84.ハルvsフィオレンティーナ
クルスとハルによる壮絶な試合は絶体絶命の状態になりながらも、粘り強く逆転の糸口を探り続けたクルスに軍配が上がった。
フィオレンティーナが両者の闘いをに胸を熱くしていると、二人がこちらへ向かってくる。
クルスはまるで顔を蜂に刺されたかの様である。
一方、隣を歩くハルの顔は傷一つ無い。
歩いてくる二人を観察したフィオレンティーナは明らかにダメージの大きいクルスの方へ駆け出す。
「クルスさん、おめでとうございます!」
「あ、ああ。ありがとう、フィオ」
「そこに腰掛けてください。すぐに治癒の《奇跡》を施します」
「わかった、よろしく頼む」
そう言ってクルスに奇跡《大いなる回復》を顕現させる。
クルスの顔に出来たアザが治ってゆく。
「これで一応は治りましたけど、今日はもう試合はしない方が良さそうですね」
「そうか。まぁ、元々もう闘うつもりはなかったけどな」
《奇跡》とて万能ではない。
度を越えた治癒奇跡が仇となって自然回復力が枯渇してしまったケースもある。
「うん、すっかり良くなったよ。ありがとう、フィオ」
「いえいえ」
そう言うなり立ち上がるクルス。
そこへナゼールがやって来た。
「おーい、クルスさん。ちょっと来てくれ。親父が呼んでる」
「族長が? わかった」
クルスが去った後、見るからに元気の無いハルに目を向けるフィオレンティーナ。
彼女もきっとどこか痛めているに違いない。
「では、お次はハルさんです。治しますから、どうぞこちらに」
そうハルに声をかけるフィオレンティーナ。
だが、声を掛けられたハルは遠慮がちに言う。
「いえ、私は……その、ノーダメージですよ……」
その様子を見て、違和感を覚えるフィオレンティーナ。
彼女はクルスのバックハンドブローや後ろ回し蹴りなどをモロに喰らっている。
表面上のダメージは確かに見受けられないが、内出血や捻挫など一見して分かり辛い怪我が絶対にあるはずだ。
何より、いつも明るく天真爛漫なハルがこんなに沈んだ表情をしているのだ。
それを助けるのは自分の役目であろう。
「いえいえ、ハルさん。今はきっと試合後で興奮していて体の痛みに鈍感になっているだけですよ」
「はぁ……」
渋々といった様子で腰を降ろすハル。
そしてクルスの時と同じように奇跡《大いなる回復》を顕現させようとするフィオレンティーナであったが、一向に奇跡が顕現する気配が無い。
はて、と首を傾げるフィオレンティーナ。
「……あれ?」
「フィオさんの奇跡が顕現しないという事は、私の体は大丈夫ってことではないですか? ほら、傷も無いでしょう?」
ハルが打撃を喰らった箇所をフィオレンティーナに見せてくる。
それを触診にて検分するフィオレンティーナ。
だが、幾ら探しても怪我と呼べる怪我は見つからなかった。
おかしい。
試合ではあんなに打撃の応酬があったのに。
それにレジーナ戦の後も治癒を受けてないのにハルはぴんぴんしている。
この打たれ強さは異常だ。
「……」
言葉を失うフィオレンティーナにハルが告げる。
「ね? 私は大丈夫ですよ。 じゃあ、私はこの辺で」
さっと立ち上がるハル。
しかし、その表情には憂いが見られる。
それがどうにも気になったフィオレンティーナは思い切ってハルを呼び止める。
「ハルさん、待って」
「はい?」
ふぅーと息を吐き、提案するフィオレンティーナ。
「ちょっと、二人だけでお話ししましょう」
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ハルはフィオレンティーナに連れられて、集落の外れの人気の無い場所を訪れていた。
フィオレンティーナの急な誘いに、いささか面食らったハルは先ほどからずっと思案していた。。
フィオレンティーナとは決して短くない付き合いではあるが、よくよく考えてみると一対一で話すのは初めてだ。
一体何用なのだろうか。
そんな事をハルがぼんやりと考えているとフィオレンティーナが口を開いた。
「ハルさん、随分落ち込んでいるみたいですけど、そんなにクルスさんに負けた事がショックですか?」
「そりゃあショックですよ!」
アンドロイドであるハルが守るべきマスター・クルスより弱いというのは、自身の存在理由が揺らぎかねないくらいの大事であった。
いや、そもそもHL型の性能で普通の人間相手に遅れをとる事が有り得ない。
そんな事、有ってはならないのだ。
だが、事情を知らないフィオレンティーナは質問を重ねてくる。
「何でショックなんですか?」
「私は、マスターより強くなきゃならないんです。そうじゃないと守れないから……」
「ふむふむ」
「だから今回マスターとの直接対決を勝つ事で、安心してもらいたかったんです。“マスターには私がついてますよ”って。それなのに……う”うううう」
その瞬間、悔しさが溢れてきてしゃがみ込むハル。
HL型の仕様上、涙は流せないが心情的には号泣している。
そんなハルにフィオレンティーナが優しく語りかける。
「ハルさん、折角ですからこの機会に全部吐き出しちゃいましょう。私でよければ話相手になりますよ」
「……あ、ありがとうございます。フィオさん……」
さすが神官崩れの冒険者だけあり、人の悩みは聞き慣れていそうなフィオレンティーナである。
そんな彼女がハルの悩みを取り除くべく質問をしてくる。
「それで、なぜハルさんはそこまで“クルスさんより強い”事に拘っているんですか? 別にいいでしょう、彼を守れる程度の強さがあれば」
「それじゃあ、駄目なんです。私はマスターに絶対の安心感を与えたい……。じゃないと……」
「じゃないと?」
「私は棄てられてしまいます……」
ハルはあの時、見てしまった。
バフェットからの出資を受けて、貿易都市ドゥルセに新店舗を構えた骨董屋パニッツィ。
その建物の一室をクルスは私物の物置にした。
その部屋のクローゼットに別の『HL-426型』の素体が隠されているのを《温度感知》で発見してしまったのだ。
それについてクルスは何も言わなかったが、おそらくハルの働き如何では新機体に任務を引き継いでハルを廃棄処分にするつもりなのだ。
「棄て……ええっ!? クルスさんに? そんなの有り得ません!!」
事情を知らない者からすれば、至極当然ともいえる反応をとるフィオレンティーナ。
だが、その無理解が今のハルには腹立たしかった。
「それが有り得るんですよっ!! フィオさんは何も知らないでしょっ!!」
しまった。
口に出してから後悔をするハル。
悩みを聞いてくれているフィオレンティーナに八つ当たりしてしまった。
罪悪感から顔を伏せるハル。
ところが、フィオレンティーナは怒った表情ひとつせずに頭を下げて謝罪する。
「ごめんなさい」
「えっ……?」
「どうやら私は、ハルさんが立ち入って欲しくない部分にまで踏み込んでしまったようです。本当にごめんなさい」
「フィオさん……」
ハルの理解を越えた慈しみを見せるフィオレンティーナ。
もしこの世に聖母が実在するなら、きっと彼女の事を言うのだろう。
「でも、もし差し支えなければ教えて欲しいです。“私は何も知らない”ですからね」
そう言って、にっこりと微笑むフィオレンティーナ。
その瞬間にハルは悟った。
いくら力で勝っていようとも、いま自分の目の前にいるこの女性には敵わない。
ハルは深く頭を垂れ、無礼な振る舞いを謝罪した。
「突然怒鳴ってすみません、フィオさん。でも、その……申し訳ないのですが私の事を教えるのは……できません。ごめんなさい」
「ええ、いいんですよ。ハルさん、人間誰しも秘密を抱えています。無理にさらけ出せとは言いません」
そう言ってハルを抱きかかえながら、優しく背中をさするフィオレンティーナ。
だんだんと、悔恨の情で身を焦がしていたハルの心が安らいでゆく。
そんなハルにフィオレンティーナは、子供をあやすようにやさしく語りかける。
「それと“棄てられる”云々の話ですが、きっとハルさんの考えすぎですよ。クルスさんはそんな冷酷な人じゃないです。その事は私なんかよりも、あなたの方がよく知っているはずです」
「はい……」
「だから、元気をだしてください。ハルさんが暗い顔をしていると私も悲しいです」
顔をくしゃくしゃにしながら頷くハル。
「本当に、本当にありがとう。フィオさん、ちょっとは気が晴れました」
「良かった。ハルさんの助けになれて嬉しいです」
そう言って、その場に腰を降ろすフィオレンティーナ。
ハルもつられて隣に腰掛ける。
それを待ってフィオレンティーナが口を開く。
「さて、じゃあ今度はもっと軽い話をしましょうか」
「軽い話? え、なんですか?」
答えを待つハルに、先ほどの聖母の表情から一変、一般女性の顔に戻ったフィオレンティーナが楽しそうに告げる。
「ずばり、恋バナです」
「こ、こいばな?」
戸惑うハルに、フィオレンティーナの先制ジャブが飛んできた。
「ハルさんは、クルスさんにいつ告白するんですか?」
それはジャブにしては随分と重い一撃だった。
お読み頂きありがとうございます。
次話更新は 10月7日(土) の予定です。
ご期待ください。
※10月 6日 後書きに次話更新日を追加
※ 4月16日 一部文章を修正
物語展開に影響はありません。




