、チャポディア・スプレンデンスの様な絶滅危惧種と同様にファンタジー設定が追加されている。
このウモッカは驚いた事に、何と魚の分際で低級の呪術を使うのだ。
呪術により水流を操り、背中に生えているトゲを飛ばすという厄介な攻撃をしてくる。
とは言え、高い知性を有するわけではなく本能的なものらしい。
もちろん水中での強さは折り紙つきで、ハルとの相性は最悪と言える。
その為、もし戦闘になったら接近する前に仕留めないと危険な存在だ。
危険な怪魚が近くに居る事もあって船の皆に緊張が走る。
そんな中ハル達護衛者は注意深く、水面を見張る。
その時だった。
突如響き渡る、何か大きなものが羽ばたく音。
そして何か大きな鳥のような黒い影が森から飛んでくる。
音を聞いて、咄嗟に伏せるハル達。
その時甲高い悲鳴が辺りに響いた。
デボラの声だ。
≪きゃああああっ!!≫
デボラの悲鳴のすぐ後にレリアの叫び声も聞こえてくる。
≪デボラッ!!≫
ハルが叫び声の方に目をやると、伏せるのが遅れたデボラが鳥のような生物ともみくちゃになっている。
レリアが呪術で追い払おうにも、この状況ではデボラも巻き添えにしてしまう。
その様子を見てとったハルが叫ぶ。
≪デボラさん! 頭を下げて!≫
そして叫び終わると謎の怪鳥の頭を狙ってクロスボウの引き金を引く。
射出されたボルトは見事怪鳥の頭蓋を打ち抜いた。
しかし、それは悪手であった。
ギャアアという断末魔をあげて怪鳥が崩れ落ち、そのまま水中へと落下していく。
その怪鳥のかぎ爪は依然としてデボラを掴んだままだ。
引っ張られるようにしてデボラも船から転落してしまう。
≪デボラ!!≫
叫びながら船から身を乗り出すレリア。
ハルも船の縁から身を乗り出しデボラの行方を目で追う。
その時、ウモッカの魚影がゆっくりとデボラに近付くのが見えた。
用語補足
ウモッカ
インドの港町プーブリーで目撃された未確認動物。
誇張表現ゼロのリアルな目撃譚と、美大出身の目撃者によるかわいらしいスケッチで話題となった。
サメの一種であると考えられており、もし捕獲されたらシーラカンス以来の大発見だと言われている。
名前の由来は魚と、目撃者のHNである“モッカ”を組み合わせたもの。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 10月20日(金) の予定です。
ご期待ください。
※10月19日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月17日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




